視界は澄みきってる とか
視界は澄み渡ってる とか
歌詞に出てくることがありますが、実際それってどんな感じなんだろうって思って聴いていました。
辺りが見えなかったり
モヤがかかっていても
それが自分にとっての日常ならば
それにいつしか慣れてしまって
見えてないのが普通だと感じてしまう。
もはや視界が良好な状態すら記憶にないみたいな感じで
自分では気が付かなかったりして、不快でもなくなってしまう みたいな
そういう状態でいつから私は生きていたんだろう。
最近 色んな事があって
ちょっとまだ 自分でも受け止められないというか
何故 私の人生はこうも極端なのだろうかと
流れに自分が全然ついていけてなくて
冷静になろう 落ち着こう とする事で精一杯だったりして
ここにまだちょっと書くには整理しきれてないこともあるんですが
私はこれから自分が生きていく上でとても大きなものを最近 手に入れました。
手に入れた というよりかは ずっとここにあったのに 私はそれに気付かずに生きていた
という感じかもしれません。
とてもシンプルなことです。
きっかけはちょっと 割愛しますが
私はこれまで生きてきた 道のりの中で
様々な愛に触れ
様々な人から
何かしらの愛を貰ってきた
とても愛されてきたのだという事に
ようやく気がつけたんです。
本当 今までどうしてその事に気が付かなかったんだろうと思います。
むしろ こんな私がここまで曲がりなりにもやってこられたのは 自分の力なんかじゃなく
私に何かしらの形で関わってくださった方々の愛に包まれていたからだったのだと
もっと早く気づかなければならなかったなって思います。
私にとって 傷になっていた事すらも
私には見えていなかっただけで
そこに愛が存在したこと
愛がなければ成り立たなかったことも
沢山あったみたいです。
こんなに溢れてたんだなって 愛に 愛が
何回 愛って言葉を使うんだよって感じになっていますが![]()
私に足りなかったのはその愛に気がついて、受け止める事だったのかもしれません
以前 自己肯定感に対する記事を書きました。
私は自己肯定感が低いですが、自己肯定感は他人に与えられるものではなく、自分の中から出てくるものでないといけない
他人から与えられるものはそれがなくなると、消えてしまい ずっと求める人生になるが
自分の中から出てきたものは一生なくならない
ちょっとニュアンスは違うかもしれませんが、このような感じの話を織り交ぜていました。
頭ではすでに わかっていた。
でも自分には ないと思っていた。
でも…違った。
ちゃんと あった。
私は昔から 不安な気持ちを感じて振り返ると 大丈夫だよ、行ってこい!
と 誰かに言ってほしかった。
もしボロボロになって 後ろに倒れそうになったならば
そっと背中を支えてほしかった。
誰もいないって思ってた。だから、自分にリミッターをつけいてた。
ボロボロになっても 誰も助けてくれないから
ボロボロにはなっちゃいけないって
そうじゃないなら 全力でボロボロになれるのにって
ずっと思って 生きてきたんだよね。
でも今はわかる
私がボロボロになるまで頑張って
もう立ってられないって思って 倒れても
きっとその時 私は一人じゃないってことを
ちゃんと私は愛されていて、色んな人が私を見守ってくれていて、時に励まし、支えたり、背中を押してくれたり
繰り返しになりますが 様々な形で愛を伝えてくれていた。
それに気がついた時
キラキラした優しい小さな光たちが私をいつも包んでくれているのだと はっきり感じた。
これだ これが 自己肯定感なんだ。
何もしなくていい ちゃんと愛されてる。
心配しなくていい ちゃんと愛されてる。
もう大丈夫。これは失わないわ。
だって 私の人生を振り返れば愛に満ち溢れていたのだと気がついたのだから。
過去は 変えられない
これは 呪縛でもあるけど
変えられないからこそ
愛された記憶も 永遠なの
綺麗事なんかじゃなく しっかり
心の奥から出てきた 言の葉。
人生で私に関わってくださり
様々な形で様々な愛をくださった
全ての人やものたちへ
今まで 気づかなくてごめんね。
そして ありがとう。本当にありがとう。
これからは私も
もっと もっと
愛を与えられる人に なりたい
愛を受け止める事も
人を愛する事になると
君は教えてくれた
だから I'll belive
by Time(KinKi Kids)