昨日のロイヤルウエディングは、ご覧になられましたか?

他国の王室の次の次に王になる人の結婚式なんて、興味ない・・・なんて話をよく聞きましたが・・・。

僕はテレビ中継とUSTREAMとハシゴして、バルコニーでのロイヤルキスまで、しっかり見ちゃいました。

式自体は、形式に則り、荘厳かつ厳格に執り行われていたのですが、

ウエストミンスター寺院を出てからのパレードが、とても素敵だと思いました。

沿道に集まった国民に対し、気さくな笑顔で手を振り、現代のカップルそのままの、

身近な王室を、素直に表現していたと。

パレードの最中も二人で、言葉を交わしながらにこやかに、晴れやかに、

いかにも普通の新郎・新婦のような感じが、とても和やかな気持ちにさせてくれました。
(本当は全然普通じゃないですけどねw)

そして、バッキンガム宮殿に入り、バルコニーでの、ロイヤルキス。

洗練された、新しい時代の王室が垣間見れたようでした。

あのバルコニー・・・。

英国王のスピーチのラストでも、ジョージ6世が、大切なラジオ演説の後、

国民の前に姿を現す、感動的なシーンでも登場しましたが、

宮殿のアプローチを埋め尽くす、民衆と、その向こうに続く、ザ・マルを埋め尽くす、群集。

あの光景を見ると、未だに英国王室というのは、大きな役割を担っているのだと感じました。


映画の中では、吃音のあるお父さんに『きっと大丈夫』と励ましたいた、小さな女の子も、

今や、女王として存在するのも、何だか身近に感じることのできるところと、面白く見ていました。
栃木で起こったクレーン車の事故。

運転手はてんかんの持病をもっていたとのこと・・・。

薬を飲み忘れたと供述。
そして会社は病気を把握していなかったよう・・・。
きっと会社にも隠していたのだろう・・・。


病気に対する差別ほど、無理解が招くものはない。

『さわらぬ神に祟りなし』と神を引き合いに、都合よく目を背けてきた文化が、今も片隅にあるのだろう・・・。

もちろん事故を起こしたことは重大な過失だが、隠さなければならなかった、加害者の心情も、また切ないものがある・・・。


先天的・後天的に関わらず、病気は誰にでも起こりうる可能性があるのに・・・。
病気で一番辛いのは、患者本人とまわりの家族。
それに追い討ちをかけるように、差別を受けると思うと、やるせない・・・。


どんなに技術が進歩し便利になった世の中でも、人の心が変わらなければ、何にも変わらない・・・。

そろそろ、『神にさわって』もいい頃だと思う・・・。

昨今、クラウドコンピューティングが注目されているが、
こちらも『雲』に手を突っ込んで、ゴソゴソしてみたらいいと思う・・・。

もちろん、見たくない物、見なくてもいい物も数多あると思うが、ここで踵を返してはいけないと思う。

夏目漱石が、『自分の個性を尊重して欲しければ、他者の個性も尊重しなければならない』と、
言っている。

病気も個性とするならば、そうあるべきです。(自責も含め)

ただ、被害者の家族の事を思うと・・・
薬を飲んでいれば・・・。
ここ数年、日本の企業でも『成果主義』が概ね主流の考えとなっている。

一方、政治の世界では、未だに『成果』よりも『展望』に目が行きがちのように思う。

今では当たり前になった『マニフェスト』も(今後の)展望を描いた『青写真』に過ぎない。

もちろん『展望』を示すことは重要で、それを参考に投票するのだから、無ければ困る。

ただ、それがどんなに優れていても、実現されなければ、『絵に描いた餅』。

『今はここがダメだから、こう直します』←つまり、前の人が書いた『設計図』を書き直すということになる。


ここで錯覚する。

それは、【設計図を正しく書き直せる人】=【正しい政治をする人】になってしまう。

そして、こういう事が起こる。

【設計図が正しいのだから、放って置いても正しい政治をする】
 ↓
【選挙後は、設計図通りの変化を期待して待つ】
 ↓
【設計図は書けても、具現化出来ず、迷走し始める】
 ↓
【裏切られた!無能な政治家め!】
 ↓
【だからダメだったんだ!政権交代しろ!】


どっかで、見聞きしたような話です・・・。

ただ↑は、物凄く単純に時系列として並べただけですので・・。

もちろん、反対する人はどこにでもいます。

お金がかかることもあります。

世界とのバランスや協調、流れなど、様々な要素があり、『設計図』通り行かない事の方が、普通かもしれません。

その時に、期待されるのは、【また、設計図を書き直す】ことなのです。

会社では、当たり前のようにやっていると思います。

もちろん、規模も内容も何もかも違うと!言われれば閉口してしまいますが・・・。

『成果』を挙げる為の『過程』という点では、同じだと思います。

その為には、専門家や官僚や識者、場合によっては、敵対する人にも相談する事があるかもしれません。

会社でも、そうですよね?

常識的・倫理的・法律を犯さない範囲で、あらゆる手段を講じると思います。

会社では、『成果』が挙げられないからといって、途中で【解散】という訳にはいきませんよね・・・

でも政治の世界は、それが出来ちゃうんですよね・・・。

『成果』を挙げるまで、辞めないで頂きたいと、常々思っていました。


どうしてか?

国のシステムや決り事が、1年や2年でコロコロ変わるのは、非常に危険だからです。

そのためには、広く意見を聞く・反省する・謙虚である・裏づけある自信が、大事だと思います。

1年目『(こういう理由で)実現まで、思ったより長くかかりそうです』

2年目『(当初は)こう言ってましたが、こうしてみました(どうでしょう?)』

3年目『只今、鋭意取り組み中!です』

4年目『実現しました!』

もちろん、4年もかける必要はありません・・・。案件の大小もあるでしょうから、随時。

【説明責任】とよく言いますが、↑の様な事をすれば、印象は変わると思うんです。

そして、【責任】のとり方を【解散・辞任】=【辞める】事で、とって欲しくないし、

それを許すべきではないと思います。

民主主義が、必ずしも正しいシステムなのか?

もっと他に、いい方法があるのかもしれません。

しかし、今の世の中で、最善と信じられているシステムです。


大正時代に、『自由民権運動』がありました。

どんな身分の人も、お金のない人も、政治に参加させろ!デモクラシー!と、民主主義を勝ち取ろうとしました。

しかしながら、ご存知の通り、太平洋戦争中の日本は、『国粋主義』を選んでしまったのです。

そして敗戦し、占領軍のアメリカに『民主主義』をお裾分けしてもらったのです。

欧米諸国は、【自由】【民主主義】【平等】【人権】といった、基本的な思想やシステムを、

民衆が、支配階級から勝ち取ったのです。それ故に、これらの尊さ・大切さを知っているのです。

自戒を込めて、あえて言えば、日本人には、これらの尊さ・大切さ・価値が、

本当に理解出来ていないと思っています。

3.11以降、色々な問題・隠されていた事・能力・仕組みなどが、見えてきたと思います。

良いことも悪いことも、様々。


今年は、戦後66年。

66年も経てば、大抵ガタがきます。

ゼロから造り直さなくたっていいのだから、そろそろ【改善・改良】くらいはしなけらばならないですよね。

3.11から2ヶ月が経とうとしている今も、良くなるどころか、山の様に積み重なる、問題とため息。

東北に大きな被害が集中してしまった震災ですが、
大きく見れば、国民全体の問題でもあると思います。

というか、

そう捕らえなければ、日本の復興は、どんどん遅く、遠いものになる様な気がします・・・。