ねあ(2019)

 

 

 

喪失感や虚無感が、まるで存在の基盤でもあるかのように私を支えることがある。

喪われてしまったものが、その事実を根拠として、わたしは確かに在ったのだ、と告げてくる。

(なくしてから大切さに気づくみたいなアレ)

 

見えないことや触れられないことが、私のリアリティの根拠だとしたら、

そのリアリティが、すなわち「生きていること」だとしたら、

私の生きやすさは、“確実に失われる全てのもの”たちの中にある。

失うことで、生きていようと思えるのだ。

 

そうしていまだ、存在を信じてしまう感覚が、

拠り所としてしがみつこうとする態度が、

なんとも甘えきったわたしの弱さであることか。

 



真空に浮かび上がる気配が、車の排気ガスの中で滞留し、

桜の開くわずかな時間だけさまよう。

様々の呼気が、ざらりと神経をかすめていく。

 

存在の抜け殻は、やわらかく、しっとりとして、なまぬるい。ぐずぐずだ。

そうして春に、いつも甘やかされている。