円空 「虚空蔵菩薩像」(17世紀)

 

 

壊れて戻せない日常があったとしても、静かな夜が過ごせるといい。

いつか。

いつか。いつなのか。

わからないけど。

今自分が、誰のことを言っているのか、わからないけど。

 

どんな人にでも、愛されてきた事実と愛してきた事実があって、

存在を許されていて、だからこうして生きてしまって。

それを思うとどうしようもなく悲しくなるのだけど、

「悲」という言葉に「情け深いこと」や「恵み」という意味があると知った時、

自分の感じてきた悲しみに納得できた。

きっと、愛し愛された誰かと誰かの繋がりに、感応したのだと思う。

 

愛しさも悲しさも怒りも、すべてがまとわりつくようにそこここに漂っていて、

他者の存在に触れた途端に、

私の感じてるソレが誰の感情なのか、どの感情なのか、区別がつかなくなる。

 

見聞きするだけの存在であっても、そうして触れる人すべてが幸せに生きてほしいと思う。

あなたを愛してきた人と同じように在りたいと思う。

そんな自意識と傲慢さを自覚しつつ、

私がひとりベッドの中で「おやすみ。」と告げることが、祈りとして届けばいいのにと思う。

 

私たちは夢や無意識を共有している、という考え方があるけれど、

そうだとしたら、

ただ静かであるだけの夜が、安心して眠れる夜が、

私にも、あなたにも、またやってくるといい。