絵を見ていて、画面に描かれたものを判断する。
それを踏まえて、好き嫌いや上手い下手でジャッジする。
一方で、一見して意味の分からない作品だと、
「分からん...どういう意図だろう...」と考えてしまう。
そして知ろうとする。
こういうのは全て、見たものに対する反応。
反応が次の反応を呼んで、無意識のままにひたすら続いていく。
そしてこれは美術鑑賞に限らず、日常的に行っていること。
私は、それが生活の全てであるようにさえ思う。
周りのものや起こること全てが、反応を引き起こす刺激になる。
するとどうなるでしょう???
何もしてないのに疲れます。。。(もうホントに。。。)
そんな時に、
クレーの絵を見ることで、その反応を少し麻痺させることができる。
自分に張り付いている現象が、
離れていくような曖昧になっていくような。
パウル・クレー 「欄外に(アド・マルギネム)」
現実とは別の世界に逃避している心地良さではなく、
常にどこかへ向かおうとする自分の意思が全て、曖昧になっていくように感じる。
「見ている」という表現でさえ意図的で、
ただ眺めさせられているような状態に、させてくれる。
冒頭で言ったような美術鑑賞としての反応も、起こりにくい。
夢のようだ。
とはいっても、その夢のような世界はロマンチックでもなんでもなく、
実際そこに居ると、まったく無味乾燥なもの。
なのだけれども、
嬉しいも悲しいも楽しいも辛いも、何もないその世界は、
現実的な世界から見れば、何もかもが満たされた夢のようで、
いつも、憧れる。