モームの月と6ペンス。
何故、急にモームなど読もうと思ったのか。
タイトルが素敵だったから。
なんてキレイな響きのタイトル。
月と六百円だと思うと何にも素敵じゃなくなるけど...。
どんな内容の話かといえば、
ゴーギャンをモデルに描かれた、とある画家の物語だ。
ストリックランドはロンドンで固い職につき、家は裕福で妻と子供を養っている。
真面目で、それだけが取り柄のような男だった。
...はずだったのだが、
妻と子供をほったらかしていきなりの出奔!画家になるとパリに行ってしまう。
ストリックランドは本当に滅茶苦茶...。
妻子を捨てただけでも十分酷いのだけれど、パリでも好きなように絵を描きながら画廊に売るでもなく、親切にしてもらった人にも暴言を吐き、その人の妻を奪って家庭を崩壊させとうい感じ。
人に好かれようと言う気もなければ、絵を好きになってもらおうという気もない。
ただただ、
絵を描いていられればそれでよく、後のことはどうでもいい。
近づいてくる人間を嘲り、傷つける。
メインキャラがここまで酷い本も珍しいのでは?
この月と6ペンスは、私という人物の目線で語られている。
私は始めストリックランドとの付き合い自体は薄くて、ストリックランドの奥さんに夫が出て行ったので様子をみてきてほしいと頼まれてストリックランドと接触する。
その後主人公はパリで暮らすことになりストリックランドと再会するも、非道の数々によりまた決別をする。
なのでストリックランドの晩年の物語は、ストリックランドの死後に彼のことを知る人からの聞いた話となっている。
舞台はなんとタヒチ!!
最後まで読んだところで、やっぱりこの男の事なんてさっぱり理解できない。
だけれど、こんな生き方をしてきたこの男の求めていたものが何だったのか。
人への愛情もしくは人からの愛情はこの男には本当に不要だったのか。
さっぱり絵を売ろうとしなかったこの男にとって、画家とは一体何だったのか。
読んでも分からなかったけど、
それでも最後まで読んだことに意味があったなーと思わされるタヒチ編。
因みにモデルとなっているゴーギャンだけれど、もともとパリで暮らしていた上にここまでこっぴどい妻子の捨て方をしたわけでもない...らしい(画家になってお金がなくて後々別れて暮らすことにはなるけれど)。
他の画家ともちゃんと交流があったしさらに死んだ場所もタヒチではないとか。
ストリックランドをゴーギャン本人だと思うのはゴーギャンが可哀想。
あくまで!
あくまでもモデル!
ハリイ・ケメルマン作。
安楽椅子探偵ものとしてすごく有名な作品らしいのだけど、
とにかく、この「9マイルは遠すぎる」というニッキー最初の作品はすごかった。
安楽椅子探偵ものと言えば、現場には赴かずに人から聞いた話しだけで事件を解決するものではある。
が、この場合は事件を人伝に聞いたどころではない。
そもそも主人公こそ検事であるが、探偵ポジションのニッキーは大学教授だ。
ことの起こりは、主人公がデタラメに思い浮かんだ言葉から理論立てで何か結論を出すと言う言葉のゲームから始まる。
主人公の頭に浮かんだのは
9マイルは遠すぎる。ましてや雨の中ではなおさらだ。
と言う一文。
ここから...
と言うか、この文章のみからとある事件を解決してしまうのだ。
事件があったから解決するのではない。
事件があったことすら知らない。
こんな探偵小説があるのかと驚いた。
そして
この短編集の中の最後の作品の、梯子を倒したのは誰かをニッキーが言い当てるところで、
最後の最後にまた驚かせてもらった。
...まあコレはわかる人には推理できたのかもしれないけど、私は頭を働かせて読む読者ではないので。
とにかく、
すごい探偵にまた巡り会ってしまったと、幸せな気分にさせてもらった作品だ。
ちなみにちなみに、
この作者は
何曜日ラビは何々したシリーズと同じ作者だ。
安楽椅子探偵ものとしてすごく有名な作品らしいのだけど、
とにかく、この「9マイルは遠すぎる」というニッキー最初の作品はすごかった。
安楽椅子探偵ものと言えば、現場には赴かずに人から聞いた話しだけで事件を解決するものではある。
が、この場合は事件を人伝に聞いたどころではない。
そもそも主人公こそ検事であるが、探偵ポジションのニッキーは大学教授だ。
ことの起こりは、主人公がデタラメに思い浮かんだ言葉から理論立てで何か結論を出すと言う言葉のゲームから始まる。
主人公の頭に浮かんだのは
9マイルは遠すぎる。ましてや雨の中ではなおさらだ。
と言う一文。
ここから...
と言うか、この文章のみからとある事件を解決してしまうのだ。
事件があったから解決するのではない。
事件があったことすら知らない。
こんな探偵小説があるのかと驚いた。
そして
この短編集の中の最後の作品の、梯子を倒したのは誰かをニッキーが言い当てるところで、
最後の最後にまた驚かせてもらった。
...まあコレはわかる人には推理できたのかもしれないけど、私は頭を働かせて読む読者ではないので。
とにかく、
すごい探偵にまた巡り会ってしまったと、幸せな気分にさせてもらった作品だ。
ちなみにちなみに、
この作者は
何曜日ラビは何々したシリーズと同じ作者だ。
夏川草介著、神様のカルテのシリーズの四冊目。
タイトルにゼロが付いている通り、イチさんが医者になる前からの短編集となっている。
医学生時代、医大の学生寮に住む友人たちとの話が一編。
24時間対応を始める時のイチさんが勤める本庄病院の話が一編。
イチさんが研修医として働き始めた頃の話が一編。
それと、
イチさんの奥さんである山岳写真家の山でのエピソードが一編。
主人公は夏目漱石をこよなく愛する風変わりな医者である。
引きの栗原の異名を持ち、彼が当直の日にはひっきりなしに患者が運びこまれる。
彼の住むアパートに男爵や学士殿と呼ばれるやはり風変わりな住人たちがいる。
彼の奥さんは華奢で可憐な容姿に似合わない山岳写真家だ。
医療系の話でありながら、物語の肉付けはあまり医療とは関係のないものでされている。
もおね、
みんなが優しくて切なくて癒やしのシリーズだね。
24時間対応の病院なので、やっぱり主人公はいつも寝不足で疲れていて悩んでいるんだけど、
不思議と殺伐とした感じや暗さや冷たさはない。
それは主人公のイチさんの風変わりなキャラクターのせいもあるのだけど、周りの人達も患者さんもいい人ばかりで、作品を包む空気が優しさと、だからこその切なさで満ちている。
がっつり医療系のストーリーが読みたい人には物足りないかもしれないけど、優しいストーリーに癒されたい人には是非ともおすすめなシリーズだ。
『神様の』と付くとき、それはもう人間にはどうしようもない領分の話という印象を受ける。
それは、このゼロの中で大狸先生が語っている。人間の命は神様の書いたカルテなのだと。
どう足掻いたって変えようのないことと言うのは絶望的なことにも思えるけど、同時に気持ちを軽くしてくれることでもあるように思う。
神様の決めた事の中では人間に出来ることなんて、ほんの些細なことしかないのだからと。
だから、
好きなように、思うとおりにやればいいんじゃない?と。
観てないけど、映画化もされている。
主人公は桜井くん。
桜井くん!?
って感じだけど、奥さんの宮崎あおいちゃんはピッタリだと思う。
観てないけど...。
タイトルにゼロが付いている通り、イチさんが医者になる前からの短編集となっている。
医学生時代、医大の学生寮に住む友人たちとの話が一編。
24時間対応を始める時のイチさんが勤める本庄病院の話が一編。
イチさんが研修医として働き始めた頃の話が一編。
それと、
イチさんの奥さんである山岳写真家の山でのエピソードが一編。
主人公は夏目漱石をこよなく愛する風変わりな医者である。
引きの栗原の異名を持ち、彼が当直の日にはひっきりなしに患者が運びこまれる。
彼の住むアパートに男爵や学士殿と呼ばれるやはり風変わりな住人たちがいる。
彼の奥さんは華奢で可憐な容姿に似合わない山岳写真家だ。
医療系の話でありながら、物語の肉付けはあまり医療とは関係のないものでされている。
もおね、
みんなが優しくて切なくて癒やしのシリーズだね。
24時間対応の病院なので、やっぱり主人公はいつも寝不足で疲れていて悩んでいるんだけど、
不思議と殺伐とした感じや暗さや冷たさはない。
それは主人公のイチさんの風変わりなキャラクターのせいもあるのだけど、周りの人達も患者さんもいい人ばかりで、作品を包む空気が優しさと、だからこその切なさで満ちている。
がっつり医療系のストーリーが読みたい人には物足りないかもしれないけど、優しいストーリーに癒されたい人には是非ともおすすめなシリーズだ。
『神様の』と付くとき、それはもう人間にはどうしようもない領分の話という印象を受ける。
それは、このゼロの中で大狸先生が語っている。人間の命は神様の書いたカルテなのだと。
どう足掻いたって変えようのないことと言うのは絶望的なことにも思えるけど、同時に気持ちを軽くしてくれることでもあるように思う。
神様の決めた事の中では人間に出来ることなんて、ほんの些細なことしかないのだからと。
だから、
好きなように、思うとおりにやればいいんじゃない?と。
観てないけど、映画化もされている。
主人公は桜井くん。
桜井くん!?
って感じだけど、奥さんの宮崎あおいちゃんはピッタリだと思う。
観てないけど...。