24時間テレビ見ましたー!
羽生くんの演技は心に響きますね
ここの演技部分が特にいい!↓

いろいろつらい思いをしていたのがわかります。おじいちゃんと話していたとき、つらい、つらいって連続で呟いてたのには心が傷みます
どれだけ悲しみを乗り越えてきたんだろう
このおじいちゃんも笑顔で被災した話をしていましたが、当時から被災した人は笑顔な姿を見せる人とかいました
でもそんな笑顔の裏ではどれだけ泣いてきたんだろう
痛感します
羽生くんそんなに東北の為に頑張らなくてもいいんだよ、ていってあげたい子ですね
本当に羽生くんの演技で励まされてる人はいっぱいいると思います(^^)
もう、私も羽生くんよりけっこう年上なのに、未だにしっかりしてないので、なんだか恥ずかしくもなります(;・∀・)こんな子がいるのに私と来たら何やってんだか(´Д`)
しっかりしよっと笑
いつか、羽生くんの原点でもあるアイスリンク仙台行ってみたいな、て密かに思います。が、一人はさすがにきがひける笑
あ、もちろんまっちーの原点の臨すぽもめちゃくちゃ行きたいのですが、遠すぎて非現実的なので(TT)
あー行きたい
できれば関西大学も行きたい
できれば広島の厳島神社も
鳥取砂丘も
三徳山も行きたい…
まっちーいったいなんのプログラムなの?生きてるの?\(´O`)/
という呟きはどーでもいいとして
やはり羽生くんの24時間テレビを見てると
震災を思い出します
私は当時は
まだ東京で職についていて
しかも、埼玉から千葉に引っ越す前の時で
職場から段ボールをもって帰ろうとしていた日で笑
あのときは某お洋服やさんで働いていて
お客さんを接客していて私一人店頭に立ってたので。
東京でさえもめちゃくちゃ揺れて
ついに富士山噴火でもしたのか!?
東京大地震でもきたのか!?て思ってたら
発信源が東北で
え…………てなった
家族に連絡とろうって思っても
全然通じないし
むこうの友達にも連絡とろうとしてもだめだったし
この時ばかりは、何で家族の側にいないんだろう、て悔しさがありました
テレビで見た津波の映像は
なんとも言えない表現できないほどショッキングでした
これ、映画の映像じゃないよね?
え、岩手なの?宮城なの?て
さらには福島の原発
原発はしゃれにならなくて
これは岩手に家族とか住んでて大丈夫なのか
とか思ったし
東京も同じくらいやばいと、思ったし
チェルノブイリの件もあったので
日本終わったんじゃない?て本気で当時思いました
家族とも友達ともなんとか連絡とれて安心した
専門の時、仙台に住んでて
東北六県から集まっていて、仙台の友達とか、地元から仙台に移り住んでるこもいたので
けっこう被災してる同級生とかいたりして
何とも心が痛みました
私のお父さんの知り合いの人が、被災して、
逃げるときマンホールに落ちちゃって、でも水が溢れて押し上がって奇跡的に助かった、とか
物語のような話が当たり前のようにあって
震災の話するのが当たり前になってました
実は岩手では
その前から何回か大きな地震があって
橋が壊れたりした地震とか
横揺れの地震で窓ガラス割れたとか
私が高校生のときありました
いつかでっかい地震がくるって何回も言われてたから、
本当に来てしまったんだ、て思いました
その時、皿が何枚も割れ、ドラムのテレビがぶっ飛んでぶっ壊れたということもあり、お母さんは地震に備えて対策していたこともあってか実家はあまり被害がなかった
私の地元もやはり道路壊れたりとか天井壊れたりとかあったけど、その程度で
岩手の海側と最南端(宮城側)にいくに連れて被害はひどくなっていってました
津波のニュースが大半でしたが岩手の南もけっこうひどくて、(なんたって震度最大7の栗原市の隣町は岩手の最南端なので)全壊の家には赤札が貼られ
半壊は黄色の札が貼られてました
私はしょっちゅう、この地域に遊びに来ているので、見たときは言葉がなくなりました
そして一年半後、私は宮古から陸前高田まで車で通るだけですが
被災地を見ました
陸前高田に入った瞬間空気が変わるのが分かりました
夜に通ったって言うのもあったと思うのですが
入った瞬間泣いてしまいました
確かに片付けられて綺麗になってはいたのですが
ここにはいっぱい建物があったのに全部無くなったんだ
と、行ったときにはじめて実感したような気がしました
松の木が遠くに一本だけ見え、海が見える
あとは静か
陸前高田は一番近くの海で、(でも遠い)いっぱい松の木があって
海に遊びに行ったことがあったので
あまりの変わりようにショッキングでした
地元の人は想像つかないくらい悲しんだのだろうと思います
もうここの海には遊びに来れないな、と思いました
そんな中、吉報が!
平泉の中尊寺が世界遺産になってくれて、私もすごく嬉しかったです
幼い頃から行っていた場所だし
あそこは、そんなに大規模ではなく金色堂がピックアップされがちですが、歴史がすごく興味深いです。
三体のミイラと頭があの中に入っているのです
金色堂てお墓でもあるんです
藤原清衡は、なんで金色堂を建てたのか、ていうところも見てほしいところ
敵も見方も 「この鐘の音は、どこまでも響いていって、苦しみを抜いて楽を与える」、そしてそれは「あまねく皆平等である」
「官軍の兵と蝦夷の兵が戦で命を落としたことは昔から幾多もあった。獣や鳥や魚や貝といった生き物が人間に殺されてきたことも過去から現在に至るまで数え切れない。それらの魂はあの世に去ってしまったが、その骨は朽ち、今もこの世の塵となっている。この鐘が響く度に、心ならずも命を奪われてしまった者たちの霊を浄土に導かせよう」という気持ちで建てたようで、
死んだ者たちの敵味方は問わない。それだけではない。人間かそうでないかも問わない。とにかく、自分の生を全うできなかったあらゆる生き物の霊を、皆平等に浄土に導きたい、そのような思いがあったのです
つまり、震災の時とも通じることで
現在にも通じるのです(^o^)
ちなみに、私は中尊寺のまわしものでもなんでもないです
ただの歴女です笑
でも、
募金とか
海側に遊びにいくとか
観光しにいくとか
そういうことしか出来ないですが
少しでも役に立てれば、と今も思います
なんかいろいろ書いてしまって無駄な文章がいっぱいあるブログになってしまいました
とにかく、羽生くんよかったってことと
まっちーの新プロはなんなの?てことと
被災地のことでしたー
寝ます(+.+)(-.-)(__)..zzZZおやすみなさい