いろいろあった、ほんといろいろあったよ
またまた更新が遅れてしまいました
7月20日、背番号発表がありました、
1,2,3・・・と順当に発表されて行く中で・・・
「9番、NIVI!」
オレ「ハイ!」
呼ばれたああああああああああああ!!
万年補欠のオレが1桁?
信じらんれねぇー
当然家族も喜んでくれました、
小学校のころからライト、中学に入ってからもライト
センター、レフトも経験しましたが、一番ライトが好きでした。
(ライトはライトゴロがあるから)
それでも9番を取ったことはなかった
こりゃ~気合はいるぜ~
そして、試合の日、
相手は練習試合でしか戦ったことは無い、つまり公式戦初顔合わせ!
試合前のノック、いつもよりいい感じ、いい感じ、コレはいける!と思いましたw
そしてメンバー発表、「8番、ライト」でした。
8番か・・・まあ仕方ない、期待されるほどの打力とはいえないからだ。
そしてプレイボール、相手のピッチャーは1番、サウスポーだ。
オレの第一打席、心臓が高鳴る・・・
一球目、外角の真っすぐ、ストライクだ
・・・(このピッチャーはカーブがいい、追い込まれる前に真っすぐを打っておきたい)
二球目、また真っすぐだ、しかし、空振り!
しまった・・・と思った
三球目、オレのバットはカーブに空を切った。
そして、交代した・・・
交代を告げられたとき、涙が出そうになった
オレはもうチームのために何にもできないのか・・・
空を見上げて、泣くのを耐えた
試合はその後、7回表にツーアウトから同点に追いつかれた、
しかしその後、こちらもツーアウトからランナーをためて3番の外野を越えるヒットで劇的なサヨナラ勝ち
見事、勝利した。
続きは今度
超超久しぶりの更新
s
やばい
最近やばい
夏の大会・・・レギュラーじゃないかも!
昨日の試合・・・
バントをミスり・・・チームメート曰く「簡単に捕れる」というフライに頭を越され・・・
打撃でもいいとこなし・・・泣きたかった・・・グランドから逃げ出したかった
やばーい!
でも諦めたくない・・・
俺は・・・期待されている(!?)・・・親に・・・友に・・・
今こうして野球ができているのも・・・
小学生のとき、母親が俺の"プロ野球選手になりたい"という夢を理解してくれたからである
だから・・・ここのままでは終われない、
無様には終われないのだ、自分のためにも・・・
中学野球生活の舞台で、一度も華麗に踊れてない・・・
このまま幕を閉じるなんて・・・嫌だ、絶対に嫌だ
俺 は 勝 つ !
和田
- 佐野 真
- 和田の130キロ台はなぜ打ちにくいか
読んでみました。
大変いいことが書いてありましたが、下半身の強さの秘密や股関節の柔軟性についてもっと詳しく書いてほしかったですね。
ピッチャーを目指してるものは読んでみる価値ありです。
I tell a dream magnificently.
中学のうちに
公式戦でホームランを放つ
そして県大会に出場、表彰される。
高校ではピッチャーで
それこそまずまずの成績を残す。
大学では東京六大学リーグに出場。
そのために今生きていると―俺は本気で思っている。
さむい・・・さむいさむい
最近はすごく寒くなりましたねー。
おかげでカゼをひいてしまいました(・_;)
このクソ寒い中でもわが中学の野球部は毎日朝練があります。
そしてその中でバッティング練習をします。
これがどういうことか、説明しましょう。
まず、寒さでバットが握れたもんじゃない。
振るたびに手はバットと激しく擦れて寒さに拍車をかけます。
そして、バッティングをするということは、「守備」(球拾い)が必要です。
寒さでグローブは冷たい球は冷たい・・・
そして、大きなフライを撮る時は痛い!
朝練ではしませんが寒さの中のキャッチボールもいたいの連続で。
野球ってのは練習といえども、やはり動かない事、激しい運動をしない事が多いのでどうしても寒くなってしまいます。
冬はまだ続く・・・夏を目指して
This Blog
このブログでは僕の野球人生での本音を繰り返し書いていきます。
今回は早速、今までの野球人生を紹介していきます。
2002年3月―両親に「プロ野球選手になりたい」と話す。
母親の勧めで地元の野球チームで野球を始める。なんと30人もチームメイトがいる。このとき4年生。
2002年11月―初めての大会、ベンチ入りもできず、背番号ももらえず。このとき10人ほど退団者がでる。
2002年12月―初めて背番号をもらう「20」
その後、公式戦に出られず退屈な野球人生が続く
チームは―地元の大会で優勝を5回も経験する強豪だった・・・
それなりに上達はしていったが、周りのレベルには敵わず、レギュラーにはなれず。
しかし―
2004年3月―卒業文集に将来の夢を「プロ野球選手」と書く
少年は夢をあきらめていなかった!
