人生と損得
人はそんなに簡単に損したり得したりしないものだと思う。いや、私の考えを言えば、人は基本的には得があって人生に"損"と言うものは存在しない。
例えば同じものを100円高い値段で買ったとき、この100円を損と思うことがあるかもしれない。でも、それは違う。
それは、それが価値観だからである。
実はお金そのものの価値というものは非常に曖昧なところがある。お金は交換しなければほぼ価値がない。食えもしなければ、着られもせず住むことも出来ない。他に大した使い道もないだろう。御札なら汗は拭けるかもしれないが、便利とは言い難い。
さて、話を戻すと、どんなモノにいくら支払うかは、その人の価値観に大いに関係している。はっきり言って「そのモノの本質」というものは変わらない。絶対に変わらないのである。100円高かろうと安かろうと、「そのモノ」はそれでしかないのだ。
だったら尚更安い方がいいじゃないか、と言う者があるかもしれない。
それを金額的価値の安い方を選ぶということは、モノの価値を低く見るということでもあるのだ。お金の世界では、それぞれに妥当な金額というものがあるが、それは量や質、需要や供給のバランスの上に決められている。
より安さに執着し過ぎることは、自分の価値をも下げる行為である。とも言えるかもしれないし、あるいはモノに対する侮辱的な行為であるとも言えるかもしれない。もちろん安いことや高いことが悪なのでは決してない。
もちろん中には安くて良い物ということもあるだろう。しかし、"安い"ということと"品質が良い"ということは全く関係のないことだということを、決して忘れてはいけない。そしてもちろん、"高い"ことと"品質が良い"ことも関係があるようで関係がないのだ。物理的なコストについて言う者もあるかもしれない。だがそれも違うのだ。モノの価値や本質というのは、それのそれぞれの個性のことであって本来お金とは関係しないものなのである。
「お金」というモノだけがとても浮いた存在なのだ。
フェミニスト
こう言ったら、凄く誤解を招くんだとおもうのだけれど。わたくしはフェミニストだと自称している。
でも、日本のフェミニストや女性主義はなんだかヘンだよね。男女平等って言うのはどうなの?
雇用機会均等って言うのは当たり前のことで、なんで法律があるのかってくらいヘン。しかし、いくら雇用機会が均等であろうとも、男女には得意不得意があることは紛れもない事実。女は女の体と脳を使って、男は男の体と脳を使って、働いたり行動することは何にも変なことではない。
権利が均等であるって言うことは当たり前過ぎることだけど、本当はとても大事なこと。
中には、女性的なことが得意な男性や男性的なことが得意な女性だっている。義務教育では相対評価が主流になっているのに、まだまだ男女の世界では絶対的評価、男はこう、女はこうと心の中では思っている人も沢山いるんだろう。あと、女は感情的と思っている男も多いけどこれも馬鹿野郎だと思う。女は感情的だから仕事に向かないお思っているのだろう。全くなんて奢った男がいるもんだ。もちろん全員とは言わないけどさ。
こう言う風に言うとごっちゃになってくるんだけど、そうじゃない。
もともと男職場にだってお茶汲みの上手いやつとか怠けてるやつとかもいて、それぞれの特性を活かしたり仕事してるくせに、ちょっと女性が入って来ただけで、並の男以上に仕事出来ないと使えない扱いされるたり。最近はそんな露骨なことはないだろうけど、心の底ではよく思ってない人絶対結構いるんだと思う。
でも、イチイチそれを権利がどうのとかって主張する女性主義者もやっぱりヘン。もっと普通に堂々として家事とか子育てやったらいいのに。でもその理由はやはり、女性が虐げられた時代があったからってことなんだろうけど。