「知っていること」と「経験していること」



これがどんなに違うことなのかを体感した
今日はそんな1日でした



よく目にする言葉で
そうだよねーって
自分ではわかってると思っていたのだけど、
それはただわかった「つもり」であって
実際は今日初めてわかった


ここ数日母と過ごす時間が多かった
普段はそこまでの時間を共にすることはなく
私にとっては稀なことである

彼女には「正しさ」があり
私にとってはその「正しさ」にふれることは
とてつもなく窮屈なことと感じるから
自然と距離をとるようになっていた


今回は用事が重なり、
自然と一緒にいる時間が増えた
必然的に会話することも増える



身近なトピックについて話していた時、
わたしは自分の経験を前提として
こうしていくといいのかもと未来の話をし、
母も自分の意見をつらつらと話していた


…なんだかところどころ違和感を感じたけど
深く追求せずにそのまま流していた




そんな対話の時間が重なるにつれ、
比例するように
帰ってからぐったりと身体的な疲労を
感じるようになったり、
虚しい気持ちが体をめぐるようになった



ただ話をしているはずなのに
話が通じていない
そんなもやもやする感覚がある
何だろうかとぼんやりと考えたけど
よくわからない



ふとパートナーに聞いてもらった
すると、

「それはやったことないんだろうね」

そう何気なく返された言葉が響いた



…なるほど
経験ではなく、空想のみで話してたのか


私は経験からの気づきとか感情とか体感とか
そんなもろもろをそのまま話す


だからやったことないことは、
相手に自然ときく姿勢になり、
わかっているというスタンスはとらない
これが前提としてあるなとおもった



そっか、ただのスタンスの違いかー


そう思ったら話しているようで 
ただ違うものをみて
言葉を発していただけだと気づいた
ふっと体が軽くなった


ただ気づくだけだけど、身体の感覚が変わる


会うのが嫌だと思ってたけど
そうじゃなかった
不快から疑問を持ち
違いを言語化することで視野が広がった
母と会ったから気づけたいいこと



身内だと近すぎて余裕なくなっちゃうから
私一人じゃわからなかったな
パートナーには、いつもながら感謝です




忘れないうちに
今日の気づきを残しておこうと思いたち、
ひさびさブログを書いてみた


時間が経過するごとに
まったく違う見え方になるかもしれない


後から見直したら
なんじゃこりゃと自分で思うかもしれないけど、
今の私にはこんなふうに見えている















最後まで読んでくれてありがとう
アデュにっこり









ハロー、yamaですにっこり






桜が開花してました♪





すれ違うサラリーマンやマダムたちも

上を見上げて微笑んでいて



なんだかあたたかな光景に

ほっこりして

やっぱり春っていいですねニコニコ





せっかくだから

この1週間はスマホは見ずに

お空を見上げて春を楽しもう飛び出すハート




そして、最近当たり前になりすぎてて

忘れてたけど

食事瞑想は普通にしてる



いろいろ試して

やってることや意識してることも

少しずつ変化してきたから

春のデトックスに向けて

また記録してみようかなにっこり





ではでは、今日も素敵な夜を…飛び出すハート

アデューパー