□ 福島区 旧町名継承碑 兼平町
野田緑道
を通り抜ける途中
野田5丁目あたりに
ベンチのある公園が現れます
そこにありました
福島区 旧町名継承碑 兼平町

町名は西成野田の当時の小字名によるそうです
野田4丁目および6丁目の各一部だそうですよ
ぱっとみたら香川にありそうな町名だなぁ~と思いました
より大きな地図で まっつんの旧町名継承碑訪問マップ を表示
泥の河
蛍川・泥の河 (新潮文庫)
☆★本の情報★☆★☆★☆
著者:宮本 輝
総ページ数:190ページ
出版社: 新潮社
発売日:1994/12/
☆★★☆★☆★☆★☆★☆
本の紹介第17弾 宮本 輝さんの 蛍川・泥の河 (新潮文庫) です
泥の河は昔の大阪を舞台にした作品
近場の神社や河の名前が出てきてすごく親近感が沸きました
最後は少し心残りはあるけれど
別れとはつらいものですね
☆★本の情報★☆★☆★☆
著者:宮本 輝
総ページ数:190ページ
出版社: 新潮社
発売日:1994/12/
☆★★☆★☆★☆★☆★☆
本の紹介第17弾 宮本 輝さんの 蛍川・泥の河 (新潮文庫) です
泥の河は昔の大阪を舞台にした作品
近場の神社や河の名前が出てきてすごく親近感が沸きました
最後は少し心残りはあるけれど
別れとはつらいものですね
大阪通商会社 為替会社跡
北区中之島1丁目にあります大阪市中央公会堂(旧中之島公会堂)の南側に
大阪通商会社 為替会社跡があります
ずーっと見逃してました
草が生い茂ってて見えないもの
どんなところだったか説明
明治2年8月設立されたが、その当時は銀目(ぎんめ)廃止や新政府御用金の負担
大名貸しのこげ付きなとで豪商がつぎつぎ没落したときであった
そこで政府は商業振興のための政府機関として、通商司大阪支署を設置
その指導で商業目的の通商会社と、それに資金を供給するための為替会社をつくらせた
しかし発足してもよい商売があるわけでもなく、明治6年には営業いっさいを為替会社に譲渡した
このように短命に終わったが、その他の会社企業の勃興の要因となった
一方、為替会社は通商会社以外の諸会社にも貸付けを行い、また為替札として金・銀券を発行したが、
これに対する信用が創造され広く流通した
明治4年、廃藩置県が断行されるなどの影響で、これも明治7年には利益をあげることなく解散した
しかしながら当社は、近代的銀行の性格をもち
それが両替商から国立銀行(明治6年設立)への橋渡し的役割を果したといえる
また目を凝らして色々探してみます~
大阪通商会社 為替会社跡があります
ずーっと見逃してました
草が生い茂ってて見えないもの
どんなところだったか説明
明治2年8月設立されたが、その当時は銀目(ぎんめ)廃止や新政府御用金の負担
大名貸しのこげ付きなとで豪商がつぎつぎ没落したときであった
そこで政府は商業振興のための政府機関として、通商司大阪支署を設置
その指導で商業目的の通商会社と、それに資金を供給するための為替会社をつくらせた
しかし発足してもよい商売があるわけでもなく、明治6年には営業いっさいを為替会社に譲渡した
このように短命に終わったが、その他の会社企業の勃興の要因となった
一方、為替会社は通商会社以外の諸会社にも貸付けを行い、また為替札として金・銀券を発行したが、
これに対する信用が創造され広く流通した
明治4年、廃藩置県が断行されるなどの影響で、これも明治7年には利益をあげることなく解散した
しかしながら当社は、近代的銀行の性格をもち
それが両替商から国立銀行(明治6年設立)への橋渡し的役割を果したといえる
また目を凝らして色々探してみます~
大坂船手会所跡
大阪市西区川口2丁目川口の交差点のところにある大坂船手会所跡
大阪船手は 大阪湾から木津川・淀川への船舶の出入りを管理・掌握する事と
大阪湾に停泊している船舶を掌握する事を職務とする江戸幕府の役職で
元和6年 (1620年)に設立された
その中心施設がこの地に置かれた船手会所である
配下の施設として 船の出入りの管理を実際に行なう船番所が
会所の北側と春日出 三軒家の3ヶ所に置かれた
また船蔵が会所の脇と四貫島にあった
18世紀代には船手頭が小豆島などの代官を兼ねることもあり
大坂における幕府の重要な役職のひとつであったが
元治元年 (1864年) に廃された
3ヶ所ってまだあるのかなぁ~
他も探してみよ~
大阪船手は 大阪湾から木津川・淀川への船舶の出入りを管理・掌握する事と
大阪湾に停泊している船舶を掌握する事を職務とする江戸幕府の役職で
元和6年 (1620年)に設立された
その中心施設がこの地に置かれた船手会所である
配下の施設として 船の出入りの管理を実際に行なう船番所が
会所の北側と春日出 三軒家の3ヶ所に置かれた
また船蔵が会所の脇と四貫島にあった
18世紀代には船手頭が小豆島などの代官を兼ねることもあり
大坂における幕府の重要な役職のひとつであったが
元治元年 (1864年) に廃された
3ヶ所ってまだあるのかなぁ~
他も探してみよ~
此花おもしろトレイルルート 4 スーパー堤防
此花おもしろトレイルルート 3 北港鎮守 産土神社
の次に訪れたのは
大阪市此花区酉島4丁目あたりにあります
此花おもしろトレイルルート 4 スーパー堤防
この時ちょうど雨がひどくなり
ココまで来るのにも少し困難でした
スーパー堤防・・・・
何処か分からないのでこのあたりを撮影
見どころエピソードは
阪神大地震により堤防が崩れ、高規格堤防(スーパー堤防)として
より丈夫で大きい堤防に生まれ変わりました
スーパー堤防は、地域住民にとって防災上大変重要な機能を持っています
また、従来のような河川区域としての厳しい規制はなく、高層住宅が建ち並び、
水と緑に恵まれた良好な河川空間を活かし、人 (生活)と河川(自然)の
よりよい関係を築き上げようとするものです
次は このはなアートプロジェクトによる壁画 へ
の次に訪れたのは
大阪市此花区酉島4丁目あたりにあります
此花おもしろトレイルルート 4 スーパー堤防
この時ちょうど雨がひどくなり
ココまで来るのにも少し困難でした
スーパー堤防・・・・
何処か分からないのでこのあたりを撮影
見どころエピソードは
阪神大地震により堤防が崩れ、高規格堤防(スーパー堤防)として
より丈夫で大きい堤防に生まれ変わりました
スーパー堤防は、地域住民にとって防災上大変重要な機能を持っています
また、従来のような河川区域としての厳しい規制はなく、高層住宅が建ち並び、
水と緑に恵まれた良好な河川空間を活かし、人 (生活)と河川(自然)の
よりよい関係を築き上げようとするものです
次は このはなアートプロジェクトによる壁画 へ
産土神社内金比羅神社
此花おもしろトレイルルート 3 北港鎮守 産土神社
の
北港通側の入り口から入って右側にあるのが金比羅神社
香川県仲多度郡琴平町の金刀比羅宮を総本社として
その祭神である大物主神を祀る神社で
日本全国に約600社に存在するそうです
探すと半分意地になるのでやってみたい気も少しだけしますがw
知らず知らずのうちにまわっているかも
日記を集計してみたら分かるかなぁ~
次は 此花おもしろトレイルルート 4 スーパー堤防 へ
北港通側の入り口から入って右側にあるのが金比羅神社
香川県仲多度郡琴平町の金刀比羅宮を総本社として
その祭神である大物主神を祀る神社で
日本全国に約600社に存在するそうです
探すと半分意地になるのでやってみたい気も少しだけしますがw
知らず知らずのうちにまわっているかも
日記を集計してみたら分かるかなぁ~
次は 此花おもしろトレイルルート 4 スーパー堤防 へ
千里の氏神 上新田天神社
豊中市上新田1-17-1にあります上新田天神社に行ってきました
大阪市営地下鉄御堂筋線・大阪モノレール「千里中央」駅から歩いてすぐの場所にあります
学業成就 交通安全 初宮詣り 安産祈願
お宮参り・七五三・厄除け・車祓い・清祓い・商売繁盛などなど
色々書かれていましたがw
入り口には少し竹林が・・・・
竹林と言えば京都 嵯峨野の源氏物語の宮
野宮神社のイメージなんですが
こんなところにも・・・
竹林を抜けて入り口に到着
階段をあがると
御本殿
こちらは重要無形文化財(1993年に指定)だそうです
現在の本殿は貞享3年(1686年)に建立され
木造の一間社流造で正面の軒に唐破風を据え屋根は柿葺
入り口にあった看板ね
牛さんもあったり・・・
大阪とんど祭り (重要無形文化財)の看板もありました
1月14日(毎年恒例) 19時30分
神事齋行 20時00分
御神火点火左義長神事のことをこの地方では「とんど祭り」と呼び、
前年にご守護いただいた感謝とその年の無病息災、火伏せを願う
古いお札やお守り、神矢、門松、注連縄等を納めた15メートル以上ある巨大な櫓に
氏子から選ばれた代表者4名が宮司から戴いた御神火を移す
各々の参拝者が願いを書き込んだ火焚串を、真っ赤に燃え盛る火柱に向かって神職らが投げ入れ
祭りは最高潮に達する。下火になると中心の松をその年の恵方に倒し
残り火で餅や粥を調理すると一年間無病息災で過ごせるという風習がある
新しい発見が出来て良かったなぁ~
大阪市営地下鉄御堂筋線・大阪モノレール「千里中央」駅から歩いてすぐの場所にあります
学業成就 交通安全 初宮詣り 安産祈願
お宮参り・七五三・厄除け・車祓い・清祓い・商売繁盛などなど
色々書かれていましたがw
入り口には少し竹林が・・・・
竹林と言えば京都 嵯峨野の源氏物語の宮
野宮神社のイメージなんですが
こんなところにも・・・
竹林を抜けて入り口に到着
階段をあがると
御本殿
こちらは重要無形文化財(1993年に指定)だそうです
現在の本殿は貞享3年(1686年)に建立され
木造の一間社流造で正面の軒に唐破風を据え屋根は柿葺
入り口にあった看板ね
牛さんもあったり・・・
大阪とんど祭り (重要無形文化財)の看板もありました
1月14日(毎年恒例) 19時30分
神事齋行 20時00分
御神火点火左義長神事のことをこの地方では「とんど祭り」と呼び、
前年にご守護いただいた感謝とその年の無病息災、火伏せを願う
古いお札やお守り、神矢、門松、注連縄等を納めた15メートル以上ある巨大な櫓に
氏子から選ばれた代表者4名が宮司から戴いた御神火を移す
各々の参拝者が願いを書き込んだ火焚串を、真っ赤に燃え盛る火柱に向かって神職らが投げ入れ
祭りは最高潮に達する。下火になると中心の松をその年の恵方に倒し
残り火で餅や粥を調理すると一年間無病息災で過ごせるという風習がある
新しい発見が出来て良かったなぁ~



