高倉大明神
菅原神社(長尾)末社 水神社(貴船神社)
に引き続き
大阪府枚方市長尾宮前1-12-1にあります
菅原神社(長尾)
境内で赤い鳥居を発見
高倉大明神 と書かれてありました
狐さんがいらっしゃるので お稲荷さんなんですね
長尾史によると延宝6年(1678年)
久貝陣屋の北西隅に勧請されたもので
『お陣屋稲荷』と呼ばれていたそうです
次は天照皇大神宮遙拝所 へ
に引き続き
大阪府枚方市長尾宮前1-12-1にあります
菅原神社(長尾)
境内で赤い鳥居を発見
高倉大明神 と書かれてありました
狐さんがいらっしゃるので お稲荷さんなんですね
長尾史によると延宝6年(1678年)
久貝陣屋の北西隅に勧請されたもので
『お陣屋稲荷』と呼ばれていたそうです
次は天照皇大神宮遙拝所 へ
菅原神社(長尾)末社 水神社(貴船神社)
菅原神社(長尾)
に引き続き
大阪府枚方市長尾宮前1-12-1にあります
菅原神社(長尾)
境内にあります 菅原神社(長尾)末社 水神社(貴船神社)
本殿右手にある祠
神額には『水神宮』とあり、所謂“水神さん”である
元は本殿裏にあった2つの池の畔に祀られていたようで
18世紀末頃に今の位置に移ったという
長尾史によれば、この祠は本社創建当時からあったといわれ
最初は「八大竜王」を祀る水天宮と呼ばれていたが
その後、山城の貴船神社から分霊を勧請し
『貴船神社』と称するようになったとある
神名“オカミ”は龍を意味する水神で
タカオカミは山上に降る天を司る水源の神
クラオカミは峰々から流れ降る渓流の水を司る神とされる
平安初期の太政官符に「河内の交野郡は土地が痩せていて
ややもすれば旱魃に悩まされ
その田は一年おきの耕作にしか耐えない云々』(枚方市史)とあるように
川はあるものの平素は水の少ない涸れ川ということで水利の便が悪く
水神さんへの雨乞いは恒例行事だったという
調べてみると出てきました
大阪府枚方市長尾宮前1-12-1にあります
菅原神社(長尾)
境内にあります 菅原神社(長尾)末社 水神社(貴船神社)
本殿右手にある祠
神額には『水神宮』とあり、所謂“水神さん”である
元は本殿裏にあった2つの池の畔に祀られていたようで
18世紀末頃に今の位置に移ったという
長尾史によれば、この祠は本社創建当時からあったといわれ
最初は「八大竜王」を祀る水天宮と呼ばれていたが
その後、山城の貴船神社から分霊を勧請し
『貴船神社』と称するようになったとある
神名“オカミ”は龍を意味する水神で
タカオカミは山上に降る天を司る水源の神
クラオカミは峰々から流れ降る渓流の水を司る神とされる
平安初期の太政官符に「河内の交野郡は土地が痩せていて
ややもすれば旱魃に悩まされ
その田は一年おきの耕作にしか耐えない云々』(枚方市史)とあるように
川はあるものの平素は水の少ない涸れ川ということで水利の便が悪く
水神さんへの雨乞いは恒例行事だったという
調べてみると出てきました
菅原神社(長尾)
正俊寺 長尾不動明王
の次に訪れたのは
大阪府枚方市長尾宮前1-12-1にあります
菅原神社(長尾)
鳥居をくぐりどんどん進みます
周りの木々がとても癒してくれました
ちょっと 左へ旋回すると
見えてきました 社殿
寛永20年(1643年) 領主の久貝因幡守正俊は
家臣の細谷善兵衛に命じて
八田川の川筋で当時 八田広と呼ばれた荒れ地を開墾させ
新田開発を行った
新田は開墾の翌年に福岡村と名付けられたが
貞享3年(1686年)に長尾村と改称された
菅原神社は 慶安3年(1650年)に正俊の子 正世が
長岡天神の分霊を勧請して社殿を造営したのが始まりとされている
祭神は菅原道真で 社殿は文化4年(1807年)の再建であるという
付近の社はテンダイウヤクの群生地で 市内でも重要な植物群落である
テンダイウヤクは中国原産で 日本へは
享保年間(1716~1735年)に伝来し九州や近畿などで野生化している
と書かれてありました
次は菅原神社(長尾)末社 水神社(貴船神社) へ
の次に訪れたのは
大阪府枚方市長尾宮前1-12-1にあります
菅原神社(長尾)
鳥居をくぐりどんどん進みます
周りの木々がとても癒してくれました
ちょっと 左へ旋回すると
見えてきました 社殿
寛永20年(1643年) 領主の久貝因幡守正俊は
家臣の細谷善兵衛に命じて
八田川の川筋で当時 八田広と呼ばれた荒れ地を開墾させ
新田開発を行った
新田は開墾の翌年に福岡村と名付けられたが
貞享3年(1686年)に長尾村と改称された
菅原神社は 慶安3年(1650年)に正俊の子 正世が
長岡天神の分霊を勧請して社殿を造営したのが始まりとされている
祭神は菅原道真で 社殿は文化4年(1807年)の再建であるという
付近の社はテンダイウヤクの群生地で 市内でも重要な植物群落である
テンダイウヤクは中国原産で 日本へは
享保年間(1716~1735年)に伝来し九州や近畿などで野生化している
と書かれてありました
次は菅原神社(長尾)末社 水神社(貴船神社) へ
正俊寺 長尾不動明王
正俊寺 石造十三重塔
に引き続き
大阪府枚方市長尾宮前2丁目2-1にあります
長尾山・正俊寺
境内にあります 長尾不動明王
長尾不動明王縁起によると
正俊寺が創建された頃 當寺の守護神として観音堂を建立
そのおり 脇佛として 役行者と共に 不動明王が奉安されました
平安時代の御木造作でも老朽荒廃が著しくなり
平成17年に石像にて不動明王再復元致しました
不動明王とは 別名大日大聖大元師明王とも
廣野鬼神とも云われる仏様です
不動明王を中心に 降三世 運茶利 大威徳 金剛夜叉
の四明王を東西南北に配し五大明王とも呼ばれています
五大明王には 八大の眷属童子が忠臣として付き添っています
不動明王は右手に憤怒・瞋恚・愚痴を切り払う金剛不動剣
左手には迷いの道に墜ちらん時 衆生を縛る 索(縄)を持ち
一切の煩悩を焼き尽くす降魔の大火焔を光背に扮されたお姿で
脇侍には温厚な矜羯羅童子・誠実剛健の制吁迦童子が護持しておられます
當寺の不動明王は長尾不動と呼ばれ
その昔より霊験あらたかと人々に親しまれ
心願成就・災難即滅・病気平癒・学業成就・交通安全等
願いを叶えてくださる御不動様として 参詣される方々が有り
特に28日の縁日には 祈願・祈祷をなさる方 又御利益を授かり
御礼詣りの方々が大勢参詣されます
次は菅原神社(長尾) へ
大阪府枚方市長尾宮前2丁目2-1にあります
長尾山・正俊寺
境内にあります 長尾不動明王
長尾不動明王縁起によると
正俊寺が創建された頃 當寺の守護神として観音堂を建立
そのおり 脇佛として 役行者と共に 不動明王が奉安されました
平安時代の御木造作でも老朽荒廃が著しくなり
平成17年に石像にて不動明王再復元致しました
不動明王とは 別名大日大聖大元師明王とも
廣野鬼神とも云われる仏様です
不動明王を中心に 降三世 運茶利 大威徳 金剛夜叉
の四明王を東西南北に配し五大明王とも呼ばれています
五大明王には 八大の眷属童子が忠臣として付き添っています
不動明王は右手に憤怒・瞋恚・愚痴を切り払う金剛不動剣
左手には迷いの道に墜ちらん時 衆生を縛る 索(縄)を持ち
一切の煩悩を焼き尽くす降魔の大火焔を光背に扮されたお姿で
脇侍には温厚な矜羯羅童子・誠実剛健の制吁迦童子が護持しておられます
當寺の不動明王は長尾不動と呼ばれ
その昔より霊験あらたかと人々に親しまれ
心願成就・災難即滅・病気平癒・学業成就・交通安全等
願いを叶えてくださる御不動様として 参詣される方々が有り
特に28日の縁日には 祈願・祈祷をなさる方 又御利益を授かり
御礼詣りの方々が大勢参詣されます
次は菅原神社(長尾) へ
正俊寺 石造十三重塔
引き続き
大阪府枚方市長尾宮前2-2-1
にあります
長尾山・正俊寺
上記が 大阪府有形文化財 石造十三重塔
常々 コレは何かなぁ~と思っていたんですが
有形文化財だったとは・・・・
次は正俊寺 長尾不動明王 へ
大阪府枚方市長尾宮前2-2-1
にあります
長尾山・正俊寺
上記が 大阪府有形文化財 石造十三重塔
常々 コレは何かなぁ~と思っていたんですが
有形文化財だったとは・・・・
次は正俊寺 長尾不動明王 へ
長尾山・正俊寺
大阪府枚方市長尾宮前2丁目2-1にあります
長尾山・正俊寺に行ってきました
この階段がお寺へと続く道です
本堂に紅葉って綺麗ですね
初代大坂町奉行を務めた旗本 久貝因幡守正俊は
交野郡内に知行地を与えられ
荒廃していた長尾村の再開発に着手しましたが
志半ばで病没しました
慶安2年 (1649年) 息男 正世は亡父を弔うため
当地に久貝家 菩提寺を建立し
同家知行地となった讃良郡中野村(現四条畷市中野)
正法寺の釈迦如来座像と石造十三塔を移しました
寺号は同家を創開した父親の名を冠して
長尾山正俊寺と命名しました
本堂左手にある 花崗岩製の十三重塔は
高さ4.3mで 嘉暦2年(1327年)の起年銘が刻まれていました
上部相輪の宝珠・請花を失っているものの
鎌倉時代の造立当初の姿をよく留めており
昭和45年に大阪府有形文化財に指定されました
境内には 山門前に 久貝家墓所
住職墓域に細谷善兵衛の墓石があります
細谷は福岡村(長尾村の前身)の再開発に尽力し
久貝家長尾陣屋の代官を務めました
と書かれてありました
次は正俊寺 石造十三重塔 へ
長尾山・正俊寺に行ってきました
この階段がお寺へと続く道です
本堂に紅葉って綺麗ですね
初代大坂町奉行を務めた旗本 久貝因幡守正俊は
交野郡内に知行地を与えられ
荒廃していた長尾村の再開発に着手しましたが
志半ばで病没しました
慶安2年 (1649年) 息男 正世は亡父を弔うため
当地に久貝家 菩提寺を建立し
同家知行地となった讃良郡中野村(現四条畷市中野)
正法寺の釈迦如来座像と石造十三塔を移しました
寺号は同家を創開した父親の名を冠して
長尾山正俊寺と命名しました
本堂左手にある 花崗岩製の十三重塔は
高さ4.3mで 嘉暦2年(1327年)の起年銘が刻まれていました
上部相輪の宝珠・請花を失っているものの
鎌倉時代の造立当初の姿をよく留めており
昭和45年に大阪府有形文化財に指定されました
境内には 山門前に 久貝家墓所
住職墓域に細谷善兵衛の墓石があります
細谷は福岡村(長尾村の前身)の再開発に尽力し
久貝家長尾陣屋の代官を務めました
と書かれてありました
次は正俊寺 石造十三重塔 へ
福島区 まち歩きボランティア養成講座 第3講
金岡公園と紅葉
の次に訪れたのは
大阪市福島区海老江6丁目 2ー22にあります
あいあいセンター
福島区 まち歩きボランティア養成講座 第2講
に続き この日は3講目
残り30分程で到着しました
急いで 2F 多目的室へ
この日は コースの選定
到着した時にはコースの説明が始まっていました
皆さんで考えたコースというのは楽しいですよね
次回は実際にコースを歩くとのこと
楽しみにします~
大阪市福島区海老江6丁目 2ー22にあります
あいあいセンター
福島区 まち歩きボランティア養成講座 第2講
に続き この日は3講目
残り30分程で到着しました
急いで 2F 多目的室へ
この日は コースの選定
到着した時にはコースの説明が始まっていました
皆さんで考えたコースというのは楽しいですよね
次回は実際にコースを歩くとのこと
楽しみにします~
金岡公園と紅葉
金岡公園 ロータリーの桜並木
に引き続き
大阪府堺市北区長曽根町1179-18にあります
金岡公園
今度は 紅葉 を見ました
赤々と葉が色づいている
今年はじめて見た紅葉は ココ
すっかり秋を感じました
次は福島区 まち歩きボランティア養成講座 第3講 へ
大阪府堺市北区長曽根町1179-18にあります
金岡公園
今度は 紅葉 を見ました
赤々と葉が色づいている
今年はじめて見た紅葉は ココ
すっかり秋を感じました
次は福島区 まち歩きボランティア養成講座 第3講 へ
金岡公園 忠魂碑
金岡公園 ロータリーの森
に引き続き
大阪府堺市北区長曽根町1179-18にあります
金岡公園
公園内に 忠魂碑を見つけました
大阪陸軍病院金岡?院長陸軍督中佐従五位
笹川竹蔵 と書かれているように思います
裏にも色々書かれていたけど
読めず・・・
次は 金岡公園 ロータリーの桜並木 へ
大阪府堺市北区長曽根町1179-18にあります
金岡公園
公園内に 忠魂碑を見つけました
大阪陸軍病院金岡?院長陸軍督中佐従五位
笹川竹蔵 と書かれているように思います
裏にも色々書かれていたけど
読めず・・・
次は 金岡公園 ロータリーの桜並木 へ

