□ 賀集八幡神社
うずの丘大鳴門橋記念館
の次に訪れたのは
兵庫県南あわじ市賀集八幡734
にあります
賀集八幡神社
社号標
鳥居を進んで真っ直ぐ行くと
さらに 八幡神社 と書かれたもの
こちらも うずの丘大鳴門橋記念館 同様
あわじ花へんろ 「花札所」です
第36番
拝殿はこんな感じ
中を撮影しようと試みてみました
結構 大きいですね
次は賀集稲荷神社 へ
の次に訪れたのは
兵庫県南あわじ市賀集八幡734
にあります
賀集八幡神社
社号標
鳥居を進んで真っ直ぐ行くと
さらに 八幡神社 と書かれたもの
こちらも うずの丘大鳴門橋記念館 同様
あわじ花へんろ 「花札所」です
第36番
拝殿はこんな感じ
中を撮影しようと試みてみました
結構 大きいですね
次は賀集稲荷神社 へ
□ 門崎灯台
引き続き
兵庫県南あわじ市福良丙947-22
にあります
道の駅 うずしお
入り口近くになります
門崎灯台
案内板にはこう書かれてありました
鳴門海峡に細長く突き出た門崎は
瀬戸内海と紀伊水道を結ぶ海上交通の要衝で
かつては軍の要塞があり 砲台も築かれていました
門崎灯台は 昭和39年 3月25日 完成点灯しました
鳴門海峡は 潮の干満によって生じる
「大うず潮」は観光の目玉として全国的に知られていますが
反面 潮流の激しさは航行する船舶にとって
極めて危険な所でもあります
門崎灯台の光は この危険な海峡を乗りきる船舶が
操船上なくてはならない重要な 「海のみちしるべ」 です
この灯台が これからも対岸の孫崎灯台とともに
海峡を往来する船の安全を守り
多くの船人の命と貴重な財貨を救ってくれるよう
祈念するものであります
次はうずの丘大鳴門橋記念館 へ
兵庫県南あわじ市福良丙947-22
にあります
道の駅 うずしお
入り口近くになります
門崎灯台
案内板にはこう書かれてありました
鳴門海峡に細長く突き出た門崎は
瀬戸内海と紀伊水道を結ぶ海上交通の要衝で
かつては軍の要塞があり 砲台も築かれていました
門崎灯台は 昭和39年 3月25日 完成点灯しました
鳴門海峡は 潮の干満によって生じる
「大うず潮」は観光の目玉として全国的に知られていますが
反面 潮流の激しさは航行する船舶にとって
極めて危険な所でもあります
門崎灯台の光は この危険な海峡を乗りきる船舶が
操船上なくてはならない重要な 「海のみちしるべ」 です
この灯台が これからも対岸の孫崎灯台とともに
海峡を往来する船の安全を守り
多くの船人の命と貴重な財貨を救ってくれるよう
祈念するものであります
次はうずの丘大鳴門橋記念館 へ
□ 道の駅 うずしお
淡路人形浄瑠璃 初菊
の次に訪れたのは
兵庫県南あわじ市福良丙947-22
にあります
道の駅 うずしお
看板はこんな感じです
うずしお展望台からの眺め
大鳴門橋が近くに見えます
橋のない様子はこんな感じ
向こう側は徳島です
次は門崎灯台 へ
の次に訪れたのは
兵庫県南あわじ市福良丙947-22
にあります
道の駅 うずしお
看板はこんな感じです
うずしお展望台からの眺め
大鳴門橋が近くに見えます
橋のない様子はこんな感じ
向こう側は徳島です
次は門崎灯台 へ
□ 淡路人形浄瑠璃 初菊
引き続き
兵庫県南あわじ市賀集八幡北378-1
あたりにあります
南淡町 賀集公園
一際大きい 人形がありました
淡路人形浄瑠璃 初菊
というそうです
案内板にはこう書かれてありました
淡路人形浄瑠璃は 今からおよそ400年前
安土桃山時代に 摂津西宮の百太夫という人形使いが
淡路島を訪れ 村人に人形操りを広めたのが始まり
と言われています
明治時代には40以上の座があり 淡路島のみならず
ほとんど全国を巡業し 発展していきました
昭和51年には 国の重要無形民俗文化財に指定されています
絵本太功記 10段目 尼ケ崎の段と「初菊」
絵本太功記は 寛政11年(1799年) に初演されました
太功記とは言いながら 主人公は 武智秀光で
本能寺の変からの3日天下を描いています
1日1段 13日間の13段に構成されており
特に 10段目の尼ケ崎が有名です
武智 秀光の嫡子 十次郎 光義は 真柴 久吉との戦いにあたり
「討死するは 武士の習い 祝言の盃せぬか互いの身の幸せ」
と許嫁である 初菊が他家に嫁ぐことを願いますが
母らの説得で盃を交わし出陣します
そして 深手を負って帰った十次郎に初菊は
「ほんに思えばこの身ほど はかない者が世にあろうか・・・」
と嘆き悲しむのでありました
この段は淡路の人々が最も好み 親しんだ作品で
「初菊」 は数ある淡路人形の中で
最高に美しいとされている人形です
次は道の駅 うずしお へ
兵庫県南あわじ市賀集八幡北378-1
あたりにあります
南淡町 賀集公園
一際大きい 人形がありました
淡路人形浄瑠璃 初菊
というそうです
案内板にはこう書かれてありました
淡路人形浄瑠璃は 今からおよそ400年前
安土桃山時代に 摂津西宮の百太夫という人形使いが
淡路島を訪れ 村人に人形操りを広めたのが始まり
と言われています
明治時代には40以上の座があり 淡路島のみならず
ほとんど全国を巡業し 発展していきました
昭和51年には 国の重要無形民俗文化財に指定されています
絵本太功記 10段目 尼ケ崎の段と「初菊」
絵本太功記は 寛政11年(1799年) に初演されました
太功記とは言いながら 主人公は 武智秀光で
本能寺の変からの3日天下を描いています
1日1段 13日間の13段に構成されており
特に 10段目の尼ケ崎が有名です
武智 秀光の嫡子 十次郎 光義は 真柴 久吉との戦いにあたり
「討死するは 武士の習い 祝言の盃せぬか互いの身の幸せ」
と許嫁である 初菊が他家に嫁ぐことを願いますが
母らの説得で盃を交わし出陣します
そして 深手を負って帰った十次郎に初菊は
「ほんに思えばこの身ほど はかない者が世にあろうか・・・」
と嘆き悲しむのでありました
この段は淡路の人々が最も好み 親しんだ作品で
「初菊」 は数ある淡路人形の中で
最高に美しいとされている人形です
次は道の駅 うずしお へ
□ 南淡町 賀集公園
西淡町 ふれ愛かわら舞台
の次に訪れたのは
兵庫県南あわじ市賀集八幡北378-1
あたりにあります
南淡町 賀集公園
西路公園 (甍公園)
と同じく 緑の道しるべ です
案内板にはこう書かれてありました
緑の道しるべ
南あわじ市 賀集
淡路島は 豊かな緑と美しい海岸線をもち
また くにうみ神話の島として
古い歴史と素晴らしい伝統文化を有する島です
兵庫県では 「緑あふれる道づくり」 として
淡路島の西海岸を縦貫する淡路サンセットライン
(主要地方道福良江井岩屋線)において
地域の歴史 及び文化遺産 自然環境を生かした
拠点緑化や沿道緑化を推進しています
ここ 南あわじ市 賀集に 国指定重要無形民族文化財
淡路人形浄瑠璃の 「淡路人形」 をモニュメントとし
県の木 「くすの木」 をシンボル樹とした
「緑の道しるべ」 を建設しました
それに 前方の淡路島を形どった 築山では
淡路の著名箇所を案内しています
公園内はこんな感じ
入り口に愛の運転と書かれたモニュメントが・・・
これはちょっと気になる
次は淡路人形浄瑠璃 初菊 へ
の次に訪れたのは
兵庫県南あわじ市賀集八幡北378-1
あたりにあります
南淡町 賀集公園
西路公園 (甍公園)
と同じく 緑の道しるべ です
案内板にはこう書かれてありました
緑の道しるべ
南あわじ市 賀集
淡路島は 豊かな緑と美しい海岸線をもち
また くにうみ神話の島として
古い歴史と素晴らしい伝統文化を有する島です
兵庫県では 「緑あふれる道づくり」 として
淡路島の西海岸を縦貫する淡路サンセットライン
(主要地方道福良江井岩屋線)において
地域の歴史 及び文化遺産 自然環境を生かした
拠点緑化や沿道緑化を推進しています
ここ 南あわじ市 賀集に 国指定重要無形民族文化財
淡路人形浄瑠璃の 「淡路人形」 をモニュメントとし
県の木 「くすの木」 をシンボル樹とした
「緑の道しるべ」 を建設しました
それに 前方の淡路島を形どった 築山では
淡路の著名箇所を案内しています
公園内はこんな感じ
入り口に愛の運転と書かれたモニュメントが・・・
これはちょっと気になる
次は淡路人形浄瑠璃 初菊 へ


















