昔、明治期の呉及び広島湾防御について調べており、15年ぶりぐらいに引っ張り出してきたファイルの山から出てきました。
2010年当時、彦島水雷衛所の遺構が 魚雷発射場だとか台場跡であると下関市の広報誌に掲載されてるのを見て、概略をまとめ元資料とともに下関市へ送付したのものです。 太平洋戦争終戦時は、彦島弟子待海軍兵器庫として爆雷等の保管場所になっていたようです。
手元に残った資料やデータを改めて見てみると意外と面白く、いろいろ読み返してみようかなと。
また、ネット上に探索や調査された方の成果がたくさんあるので、新たな発見もあり、非常に勉強になってます。
今後時間が取れそうであれば、自分もブログをやってみようかと思案中。今回は練習です。






