たとえば、こういうこと。
●分かっていないのに、分かっているフリをする自分
●分かっていないがゆえ、その対象を否定したくなる自分
●できていないのに、できているように見せる自分
●本気で取り組もうとしていないのに、本気を装う自分
●ゆえに、忙しい。時間がない。制約がある。と、本当はやりたいんだけど感を醸し出す自分
●本質は分かっているのに、楽な枝葉にフォーカスしたがる自分
●軸がなくフラフラしている、中途半端な自分
●つい誰かのせい、環境のせいにしてしまう自分
●正論、常識論、もっとも論を展開し、理論武装する自分 …諸々
そう。誰でも大して格好良くないのだよ。きっと。
もちろん、個人的にもそうだ。時には、あの発言はいけなかったな。誰かを、あの人を傷つけてしまったのでは。と、自己嫌悪感に包まれたりもするわけで。
SNSも大海だ。圧倒的敗北感に包まれる時もあったりして。(実は、その後3日~1週間ほど凹んだりも)
とはいえ、大事なのだと思う。自分の弱さを認められるとは。『じゃあ?』と、新潮流を生む原動力になったり、やるべきことが見え具現化できたりと。
きっと、その繰り返しなのだと思う。仕事も人生も。そうしてブラッシュアップが徐々にされていくのではないだろうかとも思う次第だ。
言い換えれば、弱い自分を認められない限り、同じ場所にジッとする格好になりそうだ。何年月日が経とうが、大して何も変わらない的な。置いてけぼり的な。
人は誰だって弱さを抱えているに違いない。他人には言わないけれど、そう見せないけれど、リアルガチな自分を知っているに違いない。
でも、良いではないか。その姿こそが、ありのままの、今の自分なのだから。無駄なプライドや意地にこだわらず、そんな自分も認め愛してあげる。これもまた心地良い生き方なのかもしれないね。
弱くて不完全でいいのさ。人間なのだから。なので、弱さに勝とう、無理してポジティブシンキング、個人的にはそういう類は不要だと思う次第だ。
さ、まずは今を頑張ろう。笑顔と全速力で。