「僕は今でも谷君のことを時々思い出す」

 

  先日に参列してきた通夜式の夜にある友人から言われた言葉だ。

 正直、その子のことは名前も顔もわかるがそれ以外の記憶はほぼない。今回会わなければ彼の事を思い出すことがあったかどうかも怪しい。しかし、私が覚えていないだけで彼の中には覚えてくれている出来事があったようだ。

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 先日訃報があり、大学時代に所属していたサークルの友人の通夜式に行ってきた。
 卒業して10年、サークルの人間には卒業後は片手で数える程しか会っていなかった。
 大学時代も特に一緒にいたわけでもなく一緒に参列していた方と比べた時に思い出が多いわけでもないだろう。
 聞けば長い闘病を経た末の病死だったそうだ。
 今だから言えることであるが大学時代、故人を含めたサークルの人間に対してある時期から苦手意識が強くあり、自ら距離を取っていた。劣等感を含めた意識を勝手に持っていたこともあるが、関わり合いを持ちたくなくなっていたのである。それは卒業してからも続いてしまっていた。
 今回の連絡があるまで病気のことも知らず、結婚していたことも知らなかった。
 卒業以来ほとんど会っていない友人達から故人の事を含めて色々な話を聞いたが想像もしていなかったことがたくさんあった。
 それら以外にもこの10年の間に私が知らないことはたくさんあったのだろう。

 

 

 先述したように故人とは特別に仲が良かったわけではない。私が仕事を終えてから名古屋まで足を運んで参列していることに驚いている方々もいらっしゃったと思う。

 あまり人に話したこともないことであるが、私は故人に呼び出され、一度だけ二人で2~3時間ほど話しをしたことがあった。今から考えてみると私にとっては非常に意義がある時間であり、大変感謝していることであるのだが故人にとっては特別な時間であったわけではなかっただろう。今となっては私が故人に直接感謝を伝えることは出来ないし、故人が私に対してどう考えていたかもわからない。
 

 

  そして彼が覚えていたかは最早知ることができない。