そんな幼少期を経て、
中学生になった夫は日本へ
しかも日本でも有数の繁華街へと住まいを移す。


この時、彼は既に
思春期に入っていたと思うけど
また劇的な環境の変化に晒される。


言葉の壁
文化・感覚の違い
住まい・生活の環境・・・
恐らく偏見の目もあっただろう


日本に戻ったばかりの頃、
夫は誰かと話すことを避け、
友達もいなかったという。


だけど、
彼なりに、周りに順応しようと

相手は何を求めているのか

相手は何をしたら喜ぶのか

何をすれば、みんな笑うのか

どうすれば自分は受け入れられるのか


と最大限に努力してきたのだろう


私が知り合った頃には、
そんな過去が信じられないくらい

明るく、元気で、面白く
人を楽しませたり、喜ばせるのが

誰よりも上手だった。

そして、誰からも好かれていた。




今考えると

夫は、

自分ではどうにもできない
環境の変化に常に順応するため、

本当の自分を殺して

周りに合わせて、

周りを楽しませることで、

自分の居場所を作り

必死に生きてきたんじゃないか?


と思う。


そうやって、

決して誰にも見せない

闇を抱えながら、

でも
本人すらそれを意識することなく

生きてきたんじゃないのか?



そうやって、
彼という人間は形成されてきたのではないか?



決して、
彼の犯した罪や嘘を肯定するつもりはないけど


だけど、

そう、私は感じている。