女子プロレス界の光と影 Y代表ブログ -2ページ目

女子プロレス界の光と影 Y代表ブログ

Y代表のブログがここに移動!

ある女子選手が某雑誌でかつての所属団体「M」のことを否定するかのような発言をしていた。

「M」は新興ながら、当時は幅広いネットワークで選手をブッキングし、独自のマッチメイクで新木場を満員にしていた時期もある。



問題のその選手はS.M(仮名)。


元は女優目指して養成所に通っていたのを、プロレスという道もあると、関係者にスカウトされたそうである。

スカウトされた場所は下町の飲食店だ。この界隈では高級な店になるそうである。


これは当時、実際に現場を目撃、本人とも食事の機会を持った現在法律家のY.K氏の証言である。


S.Mはよく練習環境がよくなかったという意味のことを語っていたが、本人が練習熱心でなかったのが事実らしい。当時の先輩の選手たちがそう証言している。

芸能活動もVシネマなどへの出演等、厳しい芸能界の中で地歩を築いていった。しかし、本人は自分のことは棚に上げ、Vシネマ仕事に不満を持っていたらしいが。


仕事をしていく上で徐々に弊害も出てきた。制作コストがかかるにも関わらず、ポートレート売上配分で不満を漏らしていたと当時の関係者は証言している。

プロレス雑誌のインタビューでは自分は義理固いと嘘八百並べている。「M」のメンバーが全くの濡れ衣の冤罪で逮捕(後日、不起訴)された際、あっさり、離脱した薄情さは忘れない。理由は、このまま所属していると自分たちまでイメージが悪くなる、ということで、選手たちが不起訴で出てきたのに、あっさり、離脱を宣言してしまったのであった。


そして、その後、デビュー当時からサポートをしていた広告代理店、芸能プロダクションもメール1つでその関係を打ち切ろうとする不義理。挙句の果てには弁護士沙汰という顛末で揉めたそうである。

業界慣習を考えても、今後、CMや芸能界での活躍は二度とできないであろう。


「M」退団からフリー活動に至る離脱の要因はいくつか挙げられるが、本人の身勝手さ、勘違い、マッチメイクをめぐって当時所属していたBへの意味のない嫉妬、女子団体WのGその他が中心となって離脱をそそのかしたことなどである。



Sが周囲に、「何かあったら、Gが守ってくれる、と言っている」と本人自らが関係者に喧伝していたことを他の選手から耳にした関係者も多い。


この問題の本質は、Sのマインドにもあるが、そそのかした人間にこそ、大罪があり、決して許されるべきものではない。


よってGなど当時の要因をつくった関係者には今後、天罰が下るものと確信する。そして、そういう世の中でなければならないであろう。


これはある意味、変革のための戦いなのである。