
きょうは、1型糖尿病を発症後、間もない頃からつきあいが始まり、いまもつながっている友達について、当時の医療や入院のことなどに触れながら、ブログをアップしました。
私も発症当時にタイムスリップしたかのように、あのころを懐かしんで、長々と書いてしまいましたので、時間に余裕があるときに、読んでいただければ幸いです。
発症当時、もう20年以上も前のことですが、入院は、「インスリン注射をしっかり自分で打てるようになること」や「糖尿病食の勉強プログラムなど」‥‥が、織り交ぜられたもので、入院の期間がとても長く、1ヶ月以上の入院生活を送りました。
そのころ、特に たたき込まれた(⁈)糖尿病食の食品交換表のことは、いまも しっかりと覚えています。歳をとると、昔のことほど よく覚えている‥‥らしい ‥‥です。f^_^;
私は、当時、食事の単位数は20単位でした。
1単位は 80kcalなので、1600kcal。
これが、私の1日の総摂取カロリー。
これに従って、入院中の朝、昼、夕食が、1/3食ずつ ほぼ同じバランスになるように配分された、給食がでてきました。
この同じ比率の配分は、糖尿病食 特有のようで、そのころは まだ 夕食に重きをおく 日本の食事事情の中、入院中の糖尿病食の朝食だけは、常食(= 一般食)の朝ごはんより、少しだけ豪華でした。
糖尿病食の朝食には いつも たっぷりフレッシュなフルーツがついていたのです。
でも、糖尿病食の夕食は、常食(= 一般食)と比べてしまうと、かなり見劣りしていたような‥‥

感じでした。
(私が入院していた当時の病院での印象でこれは単なる私の毒舌です (^▽^;) )
ところで、糖尿病と診断された人は、糖尿病内科の入院はもちろん、ほかの何科でも、入院となれば、病院の給食は ‥‥
「糖尿病食」が 出てくるんです!これは、糖尿病が完治しない限り、一生付いてくることで、もし、知らなかったと言う人は、頭の片隅に入れておいてくださいね。(入院などしたくはないと思いますがヽ(´o`;)
とにかく、入院したら、1型、2型ともに、糖尿病食なんですよ〜!
私は、整形外科(腰の手術)で入院していた時、
4人部屋でしたが、2人は常食、私と もう1人は、糖尿病食でした。
これから、高齢化などで、糖尿病の人が、他の病で入院する機会が増えてくると思います。
たとえば‥‥1型を持ちながら、腰の手術。
一般的には臨床例が多くて有名な病院がいい病院だと思いますが、糖尿病の専門医がいなければ、特に1型糖尿病の私たちは、手術中の血糖管理も必要な上、術前術後の血糖管理も重要なので、血糖コントロールが悪くなってしまいます。
だから、糖尿病の専門医がいて、該当する科と連携がとれる病院。こういった病院が、私たち糖尿病者が、安心できる良い病院なのだと私は思うのです。
話がだいぶ それてしまいましたが、
食事療法のことに戻ります。
ちなみに、現在の私の糖尿病食の単位は、
18単位 = 1440 kcal です
年齢とともに基礎代謝と活動量が減ったので、以前の20単位より2単位少なくなりました。
この単位は主治医の処方です。
18単位の食事の場合、私が1型でお世話になっている病院では、1食 約500kcal 白飯150gが、出されますが‥‥、私もうちでは、カーボカウントを知るまでは、長年、この糖尿病協会の食品交換表に従って、食事作りと 血糖コントロールをしていたのですが‥‥‥‥⁈
インスリン依存者にとっては、血糖コントロールに焦点を絞った場合、これだけでは、良好な血糖コントロールは、できるはずもない‥‥のです。
ぜんぜん、役に立たない‥‥!と、小さな声で言います。
食品交換表をつかっての、食生活は、今も、もちろん、糖尿病食の基本ですが、こと、インスリンを打つ身として、その立場になると、実際、役に立つのは、カーボカウント!
インスリン効果値 やインスリン/カーボ比 を含むカーボカウント!です。
注)上記は個人的な意見です
おそらく、比較的 最近に 1型糖尿病を発症した人は、カーボカウントを主流にされているように思います。私は、今年1月から、真面目にカーボカウント始めました。結果は、上々です。
話は、発症した当時に戻りますが‥‥
そのころ、ちょうどペン型のインスリンカートリッジが使えるようになった時期でした。今ほど細くて短い針ではなかったことと、いまはA型の針ならどのメーカーのものをつかってもOKなのに、当時は、インスリン製剤には決められた針でなければいけなかった時代がありました。
この針の互換性の話は、たいした情報ではなかったです 

失礼しました 

発症当初から 私はペン型インスリンが使えたのですが、それ以前は、予防接種の注射のような シリンジ型の長い針で打つ インスリン注射だったそうです。
この違いを教えてくれたのは、長年インスリンを打っていた年長者のかたでした。入院時、同室だった この先輩から、そう言う事を教えてもらったことで、当時、インスリンを打つことに かなり抵抗があった私は『以前のことに比べたら‥‥そうかぁ‥
いま(その当時のいま)は、楽になったんだ‥‥!』と、なぜか納得し、気が楽になり、その便利になったというカートリッジのインスリン注射とペン型注射針を比較的 素なおに受け入れることができました。
消毒綿は、病院で教えてもらった方法で 自分で作って用意していました。薬局で、脱脂綿と消毒用のアルコール液を買い、適度な大きさにカットした脱脂綿にアルコール液を染み込ませるだけですが、これを蓋つきのびんに入れて保存しておくのです。出かけるときは、ジッパー付きのビニールの小袋にそのアルコール綿を入れ、インスリンペンと一緒に持ち歩きました。それも、いまは、1包ずつの消毒綿があるので、徐々に昔の手間が少なくなっているのを実感します。
昔は‥とか、以前は‥とか、多言してしまい、余程のお年寄りに間違えられてしまうかもしれないので、その言葉は 少し控えま〜す。

歳は歳に間違いは ないのですが!
1型糖尿病になりたての長かった入院生活を終え、私が退院した時期は、3月でした。4月から娘は高校一年、息子は中学一年生になるときなので、入院中、一時外泊許可をもらって、卒業式に出席しました。退院してほどなく、中学校と高校の入学式に出席したりと、忙しい時期でした。
この病気は、寝込むような病気ではないし、見かけ上、どこが悪いかわからない‥‥しかも食後、運動だってする、いたって健康そう‥‥という特徴の病気。それなのに 実際1ヶ月以上も家を空け入院していた訳で、よその人には、一体どんな重病⁈‥‥と、なんとも説明し難い、説得力に欠ける病人でした。
だから、病気のことは、黙っていても問題にならないことが多いので、家族は別として、自分と関わりのある他の人に 病気のことを言うか言わないかは、そのときどきに応じて、いまも自分の都合で決めています。
私は、下の子どもが小学校高学年になったのを機に 週2〜3日仕事をしていましたが、この病気にかかり、1カ月あまりの入院生活のあと、いったん 専業主婦にもどりました。
そんな折、新高校一年生となった娘の県立高校のPTA委員の依頼の話があり、私は仕事も辞めたことだし委員を引き受けることにしました。一旦引き受けると、3年間 子どもが卒業するまでが任期でした。
新委員の役割を決める時、名乗りがあった人から順に役が決まっていきましたが、最後に残ってしまった5人。その5人は全員、なり手のなかった【広報部】に割り当てられました。
私もそのうちの1人でしたが‥‥
‥‥【残り物には福がある】だったのです。
あれから‥‥
私の1型糖尿病歴とほぼ同じ年月、
20年あまりの歳月が過ぎ‥‥‥
いま 月1回のペースで、その時のPTA広報部のOG 5人でランチ会をしています。5人が再会して、ランチ会をするようになったのは、5年くらい前からです。
それぞれ みんなの家庭内もだいぶ落ち着き、日にちを決めてランチをする余裕ができるようになったのが‥‥5年くらい前でした。
5人の家庭環境は、それぞれ全く違います。5人の年齢もバラバラで、上と下の年齢差は、7歳!私ともう一人は、二人とも義母と同居だったのが共通点。実の親と同居の人もいるし、義父、義母と同居しながら、近くに住む実母の世話をみているひとりっ子の娘の人。三姉妹の子どもがいて、その長女が私たち広報部OG 共通の学年の子どもですが、その三姉妹の末っ子が結婚し子ども(孫)が生まれ、姉たちは独身!‥‥とか、
とにかく、家庭環境はさまざまですが、子どもが高校時代共通の学年、その母親たち5人です。
会うと話す内容は、たくさんあって、話は尽きません。
ランチの後は、長居ができる喫茶店に移動していたのですが、最近は、私の家でお茶をする流れになっています。義母が亡くなってからは、日中、私とわんこだけなので。
住んでいる地域や区も違いますが、1人が車を🚘だしてくれて、各家の最寄りの待機場所で1人ずつ乗せて、最後が私のところで、全員が合流します。
帰る間際に 次回の日程を話し合って決めますが、日にちを決めた後に もし、1人都合が悪くなったら、会える日にちを調整しなおします。
うまく調整できないときは、4人出席の場合ならランチ会を続行。2人以上都合が悪くなった場合は、次回に持ち越します。そんな、ゆる〜い感じなので、長年続いています。
長年 とてもいい環境なんですが、私は、1型糖尿病のことは、この仲間には言っていません。
べつに隠すつもりもないのですが、そのうちに、みんなで泊まりに行く事にでもなったら、言っておこうかなぁ、と、いう感じです。
乳がんの手術をしたのは、まだ、このランチ会の習慣がなかった時期なので、黙っていれば、済むことなのに、みんなに話しました。そして、腰の手術の前後は、理由を話して、しばらく回復するまで、私だけ、ランチ会をお休みしていました。
ランチをする店には、ほぼ 予約してから行っています。5人もいるので!
お店では、私は 必ず 出入りしやすい場所に座るようにしています。たいていは、そういった場所は、下座になりますが、ちょうど いちばん年下なので、そこに座ることによって、インスリン注射を打つために、化粧室に行きやすくなります。
ランチでは、メニューの中から、1型特有の厳選した目で食事をチョイスするのですが、運ばれてきたものが思いのほかボリュームがあって食べきれそうにない時は、誰かにもらってもらったり、残したり‥‥。私は、少食と思われているので、そうしたことで、気を使わずに済んでいます。
このランチ会、月1回ですが、毎回 話す内容は見事に、違った話題です。話題のマンネリ化は、多分、これからもないと思うのです。5人とも、みんな、聞き上手だから、話した人も、スッキリします。最近は、親の介護のことや年金のことなども。はたまた、娘さんの影響でジャニーズ系に詳しい人もいたりで、知らなかったことも、
「そうなんだ〜!」と、幅が広い情報がはいってきます。熟年の主婦‥‥5人のランチ会!
5人集まると、お互いに知らない情報を補い合って、すごいパワーで、元気になれるんです!

魚中心の和食店でのランチ!
4人は名古屋っぽい『大きな海老フライ定食』
私はひとり 手前の『お刺身定食』
今回は、おみやげが集中しました。
鳥取のお土産、『ドリップ式のコーヒー豆』で、コーヒーを淹れて、みんなで飲みました。
ケーキは、ランチの後、私の家に移動してくる途中に、ケーキ屋さんで それぞれが好きなものを選んで購入したケーキ。だれかが、一時立て替えて支払い、家に来てから清算(割り勘)。
法事で山口の実家に行っていた人のお土産 !
「萩のしそわかめ」と 愛媛の「一六タルト」。
(ご主人の実家 愛媛にも寄ったから‥とのこと。)
これらは それぞれ みんなに1組ずつの大盤振る舞い。
『砂コーヒー』これは みんなで試飲。
【追記】
日本糖尿病協会の「糖尿病ライフ さかえ」という、月刊誌があります。その最新の6月号に、
『糖尿病に対する膵臓移植・膵島移植とは』‥‥
というテーマで、5ページにわたる特集が載っていました。
日本国内の実施状況や手術の適応者のこと、手術の方法、術後経過、成績、受けるための手続きのことなど、かなり詳しい情報でした。
私は、心に重くのしかかってくるような思いで、その記事に目を通しました。
と、同時に 私は【iPS細胞】再生医療「膵島」の実用化が早まることのほうを期待したいと思いました。
それが出来れば、1型が完治する日の到来です。
そんな風に思います。



ありがとうございました。

