しかし自分の名前を名乗りもせず、九月の始めになると、また当地を通るから、そのときに気が向いたら寄ろうなどと云ったそうだ。なんという不可解な紳士だろう。話をきくと、妾に好意を持っているようでいて、よく考えると行動の上に於て、この位怪しい人物はないと思われる。黙って殺人をして引取っていったとすると、これは実に大胆不敵な兇漢であるといわなければならない。妾を吃驚させるなんて――殺人者として妾の目の前に立って吃驚させるぞという悪党らしい遊戯かも知れない。
ただ腑に落ちないのは、妾にこの上なくよく似ているということである。静枝がよく似ていると自分でも思っているがキヨはそれよりももっとよく似ているという。未知の同胞を探していると公表したけれど、こう後から後へと妾によく似た人物が出て来たのでは、気味がわるくて仕方がない。
妾は、その怪紳士が寄るかもしれないと云い残して置いた九月を迎えるのが、急に恐ろしく感ぜられてきた。
八月も末になって、暑さが大分|和らいで来た。
或る日妾は、なんとなく家にいるのが堪えられなくなってブラリと邸を出た。久し振りの散歩につい興に乗って、思わずも歩を搬びすぎ、いつの間にか隣村の鎮守の杜の傍に出た。
