16日、08年北京五輪男子マラソン金メダリスト、ケニア出身の


サムエル・ワンジル(24)の突然の訃報が伝えられた。


日本の高校、実業団で力を伸ばした選手だけに、


国内の陸上関係者は驚きと深い悲しみに包まれた。


 ワンジルは15歳で宮城・仙台育英高に留学。


当時の監督だった渡辺高夫さん(63)は「残念で無念で悔しい。


彼の死をどう理解していいのか」とうつむいた。


北京五輪では、渡辺さんが教えた「我慢」を徹底。


五輪記録を24年ぶりに塗り替える2時間6分32秒で優勝した。


今年3月に電話した際には「(トラブルが報じられた)妻とは仲直りをした。


もう心配しなくていい」と声の調子は明るかったという。


ワンジルが3年生だった04年の全国高校駅伝で同校は


2時間1分32秒と驚異的なタイムで優勝した。


「あの記録をいつかはサムエルが破るかと思ったのに……」


 マラソンの自己ベストは世界歴代10傑にも入らない2時間5分10秒だが、


シカゴ、ロンドンと主要マラソンを制するなど勝負強さは際立っていた。


実業団で指導したトヨタ自動車九州の森下広一監督は「速い選手が出てきても、


今でもトップはサムだと思っている。駆け引きなどを含めた強さがあった。


もっと活躍できたのに、もったいない」と悔やんだ。また、森下監督はこうも語った。


「昨年12月に電話で『戻りたい』と連絡してきた。


腰をすえて練習できる場所を求めていたのかも」


 08年12月、ワンジルは本紙のインタビューに「日本でマラソンを知り、


マラソンの走り方を教えてもらった。


世界記録の更新とロンドン五輪の金メダルが目標」と答えた。


才能豊かな若者の夢は、思わぬ形でついえてしまった。