十一日午後二時四十六分、三陸沖を震源とする国内観測史上最大の巨大地震が発生した。
震源から離れた群馬県でも、桐生市で震度6弱を観測し、県内全域が大きな揺れに見舞われ、各地で被害が発生。
新聞各紙が阪神大地震の教訓を生かすよう訴えているように、地震に対して、最も大切なことは過去の震災から学ぶことであろう。
この点を群馬県にあてはめると「西埼玉地震」に注目しなければならない。観測史上、本県が被災地となった唯一の地震である。
同地震は昭和六年九月二十一日午前十一時十九分、埼玉県仙元山付近(小川町)を震源とし、高崎・渋川・松井田などが震度6(烈震)、前橋・安中・藤岡などが震度5(強震)だった。被害状況は関東大震災より大きな被害を出した。
黒滝山不動寺(南牧村)では裏手の断崖が崩落し、庫裡(くり)内に避難中の三名が圧死。藤岡では工場の煙突が倒壊し、労働者一名が犠牲となった。
当時の群馬県は県会議員選挙のまっただ中であったが、選挙どころではなく、県保安課が総動員で情報をとりまとめ知事・警察部長に急報し、同日夜までに総括的報告を内務大臣に通達した。
物的被害に対し人的被害が少なかったのは、養蚕農家が多く、桑摘みに出ている人が多かったのが幸いした。新築家屋が全滅したり、公共施設にも多くの被害が生じた。
群馬県の災害史をみると、救援活動を行った関東大震災については県内どこの自治体史にも取り上げられているが、本県が被災地となった西埼玉地震は忘れられた出来事になっている。
