1990年代以降のディランは『ネバー・エンディング・ツアー』と名付けられた、主に小ホールを回るライブ活動が中心となった。その分レコーディングに消極的になった感は否めない。『U2』のボノに勧められてダリエル・ラノワをプロデューサーに迎えた『オー・マーシー』(89)は野心作であったが、売り上げは思った程伸びなかった。

 その反省もあったのか27枚目のオリジナルアルバムになる『アンダー・ザ・レッドスカイ』は、ダンスユニットとして人気を博していた『ウォズ (ノット・ウォズ)』をプロデューサーに迎えてのレコーディング(尤も彼らの音楽を聴いた記憶は無いのだが。あいすません)。1曲ずつスタジオに入るまで誰がバックを務めるのかディランが知らないまま進行…ってドッキリ企画かよ(笑)。ゲストミュージシャンの豪華さで売り上げ増を狙う商法。ディランが良くOKしたなって気もするけど、彼なりに新しい音楽的な刺激が欲しかった気持ちもあったのかもしれない。

 基本的にベース(ランディ・ジャクソン。何とマイケル・ジャクソンの弟)、ドラムス(ケニー・アロノフ。ジョン・クーガー・メレンキャンプのバックバンドに在籍)以外は演奏メンバーが入れ替わるのだ。

 

 トラック1『ウィグル・ウィグル』は邦題を付ければ「くねくね」となるらしい。ギターに人気抜群のロックバンド『ガンズ&ロージズ』のスラッシュと、ジャクソン・ブラウンのバッキングで有名になったデヴィッド・リンドレーがギターで参加。イントロのギターソロはスラッシュらしいけど、曲に入るとドラムスの音がやたら大きいミキシングが特徴のロカビリー風。リンドレーらしいギターはエンディングで入ってくるけどあっさりフェイド・アウト。

 トラック2『アンダー・ザ・レッド・スカイ』ではジョージ・ハリスン(ギター)、アル・クーパー(キーボード)といった付き合いが深い連中が参加。「風を低く吹かせろ 風を高く吹かせろ」「少年と少女はパイの上で焼かれてしまった」とか60年代を念頭に入れた様なワードが登場する。ポップなカントリー・ロックテイストのサウンドは結構いい。ジョージのスライドギターソロも当然聴き物であろう。

 トラック3『アンビリーヴァブル』では高名なスタジオ・ミュージシャン、ワディ・マクテルがギターを担当。トラック1と酷似したメロディーで区分けがつきにくい。キーボードは前曲に続きアル・クーパー。間奏ではディランのハーモニカがフィーチャー。矢継ぎ早に唄うディラン節を一応堪能。

 トラック4『ボーン・イン・タイム』はデビィッド・クロスビー(コーラス)、ロベン・フォード(ギター)、ブルース・ホーンズビー(ピアノ)と超有名人が参加。一応ラブソングだが観念的なワードが並んだ詞。ディランのヴォーカルを特に際立たせたミキシングで、それまでの曲とは違うしっとり系メロディー。小さめに入っているアコーディオンはディランが弾いている。演奏はなかなかいい感じだが…。前作アルバムから漏れた曲だとか。

トラック5『T.V.トーキング・ソング』は結構ストレートなTVメディア批判ソング…だと思う。フォードとホーンズビーは続けてこの曲にも参加。生音近いシンプルなミキシングで、時代に逆行する感じもあるサウンド作り。ホーンズビーのピアノがいいプレイ。

 トラック6『テン・サウザンド・メン 』のギターはデヴィッド・リンドレーにジミー&スティーヴィー・レイのヴォーン兄弟。イントロから鳴り響くスライドギターはリンドレー。ブルースコードの何か懐かしくもある楽曲で、ブルースだからヴォーン兄弟が参加したのだろうが、彼らが活躍するパートは用意されていない。

 トラック7『ツー・バイ・ツー』はデヴィッド・クロスビー、エルトン・ジョン(ピアノ)が参加。カントリーフィーリング溢れる曲で、クロスビーとのコーラスがいい感じ。エルトン・ジョンは間奏でピアノを弾いているがあんまり目立つ事も無く、二大スターの共演ナンバーを期待した向きには不満が残るか。

 トラック8『ゴッド・ノウズ』「神は知っている」を繰り返しつつ聴き手に禅問答を仕掛けている節もある。エルトン・ジョン、ヴォーン弟(スティーヴィー)らが参加。ディランが弾くアコースティックギターを主軸にしたアレンジで、後半からヴォーン弟のギターがフィーチャー。エルトン・ジョンのピアノは殆ど聴き取り不可能?

これも前作の未発表曲だった。 

 トラック9『ハンディ・ダンディ』のイントロのオルガン(アル・クーパー)は『ライク・ア・ローリング・ストーン』に酷似。全体的なアレンジも60年代ぽく俺の様な世代には親しみ易いのだが、サビ以外は『ライク~』にそっくりというのは…。この曲のリードギターはヴォーン兄(ジミー)。

 アルバム最後の曲『キャッツ・イン・ザ・ウェル』はリンドレー、ヴォーン兄弟らが参加。本アルバム中一番景気がいいロックン・ロールスタイルのナンバーで、ホーン・セクションも入ってくる。リンドレ―のスライドギター(アコースティックギター)が大奮闘。

 

 発売時は酷評されたアルバム。確かにトラック9などを聴くと作曲意欲が減退しているなと思わざるを得ないし、90年代に即した音楽ではないけど、どんな豪華メンバーと共演しようとも自分のペースを崩さないディランの一徹さが結構好き。聴いている分にはそこまで悪いアルバムではないと思う。少なくとも『グレイトフル・デッド』との共演ライブ盤に比べれば10倍はイイ。

 尤もディランは出来には不満足だったぽく、本アルバム以降アルバムも新曲も作らずツアーするだけ…の日々が7年も続くのだ…。

 ツアーに明け暮れた1972年の『レッド・ツェッぺリン』。10月の日本ツアーの頃は精神的にも疲労困憊し、日本武道館ライブの幕が開く直前までロバート・プラントとジョン・ボーナムが殴り合っていたという証言もある。そんなツアーの合間を縫ってアルバムのレコーディングは転々と場所を替えながら進められた。5月には全ての作業は終了。73年3月5枚目のアルバム『聖なる館』は発表された。

ツェッぺリンのアルバムに正式タイトルが付いたのは初めて。アルバムジャケットを巡って一騒動あったらしいが、今だったらこのジャケットは、日本発売の時点で差し替えられるであろう。

 

 アナログA面1曲目『永遠の詩』は元々インスト曲だったが、後でプラントが歌詞を付けた。ツアー中のまだポジティヴだった頃の心情を歌詞に認めた物らしい。早いテンポのハードロックでイントロからジミー・ペイジ考案のギターリフとソロが炸裂。プラントのヴォーカルが入ってからは転調してスローナンバーに一変し、後半また元のリズムに戻る。英国ロックならではのドロッとした感じはあまり無く、かなりアメリカンナイズされた印象のハードロックナンバー。「永遠の詩」は映画『レッド・ツェッぺリン/狂熱のライブ』(76)サントラアルバムのタイトル名になっている。

 

 2曲目『レイン・ソング』はジョージ・ハリスンにバラード曲を演った方がいいと言われペイジが作曲したとか。厳かなアコースティックギターから始まり、気怠いプラントのヴォーカルが入る。そこにツェッぺリンサウンドの影の立役者、ジョン・ポール・ジョーンズが演奏するメロトロンが大々的に取り入れられ、以前のツェッぺリンにはあまりなかった溶明感を感じ取れる事が出来る。個人的には名曲評価。

 3曲目『丘の向こうに』はアルバムジャケットのアイディアの基になったナンバー。アコースティック12弦ギターに一本をバックに唄う導入部が、いきなりハードロックに一変する下りはツェッぺリンならではのスリリングさ。歌詞は単純な自省的な物。でもペイジのギターソロはかなり異色なプレイ。アコースティックギターと交錯するパートなどアレンジに凝っていてこのままの形でのライブ演奏は不可能。日本や米国などでシングルカットされたが、あまりヒットしなかった。余韻を残すエンディング。

 A面最後の曲『クランジ』はメンバー全員の共作曲。ボーナムとジョーンズの鉄壁なリズムセクションを強調しながらのツェッぺリン風ファンクナンバー。歌詞も黒人ファンクナンバーを意識した物になっている。ジョーンズがオーバーダビングしたクラビネットのプレイも印象的。

 

 アナログB面1曲目『ダンシング・デイズ』はギターソロはあまりフィーチャーされず基本的にリフだけで聴かせるという、当時のロックとしてはあまり見当たらないタイプの曲。かなり分裂した詞であるが…。本アルバムの収録曲中一番安定感がある曲だけど、スリリングさを求めるツェッぺリンファンは物足りなさを覚えてもおかしくない。

 2曲目『デジャ・メイク・ハー』は、正式には「ジャメイカ」と発音するのだと今回初めて知った。言うまでもなくツェッぺリン初めてのレゲエナンバーだが、アレンジのせいでレゲエというよりロッカバラード風になっているのがミソ。男心をくすぐる(笑)プラントのヴォーカルが俺好みだが、従来のツェッぺリンファンの評価は…。シングルカットされこれは結構ヒットした。ただレコーディングしただけで満足したのかライブでは一切演奏されずに終わる。メンバー全員の共作。レゲエミュージシャンのカバーヴァージョン多し。

 

 

 3曲目『ノー・クォーター』は前作アルバムから漏れた曲を新アレンジでレコーディングした物。ジョーンズの弾くエレクトリックピアノのイントロが印象的。観念的な詞を唄うプラントのヴォーカルはかなり加工されている。重々しい従来のツェッぺリンサウンドに、秘められていたジョーンズの才能が光る(間奏ではソロも取る)。ペイジは珍しくフュージョンぽいギターソロを演奏。ツェッぺリンサウンドの新しい方向性を模索した曲。後のペイジ&プラントのアルバムで再録され、アルバムタイトルにもなった。

 アルバム最後の曲『オーシャン』はメンバー全員の共作。これも随分落ち着いた感じで始まるハードロック。ブルースを主軸にしていた1stアルバムの頃から比べると随分メタリックな感じになったな…という感慨を覚える。エンディング近くになってガラリ雰囲気が変わりペイジのソロが縦横無尽に活躍する辺りは、さすがに聴かせます。

 

 今回初めて聴く事になったアルバムではあるが、あんまり初めてという気がしない…というのはジョン・ポール・ジョーンズが真価を発揮した2曲は『永遠の詩』で散々聴いたから。前作の様なキャッチーなハードロックナンバー、『天国への階段』みたいな抒情性あるナンバーを欠いていた為批評筋からは味噌糞の酷評されたらしいが、次作の大作『フィジカル・グラフティ』へと繋がる過渡期的アルバムと捉えれば、そんなに青筋立てるアルバムではないと思うのだが…。

 このアルバムの時点で既に、レッド・ツェッペリンは単なるハードロックバンドではない道を志向しつつあったって事だ。

 

 天正6年(1578)冬。荒木村重(本木雅弘)は主君・織田信長に反逆、摂津の国の有岡城に立て籠り毛利の援軍を期待している。謀反を思い止まる様に織田方から黒田官兵衛(菅田将暉)が派遣されたが、村重はそれを聞き入れず官兵衛を地下牢に幽閉。村重の配下・安部二右衛門が織田側に寝返った。人質になっていた二右衛門の子・自念は切腹を申し出るが村重は良しとしなかった。だが自念は死体になって発見される…。

 個性派監督・黒沢清の新作は初の時代劇への挑戦。信長に対して謎の叛旗を翻した荒木村重の逸話を基に、米澤穂信が2019~20年にかけ発表した連作短編小説集を原作にして黒沢自身が脚色。村重立て籠る有岡城内外に起こる怪事件を四季の移り変わりを背景にして描く。俺個人としては『永い言い訳』(16)以来の主演作の鑑賞となった本木雅弘に、今年は『人はなぜラブレターを書くのか』に続いての出演作になる菅田将暉、伊藤野枝に扮した『風よ あらしよ劇場版』(24)以来の出演作になる吉高由里子、オダギリジョーなど豪華キャストが集った。TBSが製作し松竹系で現在公開中。

 自念は僅かに空いた襖の隙間から部屋内に弓矢を放たれ腹を射抜かれて死んだと思われるが矢は見当たらず、庭先に賊の者と思われる足跡は発見されていない。言わば密室殺人である。村重は自ら事件捜査に当り犯人かと思われる城内の家来や、味方として有岡城に詰めている雑賀衆の一人が犯人かなと疑ってみたが、彼にはアリバイがあった。行き詰った村重は地下牢に降り、牢に繋がれている官兵衛に助言を求める形になる。すると官兵衛は啓示的な事を村重に喋り、村重はそれを頭に入れながら改めて捜査すると見事に密室殺人は解決。春になるとまた新たに謎の事件が起こって…。

 予備知識が全く無い状態で観たので時代劇なのに俗に言うチャンバラシーンが皆無な展開に驚く。前半はかなりキツい。主役のモックンが全シーン出ずっぱりな為至極閉塞感を覚えてしまうのだ。だが後半になるに従い映画マニアならお馴染みの黒沢清節が炸裂(笑)。いつ斬殺されてもおかしくない立場ながら明晰な頭脳で村重の弱みを探り当て、逆に精神的に村重を支配するに至る官兵衛の存在は、黒沢の旧作『CURE キュア』(97)の連続殺人鬼(萩原聖人)と酷似。良く練られた構成の巧みさ故に退屈な前半を耐えれば心理劇としての面白さは味わえるが、観る人が試されている感も。

 

作品評価★★★

(『CURE キュア』の作品評価はともかく大コケし、プロデューサーの奥山和由が松竹を追われる遠因になったが、果たして本作の興行成績は…。時代劇の形を取った心理的な推理ドラマというのが意表を付いていた。豪華キャストは無駄遣いぽいけど)

 

付録コラム~日本ロケで2兆円は稼げない

 先日TV番組を観て自民党政府?が経済効果の一環として映画(正確にはハリウッドのメジャー映画)の日本ロケの誘致を考えているという情報を知った。もしそれが軌道に乗れば一本のヒット作について2兆円の経済効果をもたらす可能性があると、番組内で池上彰がしたり顔で解説していたが…。

 日本を舞台にしたハリウッド映画というと直ぐ連想されるのが『ブラック・レイン』(90)や『ラスト・サムライ』(03)だが『ブラック・レイン』は日本側のロケに対する姿勢が非協力的で日本贔屓だった監督のリドリー・スコット(『ブレードランナー』を観れば日本好きが判るよね)が大激怒、「もう日本ロケは絶対やらない」とまで言い切ったとか。予定していた東京での撮影は全部NGで大阪に場所変更、多くのシーン撮影は米国ロケで行ったと言われている。

『ラスト・サムライ』の寺院シーンは兵庫県、実景ショット撮りで熊本ロケが行われたらしいが、合戦シーンなど主な撮影はニュージーランドで行われた様だ。つまり日本が舞台でも撮影の大半は海外で行われるというのが、今日では当たり前になっているという認識は映画マニアの常識である。

 ましてCGが定着し生成AIまで映画が取り入れられんとする現状にあって、莫大なロケ費と手間暇をかけて日本に長期滞在ロケをするメジャーハリウッドの映画クルーなんて有り得ない気がする。誘致が可能だと考える人は映画界の趨勢を知らないのか、映画製作をNHKの朝ドラや大河ドラマと同じレベルで考えているというしかない。2兆円なんて取らぬ狸の皮算用と言わざるを得ないな。

 

 

 

 

 

 俺はPCで映画を観るのがどうしても馴染めず、未だにやってはいないけど今やネット配信を契約し観るのが映画マニアの当たり前になりつつある(もうなってる?)。確かに俺みたいなど田舎在住人間が旧作を観たいなと思ってもそんな物を上映する映画館など皆無、近所のレンタルヴィデオ店も消滅した。唯一ネット配信のみが旧作と出会える機会なのだ。

 本書はそういう世の趨勢を考えて俺の様な邦画の沼にどっぷりと浸かった人間にではなく、邦画に興味を持ちつつある初心者マニア向けにこういう面白い作品がありますよ…と紹介する入門書的な本。映画史、時代劇研究家として近年いい仕事をしている春日太一が『週刊文春』に2012月6月~25年8月まで連載していた『木曜邦画劇場』の記事からセレクト。『木曜邦画劇場』は紙媒体では終了してしまったけど、ネットに場を移して継続中…との事。

『木曜邦画劇場』は以前文藝春秋社から『泥沼スクリーン これまで観てきた映画のこと』の題名でダイジェスト版として単行本化済みで俺も読了。著者はその時の反省(「自分」を出し過ぎた)から今回は編集者側に作品セレクトを任せた。敢えて他者に委ねる事である程度の客観性を持たせる事が、邦画旧作紹介本としてはベターと思った…という事だろうか。

 テーマ別に12項目に分けて著者が感じ入った作品を紹介しコンパクトに内容説明する…という構成。紹介されている作品は黒澤明の『乱』(85)を除けば娯楽映画の範疇に入る作品ばかり。そこは映画文筆家としての著者の矜恃を感じさせる。80年代以降の公開作品が意外と多いのは、77年生まれという著者の世代的目線からであろう。

 勿論俺と著者では映画嗜好は全く違うからエッ、こんな作品が入っているのか、この監督ならもっと良作があるのに…と思った箇所は何か所かある。自分を出さないと言いつつも「仄暗い青春に捧ぐ」の稿では、著者の無為に過ごした青春時代が回想され「世間のリア充的な生き方をしている人の笑顔を見ると居たたまれない気持ちになった」と書いている。世代は二回りぐらい違うけど俺も金無し女無しな、回りから見ると惨めな青春時代を映画(主に日本映画)に溺れる事でやり過ごして生きてきた。結局邦画に熱中する人で満足した日常生活を送っている人なんて、昔も今もそんなにいないんではないだろうか。邦画の魅力はそんな後ろめたさと無縁ではない様に思える。

 紹介されている個々の作品に触れているとキリが無いのだが『人斬り与太 狂犬三兄弟』(72)で壮絶な演技を披露した渚まゆみはてっきり嫌々出演したのだろうと思っていたが、自分のイメージを変えたくてマネージャーの反対を押し切り自らの意志で出演したとの事(主演の菅原文太・談)。凄い女優根性だ!

 俺が観た事がない作品が10本ぐらいチョイスされていたが『花嫁吸血魔』(60)は是非観てみたい。お茶の間の人気者だった池内淳子が、殺されたが毛むくじゃらの吸血獣人として蘇る、池内本人が黒歴史として封印したホラー作品。勿論製作したのは新東宝(笑)。

 

 俺向けの本ではない内容だし読み応えという点では物足り無さは否めないけど、邦画の旧作がテーマというだけである程度の満足感を覚えるのも事実。著者の新刊『なめたらあかんぜよ 脚本家・高田宏治が生きた東映五十年の狂熱』を読みたいのだが、県庁所在市にある大型書店にも置いてなかった…。

 最後に本書のテーマに合わせ、俺が勧める「本当に面白かった娯楽映画」を会社別にチョイスしてみた。喜劇映画が多くなってしまったのはあいすません。

 

①『喜劇・泥棒大家族/天下を盗る』(72年 監督・坪島孝 主演・植木等) 

 

②『兵隊やくざ』(65年 監督・増村保造 主演・勝新太郎)

 

③『直撃地獄拳・大逆転』(74年 監督・石井輝男 主演・千葉真一)

 

④『喜劇・女は度胸』(69年 監督・森崎東 主演・倍賞美津子)

 

⑤『黒い賭博師・悪魔の左手』(66年 監督・中平康 主演・小林旭)

 

付録コラム~米国にワールドカップ主催する資格無し?

 愈々『サッカーワールドカップ2026』が開幕。サッカーにプロ野球のセパリーグ戦の再開、更にテニス競技の最高峰ウィンブルトン・テニスも6月末から7月中旬まで開催される。スポーツマニアとしては勝手に寝る暇もない忙しさ?

 そう言えば某TV中継アナウンサーが「交戦国がワールドカップを主催するのは初めてで…」と言っておったが、これって結構重要なキーワード。戦争を起こした国は国際スポーツ大会から除外される事が恒例になっており、1992年のバルセロナ五輪ではユーゴ紛争を起こしたユーゴスラビアの出場は認められなかった(但し個人資格でのユーゴスラビア選手の出場は許可)。22年の北京冬季五輪直後ウクライナに戦争を仕掛けたロシア、その同盟国であるベラルーシは以降一切の国際大会から除外されている(これも去年辺りから、各競技で個人資格ならロシア&ベラルーシ選手の出場はOKになりつつある)。

 今回のイランとの戦争はどう言い逃れをしようとも米国が仕掛けた戦争。その論理でいけば米国はワールドカップの主催以前に出場辞退はく奪されて当然のはずだが…。ベトナム戦争は「後方支援」だから五輪出場も一応問題なかったという理屈だったかもしれないけど、今回は全く違う。

 俺自身は現実にワールドカップ中継を観ている立場なので米国に主催する資格無しとは言えないけど、そういう「正論」を吐く人が日本のメディアで皆無なのは問題。それとも日本代表頑張れ!と応援する以外許されない趨勢になってしまっているのか。

 そんな事を考えていた矢先米国とイランが停戦合意に達したとの報道が。さすがのトランプもサッカーワールドカップ開催中にイランを攻撃するのはヤバイと考えたらしい。つまり終了したらまたどんな難癖をつけて戦争おっ始めるか分かったモンじゃないって事。常に気分はもう戦争なドナルド・トランプ…。

 

 

 GS時代から70年代に入ってもしぶとく生き残ってきた『モップス』も遂に解散を決意。74年4月23日中野サンプラザのさよならコンサートで活動の終止符を打った。鈴木ヒロミツ、星勝の個人活動が多くなった事が主な解散理由だろうが、GS時代から様々な音楽形態を経て流行のフォークミュージックに辿り着いた以上、バンドとしてはこれから演るべき音楽が見出せなくなっていたのも事実だと思う。

 さよならコンサートは2時間40分にも至る長時間ライブであったが、そのメモリアルとして発売されたのがさっき聴いた『イグジット』。プロデュースはヒロミツの実弟でドラムス担当の鈴木ミキハル(モップス解散後は「浜省」こと浜田省吾のマネージャー&プロデューサーに。ベース担当の三幸太郎もレコーディングディレクターとして音楽業界に残ったと聞く)。サポートキーボード担当で元『ズーニーヴー』の桐谷浩史と深町純が参加。

 

 アナログA面はまずモップスのデビューヒット曲『朝まで待てない』(阿久悠作詞/村井邦彦作曲)のストリングスによるインストヴァージョンによる演奏(往年のGSのカラオケ演奏ぽい)から始まる。その壮大さにアルバム全体への期待を抱かせるのだが…。

 2曲目はメドレー形式でライブ演奏を聴かせつつヒロミツが語りでモップスの歴史を語る…という流れ。これが20分近い長尺。ただあくまで「語り」が主役で演奏される代表的ナンバー(『アニマルズ』の『朝日のあたる家』のカバー、GSバンド『カーナビーツ』のカバー『好きさ好きさ好きさ』、デビューヒット曲『朝まで待てない』、和製エスニックナンバー『御意見無用(ええじゃないか)』、一番有名な曲『たどりついたらいつも雨降り』(吉田拓郎作)などを披露するのだが全て触りだけ収録。

 ヒロミツ自身が語るモップスヒストリー自体はいいとしても、何か当時の泉谷とかも演っていそうな観客弄りまで延々と収録する必要はなかったと思うが…。

 A面最後のタイトル曲『イグジット EXIT』は劇伴じみたメロディーのインスト曲でスタジオ収録された物。星勝のメローなギターが聴き物の、フュージョンの走りみたいな演奏。

 

 アナログB面1曲目『わらの言葉』は放送作家で後に劇団『ワハハ本舗』を主宰する喰始が作詞し星勝が作曲し唄うオリジナルナンバー。これもスタジオ録音で多分未発表曲をお蔵出しした物だと思う。モップスにしては珍しい和製プログレッシブスタイルの曲で、なかなかじっくり聴かせてくれるのだ。結局モップスが唄う曲でちゃんとした形で収録されているのはこの曲のみ。10分余りの白熱した演奏。

 2曲目もまたカバーメドレーで『ビートルズ』の『抱きしめたい』、アニマルズが好んで演奏したジョン・リー・フッカーの『ブーン・ブーン』、『ビージーズ』の『トゥ・ラヴ・サムバディ』などをライブ演奏。後年のフォーク・ロックのイメージをかなぐり捨てた野性味溢れるバンドサウンドに刮目させられるが、これらの曲も全て触りのみ聴かせすだけ。

 3曲目のオリジナルインスト曲『ノーボディ・ケアーズ』は1分強ぐらいの短い曲。アルバム最後のアンコールナンバー『朝まで待てない』ぐらいは完全収録で聴かせてくれるかと思いきや、何故か粗雑な音質のレコード音源にチェンジされてしまうのであった…。

 

 最後のモップスの勇姿を聴きたくて本アルバムを購入した人は、マトモな形でライブ演奏が収録されていない事にさぞかじガッカリしたと思う。聞く所によればモップスはさよならコンサート以前に実質的に解散しており、本アルバムの発売にはメンバーは消極的だった可能性もある。レコード会社の要請で発売が決まり、ライブ盤というより解散メモリアルアルバムみたいな内容にしてくれと言われ、止むを得ずメンバーも了承した…と俺は信じたい。B面のメドレーの荒々しく熱い演奏の断片を聴いていると、余計こんな形での発売が勿体無く思う。

 他のGSバンドとは違いモップスの再結成は一度もない。NHKの『懐かしのメロディー』で鈴木ヒロミツが『たどり着いたらいつも雨降り』を唄うのを観た事があるが、単なる「懐メロソング」以上の物は感じられなかったな…。