戸田恵梨香×永野芽郁、映画『母性』“とだめい最強”特別映像 本編 ...

母性』戸田恵梨香&大地真央、母娘の狂気の世界 異様なほど ...

 お嬢様育ちのルミ子(戸田恵梨香)は市主催の絵画教室で哲史という男と知り合う。ルミ子は哲史の絵が好きでなかったし教室仲間の仁美からも結婚するのは辞めた方がいいと言われていたが、母の華絵(大地真央)が哲史を気に入ったので結婚。夫との間には一粒種の清佳が生まれ結婚生活は順調に見えたが、哲史が仕事で留守している夜に家は火事に見舞われ、清佳と寝ていた華絵は迷うルミ子に清佳を託し絶命した…。

 

 湊かなえの小説は『告白』(10)を皮切りに数多く映画化され、今年も『未来』(監督・瀬々敬久)の公開が控えており、本作は今の所最新映画化作品と言える。青春物から重めの文芸物まで何でもこなす廣木広一が監督を務めた。祖母、母、娘の三代に至る母娘関係に焦点を当てた衝撃の?ドラマ。本作封切直後に妊娠を発表した戸田恵梨香(旦那は松坂桃李)が母親に扮し、娘役には永野芽郁。祖母役には映画出演のイメージが希薄な大地真央。他には高畑淳子、元お笑い芸人だったという三浦誠巳、大塚千弘の実妹・山下リオなどの出演。第41回バンクーバー映画祭に正式招待された。

 

 十数年後。ルミ子一家は夫の実家に建て増しして住んでいる。義母はルミ子に冷たく辺り朝から晩までルミ子を女中の様にこき使うが、ルミ子は口答え一つしない。女子高生になった清佳(永野郁都)は母を気遣いながらそんな態度に苛々を感じていた。義母が溺愛する小姑の律子(ルミ子母娘とは関係良好)が男と駆け落ちして家を出した為義母の様子は愈々おかしくなり、清佳は老人ホームに入れた方がいいんじゃないかとルミ子に勧めるが、ルミ子は拒絶。ある日の放課後。清佳は学校帰りに今夜は仕事で遅くなると言っていた哲史の姿を見て後を尾ける。哲史が向かった先は…。

祖母・母・娘が商店街を歩く「母性」新カット到着、戸田恵梨香と ...

 原作は推理劇仕立てになっているみたいだが、本作は大胆脚色し母主観と娘主観が交錯して事のあらましを語っていくスタイルになっている。「母性」は母が娘に対する感情のみでなく、祖母と母の関係をも顕わす。祖母と娘とどちらを助けるかの際で娘を選択した形になった母。鬼義母に従順なのはその時の贖罪意識か。それが娘との関係にも亀裂を生じさせ悲劇へと繋がっていく。当初から夫の影が薄いなと思っていたけど、それは伏線になっている。歪な人間関係がこれでもかと描かれ映画をエンタメと割り切り観たい人は回避したい作品だが、逆に俺は徐々に惹きつけられていった。

 

作品評価★★★★

(港かなえのやりきれない世界観が俺には好物である事を再確認。大地の非生活感、高畑の鬼ババ感がキャラクター的に生かされていた。見た記憶があるけど娘役の名前が思い出せないという、俺の認知症が猛スピードで進行している事が判明。トホホ)

 

付録コラム~俺にとっちゃどうって事のない話だけど

 

 冬季五輪が終わったと思ったらすぐさま『WBC』が開催。スポーツ好きには「ワールドカップ」も含め寝る間も惜しむ1年…かもしれないけど、WBCはNetflixが全試合独占中継権をゲット。俺みたいなNetflixに未だ加入していない人は蚊帳の外、それ以前にこれだけ国民が注目しているスポーツイベントをロハで観る事が適わないって、批判が出て当然気はする。

ネットフリックスがWBC独占放映権獲得 地上波から消える中継 ...

 改めて調べてみると映像での生中継は観れないが、ラジオの「ニッポン放送」が日本戦の数試合(もし日本が準決勝及び決勝に進んだ場合も中継)を中継するらしい。1936年のベルリン・オリンピックでの「前畑ガンバレ」のアナウンサーの名実況が有名だが、今回も名実況が生まれるか(ただ目立ちたいだけのアナウンサーはノー・サンキューだが)。

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 日本テレビが特番を放送するとか言っていたが、それも調べてみると日本テレビはNetflixの中継の制作を受託し「プロモーションパートナー」なる契約を結んだ…って、お人好しの日本テレビがNetflixの手伝いをした上に宣伝みたいな事までするのか? 俺がTVマンだったら何でそんな事しなきゃなんないんだよとバックれてしまうけど。まあ多少は優先的にNetflixに試合映像の一部を回してもらえる可能性はあるだろう。それにしても情けないなあ。足元見られているだけじゃないか。

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 WBCが終わってみないと結果は分からないけど、もし今回の独占中継が成功したらNetflixは次回のワールドカップの独占実況中継も検討する可能性もある。それが実現するとさすがに俺もちょっと困るが。

 今回のWBCははっきり言ってどうでもいい。もう大谷翔平の翼賛的実況中継なんて元々観たくなかったから。WBCよりも我が「NPB」の開幕の方が待ち遠しい。

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 舞台は20世紀初頭の英国。小作農の息子アンドリュー(ジェレミー・アーヴィン)は近所の牧場でサラブレッドが生まれる瞬間を目撃。仔馬が成長する過程を見続け手なずけようとするが無理だった。そんな時父が競売でその馬に一目惚れし落札。農耕馬にならない馬を買ってきた事に母(エミリー・ワトソン)は怒り返却しろと迫ったが、アンドリューは自分が仕込むからと哀願して母を承諾させた。馬には「ジョーイ」と名付け…。

『ジュラティック・パーク』(93)から『リンカーン』(12)までの間俺はスピルバーグの作品を封切で観た事は無く、今頃になって追っかけで観ている塩梅。本作は同名の小説及びそれを戯曲化した物を基に映画化。映画の舞台に合わせて主要出演者も英国人俳優を起用。主演のジェレミー・アーヴィンは本作が映画デビュー作であった。第一次世界大戦前後を背景に美しく逞しい名馬と、その飼い主である若者との出会い、交流、別れを描いた大河ドラマ。勿論欧米では大ヒットしたけど日本ではノンスターなのが災いしたのか、興収7億円とスピルバーグ作品にしては不入りの結果に。

 必死にジョーイを農耕馬に仕込むアンドリュー。残念ながらそれは効せず金の捻出の為に父はジョーイを第一次世界大戦に出征する軍隊に売却。ジョーイと別れたくないアンドリューは入隊を志望するが年齢問題で不可。哀れに思ったニコラス大尉は戦争が終わればジョーイを返却するとアンドリューに約束。アンドリューは父の軍隊時代の証しである三角旗をジョーイに託す。騎兵部隊でジョーイは黒馬のトップゾーンと並ぶ速足で兵隊も「名馬」と認めた。だがドイツ軍との戦闘でニコラス大尉は戦死、二匹の馬はドイツ軍の物となるが、農耕馬以外は射殺しろとの命令が下って…。

 動物の擬人化が俺は大嫌いで、特にスピルバーグならやりかねないと憂慮していたのだが、本作においてはそういう演出はなかった。兵隊のみならず馬も戦争に参加していたのだという原作のアイディアはイイ。様々な死の危機を乗り越え主人公との再会を果たすジョーイ。その間ドイツ兵の兄弟によって軍から脱走し、祖父と二人暮らしの体が弱い娘に匿われたり、人間たちの優しさのおかげで生き永られた。正に波乱万丈と言うしかない人生…もとい「馬生」を経験。人間性善説をモットーとするスピルバーグならではのヒューマン作品で、映画としての完成度は高いとは思うけど…。

 

作品評価★★★

(鉄条網に絡まったジョーイを助けようと英独兵が協力し合うシーンが見せ場になっている一方で、ジョーイを逃がした兄弟が軍規に違反した為銃殺される場面は省略。善意を描く事には積極的でも戦争批判には及び腰なスピルバーグの姿勢が露呈した?) 

 

付録コラム~『ラビィット!』のリニューアル

 TBS朝の帯バラエティ番組『ラヴィット!』のリニューアルの情報が流れており、現レギュラーのお笑い芸人たちは気が気でない様だ。気が付けば季節はもう春の兆し。TV界においては番組改編の時期である。TBSとしては長い間頭を痛めていた日曜の昼番組『アッコにおまかせ』を終了させる事に成功(ホリプロとの交渉は長引いただろうが)。同時に放映開始6年目に入った「ラヴィット!」に何らかのテコ入れが入ってもおかしくない。

 バラエティ企画オンリーになってからの「ラビィット!」の目標は朝版の『笑っていいとも』だった。週末にまとめ的な編集番組を放映している辺りなどパクリその物。たださすがにレギュラーメンバーはマンネリ。それでなくとも他にもほぼレギュラーみたいにゲスト出演している芸人(おいでやす小田、マッチョ青木)もいて、たまに観ても全く変わり映えしない風景。当然ながらスタジオ内の緊張感も緩み(川島が突然キレ気味になって喝を入れたりはするけど)、その緩さが番組の面白さという意見もあるけれど、新規の視聴者を掴むのは厳しい。

 結局元ジャニーズ系や坂道系などアイドル連中の積極的な起用で新鮮さを加味していくしかないのだが、そういう人達を推してる人って多分リアルタイムでは観れていないから、視聴率にあまり貢献しなかったりするのだ。

 ただ時事ネタを入れるとかは辞めた方がいい。理由は見たくもない石原伸晃がレギュラー入りしそうだから(笑)。弟だけでも食傷気味なのに兄までもTV番組出まくりなんて地獄だ。選挙で自民党が勝つのは判ってたんだから、石原伸晃も政界復帰して立候補すれば絶対当選していた。そうすれば頻繁にTVで見ないで済んだのに。

 そう言えば年末恒例だった「ラヴィット!」の生特番、去年はネット配信だけで終わった。そこから考えても早い時期ではないにしろ、TBSのリストラ番組候補リストに上がっているのは間違いない。長寿番組にする為にはやっぱり思い切ってレギュラー陣を半分ぐらい替えるべきだとは思うな。

  

  

 

 

 

 

 1978年に創立された英国のインディーズレーベル『ファクトリー・レコード』。その狂騒ぶりは鬼才マイケル・インターボトム監督が劇映画『24アワー・パーティー・ピープル』(02)を製作した事でも有名になったが、その初期にレコードデビューしたバンドが『ジョイ・デヴィジョン』であった。

  ジョイ・ディヴィジョンは『セックス・ピストルズ』のライヴを観たバーナード・アルブレヒト(ギター、キーボード)、ピーター・フック(ベース)によって76年に結成。同じくライヴで顔見知りになったイアン・カーティスをヴォーカリストとして起用、ドラマーは何人か変わった末にスティーブ・モリスに落ち着いた。バンド名も何度か変わったが78年からジョイ・デイヴィジョンの名前に。

 同じ年の9月にファクトリー・レコードと契約、翌79年1月に1stアルバム発売。その頃はまだパンク・ロックの影響下にあったが、プロデューサーの勧めでサウンドや詞作を変えていき、アルバムはインディーズチャートで1位を獲得。その勢いで翌80年1月からヨーロッパ及び英国ツアーを敢行。3月からさっき聴いた2ndアルバム『クロ―サー』のレコーディングに突入したのであった。

 

 アナログA面1曲目『Atrocity Exhibition』は牢に繋がれた囚人が大衆の前に連れ出され、負けたら死が待っている格闘試合を強いられるというえげつない詞。ドラムスから始まり異様なジャリジャリ音を掻き立てるギターが余計に不安感を募らせる。ドラムのみが生音ぽくアフリカンビートぽいのが唯一の救い?

 2曲目『Isolation』を直訳すると「孤立」。シンセで作った無機質なパーカッションは『ニュー・オーダー』に先行している。そんなチープなトラックをバックに毎夜うなされて苦しい、母さん僕は努力したんだ、どうか信じてくれ」と悲痛に叫ぶイアン・カーティス。ブチッと切れるエンディングは自傷を連想させるが…。

 

 3曲目『.Passover』を直訳すると「過越」。ユダヤ人の祝のお祭りの事を指すらしい。こけでもドラムが生音ぽく生命観を漂わせるが、ベースやギターの音はやたら冷たく感じる。当然宗教めいた詞だが、安定を欠いた俺はどうすればいいのだろうとイアン・カーティスは自分に問いかける。

 4曲目『Colony』では社会や自分を取り巻くコミュニテイからの疎外感が唄われている。ゴリゴリなギターのリフと突然この曲になって強度が増すベース音が楽曲を支配。

 A面最後の曲『A Means to an End』では「君を信じたい」という想いが綴られているのだが、言葉は一緒でもJ-POPの楽観性とはかけ離れた、いつか裏切られるんじゃないかとの疑念が作り手(イアン・カーティス)の裡に渦巻いている。淡々と奏でられる演奏。イアン・カーティスの不安感いっぱいなヴォーカルが痛々しい。テープ回転が遅くなっていき生命自体が止まってしまう様なエンディング。

 

 アナログB面1曲目『Heart and Soul』は「心と魂」をテーマにしたかなり観念的な詞。同じフレーズを繰り返しているだけみたいな演奏。地の底から語り掛けている様なイアン・カーティスのヴォーカルには人間味はあるけど、陰鬱感が演奏に付き纏う。

 2曲目『.Twenty Four Hours』のタイトルは、ファクトリー・レコードの映画タイトルに引用。自分が正気ではない事に気付いてしまったイアン・カーティスの自己吐露も凄いが、演奏がまるで葬送曲みたいなメロディーを奏でていて、あまりいい形ではないけど名曲が生まれてしまった。ポスト・パンクロックの代表的な曲では?

 3曲目『The Eternal』はある葬式に立ち会ったイアン・カーティスの雑感めいた詞だが、死んで亡霊になって自分の葬式を見ている設定なのかもしれない。「全く価値のなかった少年時代」「ずっと重荷を背負っていた 誰かと心を通い合わせるどころか」って、もう完全に遺書やん。無力感たっぷりの演奏もそんな印象を増幅させる。

 アルバム最後の曲『Decades』はどうやら自分たちのバンドの事を唄っているらしい。初めてジョイ・デイヴィジョンとしてステージに立った時の思惑の違い(観客はまばらだった)、売れっ子になったものの過密スケジュールに追われ、自失しがいがちなバンドの行く末を危ぶむ気持ち…。シンセの哀し気な音、ゆったりと進行していくアレンジ。ギリギリ瀬戸際に立っていたジョイ・デイヴィジョンの最後の記録が、この曲によって刻まれたのだ。

 

 全てをぶっ壊せとヤケッパチながらも威勢が良かったパンク・ロック勢の反動として誕生した「根暗ロック」というか、イアン・カーティスが本アルバム完成を待たずに自死(過労によるノイローゼに健康状態の悪化も加わっていた)。僅か21歳で亡くなってしまい当然ながらジョイ・デイヴィジョンは活動停止。だが残されたメンバーは『ニュー・オーダー』として活動を再開。

 日本では歌詞の問題があるとはいえ、さすがにこの音を聴けば日本のリスナーもイアン・カーティスの苦悩の幾ばくは感じ取れたはず。「漫才ブーム」で「人間明るくなくちゃいけない、根暗な人間には何の価値も無い」的なムードが高まっていった80年代からのニッポン。ジョン・デイヴィジョンの音楽を自分の事に置き換えて捉えた人は、どの位いたのだろうか。

 

 

 

 リンダ(レイチェル・マクアダムス)は有能な女子社員で前社長から認められ次期副社長に抜擢すると言われていた。だが前社長は急死。後を継いだ息子のブラッドリー(ディラン・オブライエン)はリンダを嫌い彼女の上司を抜擢。本社に置いておくのもウザいので出張と偽りタイの支社に左遷する積りで新副社長共々リンドをプライヴェートジェット機に乗せタイに向かう。だが突如事故が起きてジェット機は墜落してしまう…。

 

 もうホラー映画専門監督のイメージがなくなってしまったサム・ライミ17年ぶりのホラーサスペンス…という事は、俺が今は亡き吉祥寺バウスシアター付属の小映画館『ジャブ50』で観た『スペル』(09)以来って事ですね。上司に恵まれないヒロインがとんでもない災難に巻き込まれた事から起きる衝撃の事実を描く。俺は馴染みがなかったけど、ヒロイン役のレイチェル・マクアダムスは感動作『君が読む物語』(04)や『シャーロック・ホームズ』シリーズ(09&11年)などで知られる大物女優。配給はウォルト・ディズニー…って、こういうB級モードの作品も配給したりするんですね。

 夜の海を漂流したリンダが辿り着いたのがタイの無人島。同じくブラッドリーも辿り着いていたが足を負傷し身動きできない。仕事の有能さは無人島でも同じ、あっという間に漂流生活に順応しサバイバルしていくリンダに比べ、無力なブラッドリーは悪態ついても彼女無しでは生きていけない。会社の立場とは逆転しブラッドリーはリンダの言う事を忠実に聞き行動する様になっていく。満足気なリンダ。二人の間に心の交流みたいな瞬間も生まれ、リンダにしてみれば無人島生活も満更ではない。しかし従順になった振りをしつつブラッドリーは単独での島脱出の計画を練っていた…。

 孤島でそれまでの立場が逆転するまでは予想通り。正直有能であっても職場でのガサツなヒロインの行動を男が嫌うのは分からないでもないが、会社では威張り散らすドラ息子的な男が見下される下りは、俺みたいに底辺生活を歩んで来た者としては痛快である。だが展開は複雑に回り出し男の逆襲はかわした女だが、それを覆す様な自体が起き悪霊?に苦しめられたかと思ったら、今度は彼女自身がホラーキャラ化して男を追い詰めたり、目まぐるしく立場や人格がジェットコースター的に変貌していくのが面白い。そして無人島が実は…というオチもあったりして、退屈はしなかった。

 

作品評価★★★★

(役柄とはいえ冒頭のヒロインのいで立ちはやり過ぎ…と思ったが、これもラストシーンの伏線になっていた。『流されて…』という作品や星新一のショートショートSFを彷彿させる企画ではあるけど、それより良い。久々に聴いた『ブロンディ』も〇)

 

付録コラム~映画女優・山口百恵の成功は西河克己の功績大

 昭和歌謡が若者の間でブームになり、1980年に寿引退して以来公の場に一切出ていない山口百恵の人気も依然高い様だ。リアルタイムでデビューから引退までの過程を知っている世代としては何かこそばゆい気もするのだが、今回は「歌手・山口百恵」ではなく「映画女優・山口百恵」について言及する。


 TVドラマ女優としては大映ドラマの雛形である『赤い』シリーズが有名だが、映画出演は自身のヒット曲の題名をタイトルに抱いた『としごろ』(74)がデビュー作。以降『古都』(79)まで計17本、内主演作は13本。それだけの本数だけに様々な役柄を演じたが、そのベスト3を挙げれば『伊豆の踊子』(74)、『潮騒』(75)、『霧の旗』(77)ではないかと思う。共通項は何れも高名な作家の小説が原作で、かつリメイク作品である事、そして3本とも西河克己の監督作品である事だ。

 

 西河克己は日活の黄金時代のプログラムピクチャー監督であり『伊豆の踊子』の吉永小百合版(63)も監督している。日活がロマンポルノ路線に切り替わってからはTVドラマ演出に専念していた。つまり元々「アイドル」を演出するのに長けた人で「映画監督」という職業自体知らなかった舟木一夫は西河克己作品に主演して映画に対する認識が一変、西川作品『絶唱』(66)に出演した際は周囲が止めるのも聞かず、役柄に合わせ丸刈りにした程だ。

 百恵主演作においては、百恵自身が持っている芯の強さがいい具合に作品にフィートバックさせた感がある。百恵が演じた主人公は何れも恵まれた境遇とは言えない。だがそれには動じない芯の強さが映画を単なる「悲劇」に終わらせなかった。「赤い」シリーズの主人公が典型的な「お涙頂戴」に描かれていたのとは好対照だ。山口百恵自体に女優としての素質が左程あった様に思えないから、やはり西河克己演出の功績大だとは思う。

 監督の知名度では西河より遥かに上の大林宣彦、藤田敏八、市川昆も百恵主演作を撮っているが、映画の出来は西河作品より下だった。百恵自身のキャラクターを映画に生かせず、自分のフィールドだけで撮ろうとした結果が凶と出てしまったのだ。70年代当時にはまだ「プログラムピクチャー系監督」の再評価の動きはほぼ皆無だったが、西河克己自身は淡々と仕事をこなしていただけなのかもしれない。

 時代は下って21世紀。知り合いになった介護関係の仕事をしている人から晩年の西河克己のエピソードを聞いた。介護施設に入所していた西河克己は認知症が進行し最早自分が誰なのかも殆ど分からない状態になっていたが「俺は山口百恵の映画を撮った事がある」という記憶だけは忘れる事がなかったという。加齢するとそれは生涯忘れ得ぬ勲章になっていたのだ…。

 

 60年代からロック界には複数の楽器をこなす天才肌のミュージシャンは少なからず存在したが、所謂「マルチプレイヤー」という言葉を定着させたのはトッド・ラングレンだったと想う。1948年生まれ。67年に『ナッズ』というバンドでレコードデビューしたがそれに満足せずバンドを脱退。当時からレコーディングに関しての博識は相当な物だったらしく、ジャニス・ジョプリンの『パール』のプロデューサーに起用の話も(ジャニスと衝突して降板)。以降ソロミュージシャン活動の傍らプロデューサーとしても多くの仕事をし、日本のミュージシャンもプロデュース。

 レコーディング全ての作業(楽器演奏、プロデュース、エンジニアなど)を一人でこなす様になったのは3枚目のアルバム『サムシング/エニシング』(73)からで、このアルバムからシングル・カットされたナッズ時代のナンバー『ハロー・イッツ・ミー』が全米チャート第5位まで上る大ヒット。その頃トッドの姿が日本で公になったが、面長過ぎる顔と七色に染めた髪が彼の奇人的なイメージを定着させた。ライヴでは一人で全て演奏する訳にもいかないので『ユートピア』というバンドを結成、その名義でレコーディングやライヴを行った時期もあった。

 さっき聴いた『ミンク・ホロウの世捨て人』は個人名義では通算8枚目のアルバム。他の仕事の合間を縫ってウッドストックのプライヴェーとスタジオでほぼ完全一人作業(共同エンジニアマンが参加)でレコーディングされた。まだユートピアとしての活動も順調の中での「一人ぼっちのレコーディング」である。

 

 アナログA面1曲目『子供たちの歌』はスペーシーな感じのするポップロックという第一印象だが、特に多重コーラスの完璧な作業辺りは正にトッドの独壇場な感じがします。

 2曲目『友達でいさせて 』は本アルバムからの最初のシングルカットナンバーで、全米チャート29位まで上がる、トッドにとっては久々のヒット曲になった。失われた友達関係を唄った歌詞は、有能ミュージシャンであっても親友とかはいなさそうなトッド自身を象徴している? 甘美なメロディーが素晴らしく何度でも繰り返し聴きたくなる様な名曲。

 3曲目『傷ついた心』は前曲と同じ雰囲気だが、ここでも多重録音によるコーラス隊がいい仕事ぶり…って何度となく繰り返し録音しているんだから、気の遠くなる作業だ、おもむろに入ってくるギターソロも良い。

 4曲目『夢の彼方に 』でも多重録音によるWヴォーカルが決め手になっている。ポップだけど不可思議感の残るメロディー。マイルドな語り口ではあるけれど、タイトル通り現実逃避な物を感じたりもする。

 5曲目『擬声 』はタイトル通り様々な擬声を取り込んだ、遊びめいたユーモラスな短い曲。で、A面最後の曲『決意 』はタイトル通り好きな女を一生愛する事を決めた男心を唄っているのだが、何か一方通行なストーカーめいた物を感じてしまうのは俺だけだろうか。但し曲はトッド流ロックン・ロールサウンドとも言うべき名曲なのだ。『友達でいさせて』のB面曲。

 

 

 アナログB面1曲目『ブレッド』はトッドにしては珍しい哀愁を漂わせた異色曲で、シャウトぽいトッドの真正ロックヴォーカルが聴けるのがお得か。メタリックだが一部生っぽいミキシング(ドラムの音とか)。

 2曲目『バッグ・レディ』はトッドの語りから始まり、ピアノだけをバックに、トッドのややオペラチックなヴォーカルがフィーチャーされるのが前半、後半はリズムセクションなども加わってかなり落ち着いた演奏になっていく(サックスソロもあり)。ホームレスの女性をテーマにした歌詞らしい。

 3曲目『うそつき』は童話の「狼少年」をそのまんま恋愛に当てはめた様な歌詞で、トッドも若い頃はうそつき女に悩まされた? かなりハードめなサウンドで結構覚え易いメロディー。これも間奏にサックスソロあり。本アルバムからのセカンドシングルだがチャート入りはしなかった…。

 4曲目『ラッキー・ガイ』はピアノだけのイントロから始まる、B-2と似た構成のアレンジだが中途で不可思議なシンセ?が入ってリスナーを非現実な世界へと誘う。

 5曲目『アウト・オブ・コントロール』はドタドタしたイントロのイメージが、曲に入ると産業ロック(by渋谷陽一)めいたハードロックに変換していくのが面白い。変人トッドもたまにはこんな曲を演りたくなる? ヘビメタぽいギターソロも良いぞ。

 アルバム最後の曲『フェイド・アウェイ』は「ノストラダムスの大予言」がマジに信じられていた時代ならではの終末論的な歌詞。「僕と君はここに座り、世界が消え去るのを見つめている」というフレーズを俺流に解釈すれば、人生の終わりと世界の消滅は表裏一体。俺が死ねばその瞬間「世界」もまた死滅してしまうのだよ…。トッドのヴォーカルがより前面でミキシングされ、彼の死生観が漂うアルバムの締め括りにふさわしい曲。

 

 

 35分弱という短めな収録時間枠の中、隙のない完璧サウンドの楽曲を志向しつつも、歌詞などを見るとトッドの私的な感情や考えが浮かび上がってくるのが興味深い。他人を信頼し難い性格がトッドをマルチプレイヤーの道へと走らせたのだが、そこには他者とのコミュニケーションがうまく取れない人間故の哀しみみたいな物が、俺には伝わってくる。実際のトッド・ラングレンはそんな人ではないのかもしれないけど(笑)、楽曲を聴いたイメージではそうなのだ。

 入門的には本アルバム以外の物を先に聴いた方がよろしいのではないかと思うのだが、78年という音楽的にも社会的にも中途半端な時期に作られたが故に、貴重なロックアルバムの1枚と言えそうだ。