最近、地元の郷土史、常陸風土記のことをユーチューブとかネットで調べて、関係する史跡を訪れている。
風土記は奈良時代に朝廷が各地の歴史、地理、文化、産物、伝承をまとめさせたもので、出雲国、常陸国、播磨国、豊後国、肥前国のものがのこっているとのこと。
奈良時代ごろの常陸国は石岡市に国分寺があったので、その時代の地域の中心が石岡あたりにあったんだとおもう。
同市に常陸風土記の丘という大きい獅子舞のモニュメントがある公園があるため、小さい頃からなんとなく風土記といえば石岡なんだろうと感じていた。
そんな常陸風土記に記されている椎井の池(またの名を天龍の御手洗)というところに行ってみた。ここは行方市(旧玉造町)で石岡の市街から20キロほどの場所。
鳥居はこの裏山にある愛宕神社(天龍山愛宕神社)のもの。
コンコンと湧き出る水。
箭括麻多智という人が夜刀神(やとのかみ)というやっかいな神を山に追い払って祀ったということらしい。
麻多智さんかな?
椎の木がたくさんはえているところらしい。
これは玉造町時代の看板
そして池の横を登って
本殿到着
左が愛宕神社かな
右は夜刀神社。
とりあえず鳥居も本殿も近世に造り替えられたものっぽくて時代を感じるものは見つからなかった。
一番古そうなのはこの石碑かな。
旧字体が多くて探せなかったり完全に同じ字じゃないけど大体こんな感じ。
人物名が多く出てくるので赤字にしている
天龍山愛宕神社碑
常陸国行方郡玉造郷原新田天龍山有祠祭愛宕〇谿谷 ※〇は読めなかった字
圍繞松椎鬱蒼側有清泉稱御手洗蓋古之椎井也按風土
記 繼體帝時箭括麻多智闢原野得新田十町餘會有神
告因半為神池半為耕地建祠致祭 孝徳帝時壬生連麻
呂修築池隄神龍隠避自是山號天龍而祠下泉水灌漑田
二百町爾來里人虔祭不怠云至寛文中此地属水戸義公
封内公給天龍菴朱印十石大政維新之際為郷豪宮本藤
兵衛翁所有翁崇敬祌祇尊重霊地明治二十年四月定區
畫為部内芺有地獻之於愛宕祠且植櫻尌永報神徳今玆
翁嗣子荘次郎氏建碑屬文子余乃記其事由如比
大正五年丙辰五月
正六位勲五等 高島張輔 撰 従五位勲四等 日髙秩父 書
なんとなく意味が分かるところもある。
箭括麻多智や壬生連麻のくだりは風土記に記載されていることで、看板にあった説明のことだろう。
wikiには1529年に玉造憲幹という人が愛宕神を夜刀神社に合祀したそうで、その時は山のふもとに祠があったそうだ。
その後、水戸義公(水戸光圀公)のくだりがわからないけどwikiでは愛宕神社を山の山頂に移したらしい。
宮本藤兵衛はこの地域の大地主としてネットでもヒットする。上の碑文から明治20年頃に祠をたてなおして桜を植樹したのかな?
最後に壮次郎は翁嗣子とあるので、宮下藤兵衛の息子?(藤兵衛は養子に庄次郎という人しか見つからなかった)
壮次郎さんがこの碑を建てたってことかな?
碑を建てたのが大正5年(1916年)とあるが、宮本藤兵衛その2年後で77歳前後でなくなってるみたい。
最後の高島さんは宮内省の役人でこの文を作った人。
日髙さんも役人で書家でもあり、この文を筆で書いた人。
?がいっぱいだ。だれか読める人解説してほしい。
丸1日これを調べていて気付いたのは昔の人であっても功績のある人はネットでもヒットするんだなと。
関連するほかの史跡も巡ったらもっと気づきがありそう。
参考











