こんな病気になる前は私だって普通の女性。


確かに、シングルマザーで中3の男の子の母である。


でもだんだん、親離れして会話もない、そんな毎日。


私だって仕事して、会社帰り、お茶したり、呑みに行ったり


したい汗


今の私には、仕事もない、彼氏もいない、子供との会話


もない。孤独。


薬の副作用で以前より太ってきたので自信もなくなった。


すべてがマイナス。


でもたった一人、友達が私の異変に気づいてメール


をくれた。


「死んでも何もならないからね、辛いこと多いけど楽しい


事もきっとこれからある。私も生きてる意味がわからない


でも死にたくはない。」


って。確かに昨日の私は死というものがよぎった。


以前、リスカ、ODやってるけど死ねないこともわかって


いた。だから死ぬ方法がわからなかった。


でも死んでもいいことないしなってふと思った。


かといって周囲の「焦るな」っていうのも


私にはわからない。決して焦っていない、体が、心が


勝手に鬱に、パニックに、フラッシュバックにさせてる。


だから苦しい。ゆっくり治していけばいいって毎日この


苦しみ味わうの?


って私には思う。



現在は病院へ2週間に一回行っている。

薬も何種類も呑んでいる。


もともとじっとしているのが嫌だった私が今となっては体が動かない。

一日横になっていろいろなことを考える。


誰かと話したい、メールも鳴らない、遊びの誘いもない、私って

本当の友達っているのかな。


いない…


寂しさがいっぱい、こればかりは処方箋では治せない。



私は、今まではパニック障害、適応障害、鬱病だけでした汗

発覚は、7年前までは、結婚もし、バツ1でしたが、再婚もし、連れ子と、新たにもう一人子供にも恵まれ、平凡な


主婦でした。一回目の結婚は夫の暴力で3年で破たん。やっと幸せがと思っていたら、2回目の夫の言葉の暴


力、いわゆるDV(ドメスティックバイオレンス)によって、パニック障害を発病。離婚を告げると、話し合いが始まっ


た。私が子供2人引き取るということで了解してくれた。

が、私のいない隙に下の子、当時2歳の子を自分の実家へ連れていって返してもらえなかった。その時は何を考


えたのか、警察に行って泣きじゃくり、返してもらえるよう相手に連絡してもらった、だって、電話しても居留守を使


われ、一方的なメールばかり。パニック障害の症状も出ていたのか、警察での行動は覚えていないが、母が駆


けつけてきたときには、相当ひどく泣きわめいたらしい。

結局親権を求める調停を始めることになった。そして上の子との新しい生活をスタートさせた。

もうひとつ、PTSDと診断されたのは、2年前。まさか私がPTSDとは…

でも、ドクターと話をしているうちにわかった。

私は、小さい頃から、暴力とケンカの中で育った。姉が悪く、父と年中、暴力、喧嘩。そして姉の家庭内暴力、標


的は私にまでおよんでいた。母は姉の事で精いっぱいで私の話など聞いてもらえなかった。

寂しかった。辛かった。でも母は「この子はしっかりしてなんでも自分で決めていく子なの」と周囲にもらしていた


らしい。違う!自分で決めざるおえなかったんじゃないって思った。

成長期、思春期は、暴力と寂しさで過ごしてきた。それが理由らしい…