兵庫の家に戻ってからの日々は
記憶が断片的であまりよく覚えていません。

父は肺ガン原発の脳梗塞で
痴呆に似た症状も出てくると言われました。

案外元気で
『心配しなくていいのに…』
と言っていましたが
すぐにその症状は悪化して行きました。

最初にかかった病院に入院していたのは
ほんの一週間も無かったと思います。

父は病院が大嫌いだったのと
これ以上施す処置が無いのに
病院に置いておく訳には行かないと宣告され
すぐ家に戻りました。

父は私が仕事を辞め家に戻ってきたことで
自分がいよいよだと気づいていました。

まず最初に参ったのは
『ステロイド』です。

これは父が飲んでいた薬の一つなのですが
体を元気にする作用があるらしく
食欲がいつもの4倍。

父は基本的に食が細く
ビールやタバコが大好きで
いつもご飯を食べず
おかずをつまむ程度でした。

そんな父が1日に
おかゆを3合~
お茶は大きなやかん(おそらく3リットル)を2~
おかずは作れども足りず
饅頭やらかりんとうやら
とにかく食べました。

実家は2階が寝室
1階が台所という造りだったため
日に何度も何度も往復する生活でした。

そうこうしているうちに
痴呆の症状は悪化し
トイレも分からずそこいらでしだす始末で
簡易用のトイレを寝室に置いたのですが
よく食べるせいか量が半端じゃなく
それを流しに行くのにも苦労しました。

タバコも辞めてはくれなかったため
目が離せず取り上げても
必ず見つけられてしまうため
とにかく参っていました。

そんな時
父が自分のうんちを見て
『こんなでかいうんこ誰がしたんや?』
と言い出したので私と母は
『お父さんやん』と答えると
父が笑い出し私も笑ったことがありました。
些細で下品でしたが心が和んだ一瞬でした。


母はもともと心臓が悪く
高血圧にC型肝炎にリューマチと
体が悪かったために父の側に
ついていてもらう事に専念していました。

父が昼寝をしている隙を見ては
買い物に行き食料の確保
洗濯に食事の準備をしながら
父の仕事の後片付けをしていました。

父は自営業の土建屋で
なおかつ3町の田畑を持っている
兼業農家だったため
こういう状況になったから
後よろしく!とはいかず
代わりの業者を探したり
知り合いに頼んだりとバタバタでした。
二十歳になる年の1月。
念願だった車とバイクの免許を取るため
私は徳島県にいました。

1日多いときで
16時間以上働いていたため
通いでの取得は断念し
仕事の都合をつけ
合宿でとる事にしました。

仮免も無事に終わり
残すは最後の実地のみとなって
残りの時間を
合宿所で過ごしていたある日
母からの電話が鳴りました。

いつもなら出ないのですが
その時はなぜか
応答ボタンを押していました。

電話で母が
『お父さんが倒れた』
と泣きながら叫んでいました。

私は
『とりあえず行くから待ってて』
と言い電話を切りました。

教習所に行き
最後の実地までの2日間で戻るので
どうにか一度帰らせてほしいと頼み
何とか兵庫県の病院に着いた時には夜でした。

母から
『ガンらしいが
詳しいことはまだ分からない』
ということを聞き待ちました。

父は病室で眠っていました。

しばらくして看護婦に呼ばれ
医者の話を聞くことになりました。

ドラマみたいで現実味が無かったです。


医者が
『もって3ヶ月です』と
そう言った時は頭が妙に冴えていて
これからの事、しないといけない事が
頭の中に一気に浮かんで…
でも、不思議と冷静でした。


翌日、とりあえず徳島に帰り
実地を受けた後
大阪で学科を受け免許を取りました。
大阪の部屋を引き払う段取りをつけ
仕事先に復帰出来ない事を伝え
謝り倒して兵庫に戻りました。

2月になっていました。
私が中学生の頃
夏休みに母が目の前で手首を切りました。



『お酒辞めてよ!』
私の決まり文句です。

『飲んでない!』
母の決まり文句でした。

信じられませんでした。
両親も兄弟も友達も

『あんたみたいな子
産まんかったらよかった』

コレも決まり文句でした。



夏休みのある日
『お母さんなんておらんほうがいい?』
と酔った母が聞いてきました。

『お酒が辞められんのだったら
おらん方がいい』
と答えました。

その日は朝から飲酒し
あーだこーだのやり取りが続き
夕方になっていました。


急に母が
『そう。じゃあお母さん死ぬわ』
と手首をかみそりで切りました。

私はじっとそれを見ていました。
ただ見ていただけです。

『これでほんとに死んでくれたら
この生活から開放される』

そう思ってしまう自分と

酔っていない時の母を思い出し
涙が出そうになる自分がいました。

母は死ぬつもりなんて
更々無かった様です。
思っていた以上に深く切ってしまい
慌てていました。

『救急車呼んで!』
『血が止まらんのや!』
と叫んでいました。

私は
そんな母に
『自分が死ぬ言うたんやから
死ねばいいやん』
と最低な事を言って
ただただ、じっと見ていました。

母は泣きながらティッシュで手首を押さえ
止血していたようです。

私が益々人間に絶望した瞬間でした。