「私はガキだ」最近よくそういうようになった。
何かに付けて口にしていたが正にガキである、
無意識かもしれないが「私はガキだ」と言うことで
周りに自覚があることを認識してもらいたいと思っていたのであろう、
つまり背伸びである。
背伸びをしている時点でガキであるのだからどうしようもない、
だがどこからが大人であるのかも気になった。
行き着いた結論だが個人で見解が変わるためこれといった指標はない、
だが世間一般に馴染み社会の流れに入っている人間は社会人
つまり大人である。
ガキのまま社会に出る人間はそうそういないのだから結果大抵そうであろう・・・
だがガキとはなんだ?
立派な人間はよく大人と言われるがガキとは何か、
自分は未熟という意味でとっていたが本来は鬼の1種だったらしい
それが「あの鬼のようだ」から時間が経ち現代でよく取られる意味になっている
未熟者、青二才ととられるようになった。
つまり現代のガキという定義であるといいたい訳なんだがこれも個人によって違う、
年齢、行動、文化、見た目、色々あるからこれと決定するわけにはいかない。
つまりその人の思う大人像が大人なのであり、ガキ像がガキである。
上記に社会に出ている人間は大人であるとあるがあくまで大抵、であり
社会に出ていてもガキと思えばガキであり50歳のガキもいるということになる。
さて本題だが私は何が言いたいのか?
私はガキだ、という時点で大人アピールしている時点でガキであるが
大人アピールしているということは大人と思われたい、1人前に見られたいということになってしまう、
そうなると自分は大人だと思っているわけで大人の定義に入るのかもしれない・・・
つまり無限に繰り返される思索になってしまった。
そして行き着いた最終結果が「妥協」である。
妥協できる人間こそ大人である、自分を他人に合わせることのできる社会的な人間であること、
だが妥協の無い人間ならガキでもいいのではないか?
言い始めると個人差による差異のせいでキリがないのでここまでにしておこうと思う。
最後に言わせてもらう、「私はまだ、ガキである」