今朝は、ダンナがすごく冷たくてどこかにおいてきぼりにされてしまう夢にうなされて起きました
最近、ダンナがどこかにいってしまう系の夢が多いです
家事できてないのが心の底では不安なのかな。
昨日のカウンセリングでも話したけど、「私が何かを提供できるから、捨てられないですむ」という考えが長い間私を支配していて、「メリットデメリットではなく、ただ一緒にいてもいい関係」というものを心の底から信じられないでいるようです。
離婚する前は、お母さんも、父方のおじいちゃんおばあちゃんも、たぶんお父さんも、だれも私から何かを搾取しようとしたりしなかったし、私は当然のようにその家にいました。
「捨てられるかもしれない」なんて感覚はなかったです。
利害関係なんてない、ただ愛してくれる家族でした。
永遠に続くと思っていました。
でも、ある日突然それは壊れてしまい、「家族はそう簡単には壊れない」「自分は捨てられない」という安心感があっけなく崩れ去り、「もうどんな関係も信じちゃだめだ」「自分ひとりで生きていけるようにならなければ」とかたくかたく決意しました。
離婚の後は、お母さんは私を試すような発言をしたり、「あんたが○○大学いったら(父方の家族に)復讐できる」などと言うようになりました。
母方のおばあちゃんには、「よい子の私」はほめられて「自慢の孫」にされ、「ききわけのない私」は毛虫のように嫌われました。
「メリットがあるから私はここにいていいんだ」
「何も提供できなければ、捨てられるかもしれない」
そんな思い込みがどんどん大きくなってしまったみたいです。
大人になった今、私は捨てられたりしないし、メリットがなくてもいてもいいんだと頭では理解しています。
でも、心の奥底ではそう思えてないみたい。
昨日のカウンセリングで、あらためてそれがわかりました。
「メリットとか関係なくいてもいい関係」=「昔の家族」=「突然壊れるかもしれない」という無意識にできてしまった方程式。
「搾取される関係ではなく、あかりさんが何も提供しなくても安心していられる関係っていうのは、そうなればなるほど、壊れるかもしれないっていう恐怖が出てきて、そのせいで保険をかけるようなことを言ってしまったり、自分から距離をとってしまうことがあるかもしれませんね」
とカウンセラーさんに言われて、確かにと思いました。
安心できる関係が育つほどに、恐怖まで一緒に大きくなっちゃうなんて、皮肉な話です。
私の心の底に閉じ込めてあったのは、「離婚する前の家族に対する肯定的な思い」なのかもしれないと思いました。
お母さんやおばあちゃんの前では、絶対に否定的なことしか話せなかったから、自分でも肯定的な思いがあったなんて最近知りました。
離婚そのものよりも、そのあとの言論統制が、私にかなりのダメージをあたえたみたいです。
私は離婚する前の家族が大好きで、父方のおじいちゃんおばあちゃんとの時間が大好きで、本当は離婚する前のお母さんの方が好きだったかもしれません。
そんなこと、お母さんには言えないけれど、私の中でそう思うのはたぶん自由。
今は言論統制のない場所で生きてるから大丈夫。
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まだ書くつもりなかったのに、カウンセリングのこと書いちゃった
今朝はレクサプロを初めて飲んだから、念のため、1階でごろごろ寝てました。
でも特になんともなさそうだったから、午後からは納品準備とかしてました。
ちょこちょこ無理のないようにやって、今日ようやく送るばっかになりました
まぁまぁの数になったし、よかったです
夜は義実家でごはん食べて、スーパーによって帰ってきました。
帰宅後、くさくなっちゃったタオルとかを漂白したりできました。
なんか体が動くのでうれしいです