今朝は9時半くらいに起きて、ベランダの植物のお世話をしてました手描きふう双葉


チューリップの球根とわけぎの球根もほりあげて、乾燥中です。


お昼ごはんもちゃちゃっと作れました。


午後からは、少し昼寝しつつ、アクセサリー作りに励んで、夜ごはんは義実家に食べにいきました。


運動のために自転車で行って、スーパーに寄って帰ってきました。


先日、ある人に

「親友と呼べる友達はいますか?」

という質問をうけました。


親友・・・という言葉は実はあまり好きではありません。


どういう定義か、人によって様々だと思うし、親友と友達の区別もよくわからないし、私はあまり使わない言葉です。


親友という言葉を使ったのを思い出してみると、一度だけありました。


最初に「親友だよ」って言ったのは相手で、私はうれしくて「親友って思ってくれてるんだ!」って舞い上がりました。


でも、結局は「親友」という言葉に翻弄されて、がっかりしたり、さみしく思ったりすることがあって、もうそんな言葉で特別感を出すのはやめようって思いました。


だから親友と呼べる友達はよくわからないけど、今仲よくしてて心から会いたいなって思う現実の友達は5人くらいかな。


でもこの会いたい友達も、流動的なものだと思ってます。


たとえば、出産して会おうと思うとどうしても子供も連れて・・・ってなっちゃう友達は、「今会いたい友達」には入ってません。


だけど、私自身が子供と遊ぶエネルギーがあって、子供を見てもうらやましく思わないような気分の時は、また「会いたい友達」になる。


今会いたい友達じゃないからって、友達と思ってないわけじゃありません。

大切な存在ではあります。


もし3年くらいなんの連絡もなかった友達が急に会いにきたとしても、別に普通に会いたければ会います。


連絡がなかったり、メールの返事が遅かったりすると、自分のことなんてどうでもいいのかなって思うこともあるけど、ひとそれぞれ事情があるし、友達なんてそんなものだと思うことにしてます。


そうすれば、苦しくないし、久々にメールがきたら、素直にうれしい。


私の場合、「親友」とか「特別な友達」って思うと、恋愛みたいにやきもきしたり、独占欲が強くなって、うまくいかなくなる気がします。


「私たち親友☆いつも一緒♪」

みたいな人たちを見ると、ちょっと憧れるけど、たぶん私にはそういう関係は合わないと思う。


以前読んだ水谷広子先生の「自分でできる対人関係療法」っていう本。

自分でできる対人関係療法/創元社
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この本では、対人関係を3つの層にわけて考えています。


第一層は、「重要な他者」と呼ぶキーパーソンで、既婚者なら配偶者、独身なら親、恋人など、その人に何かがあったら自分の情緒に一番大きな影響を与える人です。


第2層は、「重要な他者」ほど強くはないけれど、それなりに親密な関係を持っていて、簡単に縁がきれない人です。


私だったら親、妹、祖父母、義両親、親戚が第2層の人々にあたります。


何かのしがらみがあって、縁を切るわけにはいかない友人がいる場合はここに入ると思います。


第3層は、今の立場を離れれば基本的に縁がなくなる人です。


たとえば、勤務先の同僚とか。


私の場合、たいていの友達は第3層に入ると思う。


第1層である、ダンナとの関係は、何か問題が発生すれば、とことん話し合って解決することが必要だけど、第3層の友達とは、もしも考え方が合わなければ「ふーん、そうなんだ」って思うだけでいい。


第3層の人との付き合いでは、簡単に解決できることならした方がいいけれど、そうでなければ関係改善に努めるよりも、相手の言動に鈍感になろう、と気持ちを切り替えた方がいい。


そうこの本には書かれてあり、とても納得しました。


友達は、生涯を誓いあった結婚相手とは違うし、お互いになんの義務や約束もない。


だから、不安になることも多いけど、「仲良くしたい人、仲良くしてくれる人」というのは、人生のいろんなステージで自然と変わっていくもので、別れもあれば出会いもあって、再会もあるさと思えば、気が楽になる気がします。


仲良くしてくれる人がいるっていうのはとても幸せです。


それが流動的なもので、縁を切ろうとすればすぐに切れるものでも、「今」仲良くしてくれる現実やブログのお友達にとっても感謝してます。


でもあんまりがっかりしないように、過剰に期待するのはやめようって思ってます。