昨夜、寝る直前に足がむくんでしんどかったので、ダンナさんにもんでもらいました。


その時の会話。


私「足が疲れた~」


ダンナ「もしかしてもんでほしいの?」


私「もんでくれたらうれいいけど、面倒だったらいいよ」


ダンナ「もんでほしいなら、もんでって言いなさい」


私「ごめんなさい><もんでください」


何か頼みたいことがある時、「~してくれない?」って頼めばいいのに、ついついまず相手の反応をみるために間接的な訴えをしてしまう私あせる


このくせは子供のころから親に注意されてきたし、反省です汗


次からはちゃんと最初からお願いしようと思ったのでした汗


今朝、ダンナを見送った後、昨夜のこの会話が思い出され、むくむくと不安な気持ちが出てきました汗


この不安は自分にとって有害だ!と思い、思考を修正してみました。


「ダンナは私にあきれて嫌気がさしたかもしれない」→「そんなことはない。今朝も仲良くいってらっしゃいしたし、ダンナはこの程度のことで私にあきれたりしない」


「私は嫌なやつだ」→「だれでも失敗はある。頼み方がよくなかったからと言って嫌なやつというのは言いすぎ」


「私はダンナに面倒ばかりかけてる」→「そんなことない。昨日は洗濯や掃除、買い物、料理と主婦業ができたし、面倒をかけたのは足をもんでもらったことだけ」


などなどですリラックマ


反省して次はこうしようと思うのは、自分にとっていい影響をもたらすけど、「もうあきれられたに違いない、私は最低だ」と思うことは、不安や憂鬱をもたらすだけで、自分にとってなんのいいこともない。


なんのいいこともない考えを引きずっていても仕方がない。


何か不快な気分になった時、迷った時、「いいことがあるかどうか」に焦点を絞って考えてみると、不必要な苦しみを避けられるような気がしました。


そうはいっても、うつの時はひとつの考えがずーっと続く症状があるから、そういう時は頓服を飲んで寝るのがいいかなとも思います。


今日の私は、これで気分を立て直せたので、掃除、洗濯、布団干しが気持ちよくできました音譜