今日は8時に起きて、ボロ布ワイパーで掃除して、洗濯物をたたんで、片付けて、干して、工作もして、お昼ゴハンの支度もできました
午後からは、友達とお茶&お買い物してきました
帰ってから、眠くなって夕飯まで寝て、夕食後は、片付けたり、テレビみたりして元気に過ごしました
なかなか充実した1日だったと思います
前の記事に書いた話の続きなのですが、私は主治医に「親離れ子離れするいい機会だと思う」と言われて、「私は妹と違ってもうずっとお母さんに甘えたり頼ったりしてないから、親離れできてるもん」と思ったのです。
私が親離れできてないって言われるなんて心外だ!と思ったのです。
でもゆっくり考えてみると、「親離れできてない状態」っていうのは、単に妹みたいにお母さんがいないと何もできないというお母さんべったりな状態を指すだけでなく、私みたいにお母さんの気持ちと自分の気持ちの境界線がよくわからなくなるくらい同調してしまう状態も指すのかなぁと思いました。
私は、お母さんが大変そうだと、その気持ちにシンクロしすぎて、自分まで悩んで苦しくなってしまうことがよくあります。
お母さんの悲しみも悩みも、自分のものみたいに背負い込んでしまうんだと思います。
「それは、お母さんが考えることです」
以前受けていたカウンセリングで何度も言われた言葉。
私はついついお母さんが考えればいいことも、自分の中にとりこみすぎてしまう。
お母さんの気持ちに寄り添いすぎて、自分の感情なのに、お母さんのものと区別がつかないような状態でした。
「甘える」とか「何かをしてもらう」とか、そういう意味での親離れはできていても、心理的に離れられていないのは事実だなーと思いました。
今回の引っ越しを決めたとき、初めてお母さんの意にそわないかもしれないことを勝手に決めたなぁと思いました。
大学生の時、ダンナが親に黙って原付を買ってきたことがあったそうです。
ダンナの両親は、原付は危ないからと反対してたのに、突然買ってきたから、お義母さんは、「こうやってだんだん親から離れていくんだなぁ」って思ったそうです。
「親は子供が離れていく悲しみを乗り越えないといけないよね」
ダンナがぼそっと言った言葉にはっとしました。
私は、その親の悲しみまで、自分のものにしちゃうから、動けなくなっちゃうんだ。
子供は親から離れていくのが自然なんだから、親を悲しませないように、親の言いなり、望むままのいい娘でいるのは無理があるし、そんなことしなくても、親は親で悲しみを乗り越えて、子供の成長を見守ってくれるんだろうなぁ。
きっとこの引っ越しは、親離れの第一歩なんだなとあらためて思ったのでした。