昨日は、やたら元気だったので、ホームセンターにも行ってこれました。
粘土やワイヤーなど、またあらたなハンドメイドの材料を買ってきちゃいました
今日は6時に起きて、ゴハン食べて、また8時まで寝て、その後粘土をこねこねしてました
2時間集中してあれこれやっていたので、疲れてお昼まで寝て、午後からもだらだらしてます。
昨日お母さんと電話していて、お母さんが新しい職場で、私の学歴についてしゃべっちゃったという話を聞いて、なんだか釈然としないもやもやした気持ちだったので、それについてダンナと少し議論してました。
ダンナが
「こないだ、息子が○○っていう有名な会社で働いてるって自慢してたおばあちゃんがいたんだけど、その会社で働いてたら何がすごいのかわからない」
と言うので、
「○○っていう有名な会社は、きっとその息子さんを象徴するものなんじゃない?きっと世間一般にわかりやすい象徴として、その会社で働いてることを出してるんじゃない?」
というようなことを言ったら、なんかふたりとも納得した。
学歴とか、職歴とか、そういう目に見えるわかりやすいものは、その人が△△であるということの象徴であって、その人が今何をしていようが関係ない。
だから、「あの人ぼーっとしてるように見えるけど、○○大学出身なんだよ」と言うと、世間の見る目が急にかわることがある気がする。
○○大学、○○会社などという「象徴」から、今は表に出てないその人の「実は△△なのだ」ということが認識されることがある気がしました。
それはいいことばかりじゃなくて、今はとってもまじめに働いてても、「昔はヤクザだった」と聞けば、実はコワイひとなのかも・・・と見る目がかわったりすると思う。
過去は消したくても消せない。
また、いい過去が今になんの役にたってないかのように思えても、それは象徴として、ずっと残っていく。
私は、うつ病になって方向転換することになったとき、大学院にまでいったことが、なんの役にもたたなくなったと感じました。
「過去に見合った生き方をしなければ」
とばかり考えてしまって、今家でのんびりハンドメイドとかしてる自分ではダメなような気がしてくるのです。
でも、そういう考え方はおかしいと少しずつわかってきています。
過去は消えない。
過去は今に生きている。
でも今は過去から自由なんだ。
そう思えば、今の自分は過去に見合った人生を歩む必要もなく、今の幸せだけを考えればいいんだと気づきます。
今の自分、過去の自分、全然ちがったって、何も問題はないのだ。
今に過去が生きていないように思えても、絶対なんらかの形で、自分の一部になっているはず。
お母さんが私の過去をひとに話したことがひっかかったのは、「今の自分は過去の自分より劣っている、だから今の自分が恥ずかしい」と思ったからかもしれません。
でも、その過去はまぎれもなく私のものだし、そこを通過して今の自分がいるわけだから、今の自分を恥じることなんてないんですよね。