昨日は、記事を書きながらいろんな気持ちがあふれてきて、ボロボロ泣いてしまいました(:_;)

記事を読んだダンナが、泣いてる私をハグして、

「今抱き締めてるのは、中学生の頃のあかりなのかな」
「ずっとおばあちゃんについて思い出しちゃいけなかったんだもんね」

と言っていました。

中学1年の冬、父方の祖父母とはバイバイも言わずにお母さんと家を出ました。

それ以来、
「あんなにかわいがっときながら、なんの連絡もおこづかいもくれず、冷たいおばあさんだわ」
と言って怒っていたお母さんの気持ちに同調してきました。

「おじいちゃん、おばあちゃん」じゃなくて「おじいさん、おばあさん」と呼ぶようになり、小さい頃の楽しかった思い出も全て封印しました。

そうしないと、生きていけない状況でした。

中学生の私は、心の中とお母さんの前に出す顔、演じ分けることができなかったから、本気でお母さんの気持ちに同調して、おじいさんもおばあさんもひどい人間だと憎んでいました。

一緒に悪口を言って憎んで、恨んで。

でも、きっと辛かったんだろうな、私。

その時、問題行動でもあれば、誰かが私のSOSに気づいたかもしれないけど、当時私は親の離婚ごときでぐれたりするなんてバカなことはしない、いい大学に入って見返してやるって思ってました。

だから先生も同級生もみんな
「辛いこと乗り越えて頑張っててえらいね」
って感心してくれた。

私の本音は、もう自分でもわからなくなってしまって、辛いのかどうかもわからず、ただ上を目指して登り続けてきた感じです。

あれから10年以上たってうつ病になったのは、本音を話しても大丈夫な状況になったからかもしれないなと思いました。

「もう本音で生きていいんだよ」
って神様が教えてくれたのかも。

今は、昔のこと本音で話しても、なんの影響もないダンナやダンナの親がいる。

お母さんだってもう落ち着いて昔のこと話せるようになってきた。

中学の時から封印してきた本音、少しずつ出してあげようかなと思いました。

もう一度、自分の心の目で、父方のおじいちゃんやおばあちゃんとの思い出をみてみようかな。