おじさんが教えてくれたクリスマスのお話ですが、間違っていたらすみませんあせる


「ヨゼフと臨月のマリアは、住民登録をするために遠く離れた故郷に行かねばなりませんでした。」


「故郷にいくのですから、親戚の家に泊めてもらおうと思ったのに、マリアのおなかの赤ちゃんがふたりのものではないという噂が広まっていたため、どの家にも泊めてもらうことはできませんでした。」


「予想外の出来事で、宿代ももっていないし、不安の中、馬小屋で泊まることにし、そこで赤ちゃんが生まれたのです」


「このキリストの生誕の日がクリスマスですが、これはいわば絶望の象徴です」


「誰にも泊めてもらえず、馬小屋で出産するなんて、どの妊婦さんでもそんなところで生みたくないでしょう」


「そもそも、住民登録するのは、高い税金をとられることになる制度のためであり、そんな不安と絶望の夜に生まれたのです」


こんな話を聞いて、私は、キリスト、また聖書のお話というのは、人の中にある、絶望、不安、悲しみ、希望、不信、裏切り、信念、回復・・・などなどいろーんなものの象徴なのかなぁと思いました。


自分の中にある絶望を、聖書のお話と重ね、そして希望を見出したり。


きっとキリスト教に限らず、いろんな信仰のお話、神様などは、みんな自分の心の中にあるのかなと思いました。


キリスト教徒の方には、本当に失礼なのですが、

「聖書なんてうそばっかじゃん」

と思っていた私叫び

(ご、ごめんなさい!)


でも、象徴なんだって思うと素直に読めるかもしれないなと思いました。


心が折れそうなとき、救われる言葉。きっとあるんだろうなと思ったら、ちょっと読んでみたくなりました。