今日は、パソコンしたり、素材きったり、のんびり過ごしてました。

さっきダンナといろいろしゃべってて、思いついた作り話があるので、ばーっと書きたいと思います。


まずは道徳の教科書的バージョン。


* * *


とある職人さんのもとへ弟子入りしたAさんとBくんがいました。


Aさんは、既婚女性。

Bくんは、既婚男性。


弟子入りして1年、ふたりは毎日一生懸命がんばりました。


しかし、職人の技は難しく、まったくうまくいきませんでした。


「なんだか、だんだんこの仕事が好きかどうかわからなくなってきた」

ある日、Bくんがぼやきました。


「実は私も好きかどうかわからなくなってきた」

Aさんもため息まじりに言いました。


そこへ職人がやってきて、ふたりに厳しく言いました。

「始めて1年足らずで好きかどうかわかるものか!私だって、うまくいかない数年は苦しかったが、10年目くらいからようやく楽しさがわかり、今ではこの仕事を好きだと自信をもって言えるようになったのだ」


ふたりは、家庭に帰るのを忘れるほど仕事に没頭する職人にもそんな時期があったのかと驚き、もっとがんばってみようと思いなおしました。


しかし半年後、Bくんは、職人のもとを去っていきました。


「やっぱりこの仕事は向いてないし、好きじゃない。やれるだけの努力はした」

とBくんはAさんに言います。


Aさんは、Bくんを見送りながら、自分もこの仕事が好きじゃないのかも・・・という思いがよぎりました。


しかし、

「私はこの仕事に憧れて、好きで始めたんだから、職人の言うとおり、最初の辛い数年は我慢しよう」

と自分に言い聞かせ、職人のもとにのこりました。


それから10年の月日が流れました。


Aさんは、苦しい日々を乗り越え、ついに職人として成功することができました。


一方、Bくんは職人のもとを去ったあと、職を点々とし、どれも長続きはしませんでした。


Aさんは、途中で仕事をやめずに、苦しい10年を乗り越えて本当によかったと思いました。


おしまい。


* * *


そして、たぶんこちらが現実バージョン。(上記の文章の☆印から)


* * *

「やっぱりこの仕事は向いてないし、好きじゃない。自分がやれるだけの努力はした」


迷いなく去っていったBくんの言葉を聞いて、Aさんは思いました。

「私は、主婦業もあって、Bくんみたいに夜遅くまで残ったりしてなかった。私はBくんより努力が足りないんだ」


そして、本当はこの仕事が好きじゃないかも・・・という辛い気持ちを振り払いました。


「憧れてた仕事なのに、自分の努力不足で途中でやめるなんてだめ」

と自分を奮い立たせました。


しかし、実際には、AさんとBくんのがんばりは同等のものでした。


ただ、Aさんは自分に自信がもてなかっただけです。


Aさんは、「もう好きじゃない」という気持ちに罪悪感をもち、自分を責めました。

そうしてどんどん仕事が好きではなくなり、苦しいだけの日々を送ることになってしまいました。


その間、Bくんは仕事を点々としましたが、最終的に本当に好きだと思えるものを見つけ、毎日楽しく過ごしました。


おしまい。

* * *


「もう好きじゃない」という気持ちを尊重することは、決して悪いことじゃないと思う。


この職人さんだって、10年間苦しかったとはいえ、好きだという思い、楽しいと感じる時間のほうが多かったから続けられたんだと思います。


楽しい、面白い、と感じることよりも、苦しい、辛い、感じることが多くなったら、無理に続けることがいいとは限らない。


一度きりの人生、苦しくて辛い時間よりも、多少他人に批判されようとも、楽しくて幸せな時間が長いほうがいいはず。


私には「Aさん」の要素がとても強いけれど、「Bくん」のように身軽に生きていけるようになりたい。


*このお話に登場する人物、団体はすべて架空のものです*