昨日のカウンセリングでは、あんまりしゃべる気力がなくて、沈黙の時が流れたりしてました汗

ちょっと私が黙ってたら先生どうするかなと思って、黙ってみたけど、何も言わないので、結局私がまたしゃべることを探してしゃべりましたブタ


私「こないだ実家に行ったんですけど、妹とお母さんは12月に韓国旅行にいくらしいんです」


私「妹がその話してくれたんですけど、その時に『これ、言ってもいいのかな・・・』とちょっと躊躇しながら教えてくれたんですよー」


私「それで、私に悪いと思って内緒にしてるのかなと思って、妹なりに気を使ってくれてるのかなぁと思ったんです」


先生「妹さんとお母さんが韓国旅行に行かれると聞いて、どう感じられましたか?」


私「うーーーん、ちょっとはさみしい気もしたのかなぁ・・・」


私「でも、私も行くってことはあり得ないので、別にいいんですけど」


先生「3人で行くっていうことはないということですか?」


私「そーですね。私は今は病気だから旅行にいけないし、3人でいったら、お母さんのペースについていけなさそうです苦笑


みたいな話をしたんですけど、先生は、「妹とお母さんが内緒で旅行の計画をしていて、誘ってもらえなかった」という風に捉えたのかなと思いました。


確かに、いつかお母さんを海外旅行に連れて行ってあげたいなとは思っていたけれど、妹をおいていくのは無理だし、3人でいくのは私が無理だし、妹とお母さんで行くのが一番妥当なんです。


「どう感じられましたか?」と聞かれたとき、「さみしい気もした」と言ったのは、状況的に「これはさみしいって感じる状況なのかも」と判断しただけで、本当に「さみしい」って感じたわけじゃないんです。


じゃあ何も感じなかったのか?と考えると、何かがちくっとひっかかったような気もします。


でもそれがなんなのか、実感をもってはわからない。


よく考えると、ダンナに対しては、すごくリアルに感情が動いて、自分が何を感じているのかはっきりわかるんですけど、お母さんに対しては、自分が何を感じてるのか、わからないことが多いです。


客観的にみると「さみしいだろうな」とか「辛い状況だ」という場面でも、私自身はその感情を感じてない。


深く考えすぎと言われればそれまでですが、今までお母さんに対して無意識に感情を抑圧し過ぎて、もう自分でもわからなくなっちゃったのかなぁと思ったり。


その置き去りの感情を、リアルに感じられたら、何かが変わるのかな。

もし、それが私のやり残した課題なのだとしたら、相当難題だと思う。