私は、病前わりと行動的なほうだったと思います。
今もその傾向はあり、カウンセリングやダンナとの会話の中で、私の抱える問題に気づくと、「じゃあどうしようか?」と解決策を考えて、結果をだそうとしてしまいます
でも、今の私の状態って、過去の体験が影響して生きにくくなっている、という感じであって、生活する上で困っていることが具体的に挙げられるというわけではないのです。
なんか、うまく言えませんが、たとえば「人と接するのが怖くてなんとかしたい」とか「どうしても手洗いがやめられないからなんとかしたい」といった類のことではなくて、漠然と「過去の整理をしていけばうつ病もよくなるんじゃないか、自分の生き方も見えてくるんじゃないか」と思っているのです。
こないだのカウンセリングでの先生との会話です。
私「前回のカウンセリングのあと、『夫婦仲良く、かわいい家をたててのんびり暮らす』っていう夢はこのままいけば手の届く夢なのに、どうして安心できないんだろう』って考えたんです」
私「そしたら、親が離婚したときに、信用してた大人たちが次々豹変したことで、『信じられるのは自分の力だけだ』『他人と作る幸せなんて壊れやすい』とずーっと思ってきたから、ダンナと作る幸せの中で生きていくのが怖いんだって気づいたんです」
私「ダンナを信用してないわけじゃないんですけど、どうしても人は突然豹変してしまうイメージが強くて保険がほしくなってしまうんです」
先生「保険?」
私「つまり、家庭のほかにも自分のよりどころを作っておきたいというか・・・」
私「でも、研究者をやっていくと、家のことに手が回らなくて、のんびりした生活が送れないんです」
先生「ずっと『信じられるのは自分の力だけ』って頑張ってこられて、ダンナさんとふたりで作る幸せに不安を感じるんですね。だけど、研究をやっていこうと思うと、のんびりした生活からは遠ざかってしまうんですね」
私「ほんとは、ダンナを信用して安心してのんびり暮らしたいんです。どうしたらいいんでしょうかねー」
先生「うーん・・・」
私「やってみなきゃわかんないですよね」
先生「やってみなきゃとは??」
私「過去は変えられないし、あれこれ考えるより、ダンナと過ごしていってだんだん安心できるようになるしかないですよね」
私「あーなんか焦ってますね」
私「私、問題点が見つかるとすぐ解決策を探して、結果をはっきりさせたくなっちゃうんです」
先生「こういうことはね、時間がかかりますね・・・ゆっくり、ね」
話しているうちに、私はカウンセリングの意義を見失ってしまいます
過去はかわらないし、話してて意味があるのかなとか、答えがないことを考えてて意味があるのかなとか・・・
そんな時、ダンナのおとうさんに言われた言葉を思い出すんです。
「精神療法は何百回と面接を重ねてやっとクライアントの考え方のくせとかがわかってくるのね。だからすごく時間がかかる。」
「認知行動療法なんかは、『こんなときはこうしたらいい』とかね、すぐ使える解決策を提示するんだけど、精神療法は時間をかけて、自分を知っていくという感じかな」
「小さい頃特急列車であっというまに通り過ぎたところを、もう一度各駅停車の普通列車で通ってみて、『あぁ、あんなところにあんなものがあったんだなぁ』って気づかなかったものをゆっくり見ていく感じかな」
今、私は普通列車に乗って、ゆっくりゆっくり景色を見ているんだと思います。
途中で、昔落としてきたものを見つけても、降りて拾ったりはできないけど、「あーあんなものがあったんだ」と気づくことが大事なんだろうなぁと思います。
そして、ゆっくり、ゆっくり、自分を理解していく。
たまに、他の人が「あんなものがあるよ」と言って、気づかせてくれたり。
正直、ゆっくりすぎてまた急行にのりかえたくなっちゃうけど、自分を知る旅は普通列車じゃないといけないんだろうな。
こんなことを考えながら、「私ってお母さんに似てせっかちなとこあるなぁ」と気づいたり。
時間をかけてゆっくり治療していこうと、改めて自分に言い聞かせます