![子どもと大人、どっちが楽しいと思う?](https://stat.ameba.jp/common_style/img/home_common/home/ameba/allskin/ico_kuchikomi2.gif)
今は、うつ病だし、「楽しい」とは思えないけど、大人の方がいいです。
社会的な責任という面からみたら、子供の方が楽かもしれませんが、私の家庭においての子供時代は辛かったです。
なんだか、悲劇のヒロインぶるみたいで嫌ですけど、最近、ぐるぐる頭の中をまわってまわってとても苦しいので、辛かったこと、書かせてください。
私の両親は私が中学1年の時に別居して離婚に至ったわけですが、その際、私はお母さんに信じてもらえなかったことを、自分でも嫌になるくらい根に持ってるみたいです。
まず、家庭内別居状態が始まった時に、ある日、お母さんと妹だけ食事を別にとるようになっていました。
これは以前にも記事にしました(http://ameblo.jp/utsunoakari/theme10-10010010640.html#main
)。
私は試されたんだろうと思います。
だから、あわてて、お母さんの味方であることをアピールしました。
別に、私がお母さんと仲が悪かったわけではありません。
元父親が好きだったわけでもありません。
でも、私は姉だし、妹がお母さんべったりだから、他の大人になつくしかなかったんです。
私が父方の祖父母になつくのを母がよく思ってないことは、3歳かそこらにはもう気づいてました。
たとえば、小さい頃、母にしかられて家を閉め出された時、最初は
「お母さん、ごめんなさい」
って言ってたけど、だんだん
「おかーさーん、おばーちゃーん、家いれてよー
」
![号泣](https://emoji.ameba.jp/img/user/ch/chauty/186301.gif)
と言ってしまった時、ばーんとドアが開いて、
「なんで、おばあちゃんを呼ぶの![!?](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/177.gif)
」
![!?](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/177.gif)
![パンチ!](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/043.gif)
とさらに怒鳴られたことは、ずーっと覚えてます。
その時は、大人の事情なんてわからないから、理不尽な気持ちでいっぱいだったけど、とにかく、あまり、祖父母になついている様子をみせてはいけないのだということは、しっかり刻まれました。
だから、気をつけてきたつもりです。
母子3人で家をでて、離婚調停している頃、私がちょっと不満を言うと、お母さんは、
「どうせあんたは、あっちの家(父方)がいいんでしょう
もういいわ
」
![!?](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/177.gif)
![!!](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/176.gif)
とぶち切れて、お母さんが家をとびだしちゃったこととかありました。
もちろん、そのへん歩いて、帰ってきましたけど・・・
ことあるごとに、私は信じてもらえませんでした。
私の誕生日に、父親から手紙つきの図書券が送られてきた時は、空気が凍り付いて、
「うわー
やばーい
」
![叫び](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/254.gif)
![!!](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/176.gif)
って感じでした。
「ほれ見やー、やっぱり、あんたは長女だから、手放すのもったいなくなったんだわ
」
![爆弾](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/036.gif)
と切れる母と一緒に、
「今更こんなもん送ってきても、戻るわけないじゃん
」
![パンチ!](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/043.gif)
って怒って、一緒に元父親を憎みました。
本当は、そんなもの私に見せないでほしかった。
また、試されたような気がしました。
実際のところ、不倫やらギャンブルやらで家庭を壊した男のことなんて、最低最悪だと思うし、本当に私の心にはこれぽっちも戻りたい気持ちなんてなくて、怒りしかなかったけど、何しろ信じてもらえてないような気がしていたので、母の気持ちに同調しようと一生懸命でした。
「お母さん、あんたがいい大学入ったら、見返せるわ」
そう言われて、それが、私はお母さんの味方だという証明になるに違いないと思いました。
お母さんと一緒に元父親を見返そう。復讐のために、頑張って立派な大人になるんだ。
そしてうつ病になった時、お母さんから、「もう十分だわ。復讐は終わったわ」という言葉をもらって、その役割は終わりました。
ほっとしました。
でも、他にも言ってはならないことがたくさんありました。
「遠くの研究室いきたいなー」
と言えば、
「あんたは、そうやってお母さんを捨てるのか」
と切れられ、そこまで言ってないし・・・って言っても、聞く耳なんてありません。
結婚して、大学院に通いやすいところ(実家からは遠くなる)に住もうかなと言えば、
「そんなとこ住むなら、お母さん、あんたのとこには行けんわ。もういいわ
」
![ビックリマーク](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/039.gif)
って冷たい子呼ばわりです。
そんな風だったのに、今、妹たちが同居することになって、私は用済みかと思って、また不安になりました。
その不安を話したら、
「老後は、あんたのこと頼りにしてるよ
」
![!!](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/176.gif)
と言われ、安心しました。
そうやって、条件つきで母の信頼を確認しようとしている自分に気づきました。
もし私が車椅子とかになって、提示された条件を満たせなくなったら・・・
条件つきの愛情は苦しいです。
もう疲れました。