1月の風物詩。
毎年恒例※の新成人バッシング。

私が高校生の頃(1990年代後半)から始まったような記憶があります。
メディアは酷かったですね。
成人式で新成人がうるさいとか、騒いだとか、そんなことをあたかも大事件であるかのように報道。
それから、中高年の識者?とか一般人に「最近の若者は~」と言わせる。
今から考えると、テレビに出ていた「一般人」は一般人のフリしたエキストラなのだろうけれど、当時は分からずに、本当に一般人なのだと考えていました。
(私自信、テレビにかなり洗脳されていたと感じます。)

群れるとザワザワおしゃべりを始めるのは、何も子供や若い人に限ったことではありません。
ただ、成人式ということで、中には普段以上に気持ちが高揚する人もいるでしょう。
それを、「非常識、教育が悪い、私たちの若いころは~」。

私が成人した年も、新聞やテレビで新成人バッシングは繰り広げられていました。
私は、「私は20歳になったけれど、だれにも歓迎されていない」と感じました。
「こいつら(メディアで新成人をバッシングする中高年)は敵だ」と思ったし、「自分を守らなければいけない」とも思いました。
それから「お前ら(バッシング中高年)はどうなんだよ?」「他人のこと言えるのかよ!?」という考えが浮かびました。

私は成人式は行きませんでした。
成人式の通知のはがきは、地元との町と、大学がある市の両方から来ました。
大学がある市から通知が来たのは、予想外だったし、うれしかったです。
「私はこの新しい土地で受け入れられているのだ」と安心感が湧きました。
親元から離れて大学生活(=一人暮らし)を始められたのは、私にとって希望でした。

(※新成人バッシングって今でもやっているのですね。
「まだやってたの?」って感じで、正直、呆れる。)

死ぬのは怖くない(抵抗はあるけれど)。
「痛み」が怖い。

子供は何て絶望的に泣くのだろう。
見ている親は、なぜ何も感じないのだろう。
子供をわざと泣かせる親さえいる。

痛みを感じずにすむのなら、死んだ方がいい。
痛みを感じずにすむのなら、生まれてこない方がいい。
大学1年生の冬休み、時代は2000年紀に入りました。
大晦日まで郵便局でバイトをしていたので、2000年の元日に地元へ戻りました。
関西がカラッとしていたのに比べ、地元は曇っていたし、空気も湿っていました。
洗練された町並みも歴史のロマンもなく、ただ「だだっ広い」土地に背の低い建物がポツポツと建っていました。
店舗よりも広い駐車場が、やたら目につきました。
「駐車場だけは広い。
土地はある。
でも、希望はない。
希望のない街」
そんな詩(?)を作っていました。
(私には詩を書く才能は無いみたいです)

両親や祖父母と会っても、「イヤだ」としか感じませんでした。
祖父母の家に泊まりに行った時も、「ここはあたしの居場所じゃない」と思いました。
そして、カレ君とカノジョちゃんを思い出しました。
二人のことを考えて、想像の中の二人に向かって、
「(あたしを)見捨てないで、見捨てないで、見捨てないで…」と懇願しました。
小声でしたが、声に出して言ってしまいました。
隣にいた祖母は、何と思ったでしょう。

大阪は好きだったけれど、嫌いな部分もありました。
心斎橋に遊びに行ったとき、中に水が張ってあって、ぬいぐるみの代わりに生きたエビが入っているユーフォーキャッチャーを見かけました。
それまでの比較的上向きだった気持ちがどこかへ行ってしまい、体がこわばり、胸が締め付けられました。
(あのエビはどんな気持ちだろう。
ゲームの景品になってる。
みんなに見られてる。
吊り上げられたら、多分殺されてしまう)
(こんな残虐なゲームを考える人ってどんな人なの?
これが関西人なの??)
カノジョちゃん宛てた手紙にこのことを書きました。
「もしも私がエビだったら、きっと気が狂う」

その頃は、某女性アイドルグループが売出し中で、街ではその曲ばかり流れていました。
私はその状況が不快だった一人でした。
「なんで2000年紀に入ったというのに、こんな昭和の歌謡曲みたいの聞かなきゃならないの?
この状況を変えなきゃ。
もっと洗練された、現代的な音楽を作れるはず。
あたしがやらなきゃ。
2000年記はあたしの時代にしよう」
決心は私を奮い立たせました。
同時に、とてつもない目標を掲げたことに対する不安に、私は押しつぶされそうでした。