春の雨にはAMOS LEEがよく似合う。
いつもは急いで「把握する」国際面も
じっくりと「読む」週末はいろんなことを考える。

今週は番組で伊藤由奈さんと
世界で起きている悲しいニュースとそれに対して自分ができることについて話していて
彼女の出した答えは
「まわりの人をtrust(信頼)すること」だった。
改めてよしもとばななの一節を思い出してた。
「そういう人たち(山の中で修行しながら世界中のために祈っている人たち)が
この世でいかに役に立ってるか知らないな。
いかに沢山いて、いかに平和を保つのに力をつくしてるか」 (ハチ公の最後の恋人より)
どこかで誰かの無事を祈って糸を紡ぐ人がいるように。
木に模様を彫る人がいるように。
平和を願ってお茶を点てる人がいるように。
直接関係なく見えることが本当はつながっているのかもしれない。
支えているのかもしれない。そしてそうであればいいなと思う。

(↑先週、アイヌの木彫り教室で彫ってきた鍋敷き)
同時にこんな一言も思い出した。
「だからこそ、大したことができると思ってはいけないのだ、と思えることこそが好きだった。
私のできることは、私の小さな花壇をよく世話して花で満たしておくことができるという程度のことだ。
私の思想で世界を変えることなんかじゃない。」 (よしもとばなな:海のふたより)
自分のできることなんて限られていて、それをするしかないこと、それしかできないこと、
わかってはいても、時々それがとてももどかしくなる。
番組の後にディレクターと「もしも世界が100人の村だったら」のことを思い出しながら
どうしたら世界は変わるんだろうって話してた。
創られてしまった世界の構図はあまりにも大きくて、自分にできることがあまりにも小さすぎて
その時は2人してなんだかとても空しい気持ちになった。

fuji rock2002のpatti smithのmessageは何度見たかわからない。
「先祖に代わって、わたしは原爆を謝る」とはっきりと言ったあのMC以上のMCに
わたしは今まで出逢ったことがない。
その中で彼女はこうも言っていた。
「今、世界に一番必要なのは世界中の人々が立ち上がって戦争はイヤだと言うことです。
それも何千人というのではなく、何百万人という規模でなくてはなりません。」一人一人のできることはやはり限られていて、それをやるしかなくて、
だけど、その「一人」がたくさんいなければやはり変わらない。
そういうことか。
この前見ていた宮崎あおいさんがルワンダに行く番組のエンディングで
宮崎さんが言っていた言葉がとても印象的だった。
「自分が何で生かされているんだろうって考えるとやるべきことがあるはずだと思った。
役割みたいなもの・・それを生きているうちに見つけたい。
私がこの仕事をできていることにも必ず理由があると思うので、
それをこれから探していきたい。私の役割みたいなものを」 考えずに生きていくことはできるけど、
そうしない人が増えてきたような気がしてる。
テレビの中でも。わたしのまわりでも。
「一人」は増えてきているように思う。
朝から暗いニュースを読んで考え出したところから始まって
わたしの頭の中で行きついた先はそんな光だった。何かよかった。
この後はチャイでも入れて、玄関の花を生け直そう。