とーっても、どうでもいい事をダラダラ書いたので無理して読まなくて構いません
と、前置きして.....
普段は大病院と連携してる近所のクリニックで2ヶ月に一度薬を処方してもらい、
4ヶ月に一度、採血と検尿と先生に受診
このクリニックで内科・外科・胃腸科・肛門科なら診てもらえる
それ以外に歯科医院と、たまに耳鼻科通い
年に一度は大病院で検査
循環器科と
心臓血管外科ペースメーカー外来がある
循環器科は30年前に主治医だった先生は病院長に出世し、もう診てもらえない
毎年、行くたびに主治医が変わっていて、
しかも皆んな若い先生ばかり
はじめは「こんな若くて」と不安だったけど
だんだんわかってきた
若い先生の方が最新の知識もあり、熱心に私の話も聞いてくれる
一方のペースメーカー外来の主治医は
夜勤明けなのか、はたまた手術した後で疲れてるのか、私の顔も一度も見ず大あくび、
ペットボトルの水を飲み干しポンと床に投げ捨てる
助手が私の肩と胸に置いた電池残量を聞いてペースメーカー手帳に書き込むだけ
帰りにロビーに設置してあるご意見箱に書いて入れてきた(匿名&数年前)
次回行った時は、にこやかに「お待たせしました。どうですか?」と別人になってた
障害者手帳を持つ事になったけど
3回の手術のお陰で今は健常者と変わらぬ生活ができている
股関節と膝の痛さで苦労はしてるけど。
手術前は、いつ不整脈の発作が出るかと四六時中不安で、一人で入浴するのも嫌だった
最終的には四六時中ずっと2種類の不整脈が入れ替わりたち変わり止まらなくなったけど一年我慢
何度も夜間救急外来へも行った
嫁いだ娘が見かねて強制的にタクシーで救急外来へ連れて行ってくれて、入院と手術が決まった時は嬉しかった
こんなキッカケが欲しかったから嬉しかった
無理して出かけた時に、不安から過呼吸になり、
どこも悪くはないけど本人的には◯ぬかと思うほど苦しい
周囲の酸素が無くなる感じだった
その延長線で予測パニック障害と外出不安症になって、どこへも行けなかったけど
帝劇だけは、新幹線に乗るまで夫に付き添われ、精神安定剤を服用し、
光ちゃんに会える事だけを胸に
閉所でも1時間を耐え忍び
東京駅では友人にホームで待っていてもらい
安定剤をもう1錠飲むありさま
誰かが居れば大丈夫な我儘な病気だった
でも、一人で行けた事が徐々に自信に繋がり
数年掛けて自力で治しました
今はもう全く発作が出る気配もありません
今は、上半身より下半身
東京駅改札から八重洲の出口までも歩けるかどうか?というほど痛くて歩けない
手術も考えた時もあったけど
皆が皆、楽になる訳ではない事を、何人もの経験者から聞いたから選択肢から外した
家の中は夫が必要な箇所を手すりだらけにしてくれたから不便はない
ちょっとした外出はノルディックストック(スポーツ用品店で売ってるウォーキング用2本杖)で何とかしてるし、
広い施設やテーマパークとかは車椅子に乗ってしまう
もう恥ずかしいとか言ってられない
でも押す側の夫は恥ずかしくないか尋ねたら平気だと言ってくれたので助かってる
若い頃、何度か「子供が独立したら離婚してやる!」と思ったけど
ここへきて、この人で良かったと思える調子の良さよ!
歩ける人が羨ましい
歩けさえすれば、もっとフットワーク良くなるのにね
鍛えようとすればするほど骨がぶつかり合って炎症が酷くなる
日によっても痛さが違う
でも、自分よりもっと大変な病気と向き合っている人や不便な生活をしてもいる人もいる事を忘れてはならない
友人曰く「こよなくは100歳以上生きそう、同世代より年齢も若く感じるし
いつもキラキラしてる」と言ってくれる
これも光ちゃんのおかげ
って、まとまらぬ話で申し訳ありません
何が言いたかったかと言うと、病院の先生の事を、若いからというだけで判断していた私は反省してるというお話と
光ちゃんには色々助けられてるというお話でした