リコリス・リコイルを全話観終えての感想。
※当初と異なる表題にしたため、文章の流れが不自然な箇所があると思いますが、ご了承ください。
始めに
ダブル主人公と言われていたたきなですが、僕はそうは思いません。別の役割があると思っています。
「リコリス・リコイル」とは
まず大前提として、リコリス・リコイルは「錦木千束の物語」でした。
千束がたきなに出会う10年前と、出会ってからの一年間を描いた物語。
10年前に千束の身に何が起きたのか、そして10年経ってたきなと出会ってから物語は大きく動きますが、一体何が起きて、千束はたきなと共に何を選択するのか、そんなお話。
千束の心情は「誰かの時間を奪わない事」「身近にいる人を助ける事」ですが、何故その心情に至ったか、そしてそれにより何が起こったのか、そういうところを描いていたのかなと。
そりゃ主人公なんだから当然だろうと思うかもしれませんが、多くの方が考えている以上に本作は主人公である千束を中心として物語が描かれていきます。
たきなとのダブル主人公とも言われていますが、たきなには前述した通り特別な役割があるので、実質的には全て千束とその周りで起きている事、それだけです。
なので千束にとって重要な事は丁寧に描かれますが、あまり関連のない事は淡白にしか描かれません。
別記事にしましたが、視聴者が気になっている伏線が回収されないのはこのためです。千束にとって関係のない謎をわざわざ明かす必要がないのです。
だって千束が中心の話ですから。
ストーリー総括
まずは全体の感想から。
結論としては超王道だったかなと。
日常(ギャグ)とシリアスが絶妙なバランスで融合した作品でありながら、序盤では主人公(千束)の魅力を引き出し、中盤で主人公が問題を抱えることにより他のキャラ(たきな達)の存在感を際立たせ、最後は主人公を中心とした味方サイドの勝利で決着がつく、と。
王道は使い古されたものではありますが、廃れない魅力があるからこその王道であり、それゆえに要求されるハードルが高いのでなかなか良作にはなりにくいのですが、それをやってのけたのがリコリコだったのかなと。
一見邪道に見えて実は王道ってところも、それを気づかせないような気遣いができている証拠かなと思います。
なので伏線はバリバリに張ってはいましたが、回収に際しては直球なところが多く、変化球は少なかったかなと。ミスリードも少なかったですし。
注目されていたラストも良かったですね。世間的には賛否両論だったみたいですが、これが限りなくベストに近い結末だったのではないでしょうか。
他の作品だと不満が残るラストかとしれませんが、リコリコならではの、リコリコにしか出来ないラストだったと思います。
あぁ、リコリコは最後までリコリコだったなって。
普段はAパートは日常、Bパートがシリアスという展開が多かったですが、最後は逆。Bパートがエピローグになるかなという予想はしていたのでまぁ期待通りでした。
結局バッドエンドで終わるはずがなかったのです。千束の物語に千束がいなくては成立しませんし、千束っぽく始まって千束っぽく終わった。それだけの話。
もちろん、千束の物語って部分は結果論なんですけど。
同時に、リコリコはベタベタなエンタメでしたね。なまじ社会風刺的な要素を盛り込んだが故にリアリティを追求する視聴者が多く、結果脚本ガバとか言われていますが、そもそもエンタメ作品にそこまでのリアリティを求める事がナンセンスです。「君の名は。」に脚本ガバだと突っ込むようなものです。
社会風刺の要素についてはさほど重要ではない、と監督もインタビューで答えていますし。それについてはこの辺の記事が参考になるかなと。
https://febri.jp/topics/lycoris_recoil_int1_3/
錦木千束のお話
先ほどでも散々触れた、この物語の主人公であり本作品の中心。
性格は天真爛漫、自由奔放。自身が心臓に問題を抱えているため常に死と隣り合わせにおり、それ故毎日を楽しく過ごしたいと思っている。モットーは「やりたいこと最優先」。
幼い頃に心臓の病から救ってくれた経験により「不殺」と「人を救う事」を心情として掲げ、高い戦闘能力を活かしてそれを実行する。
特技は高い洞察力を用いての近接攻撃。ほぼゼロ距離での弾丸すら躱すため、銃での攻撃はほぼ無意味。視力に特化しているため暗い環境化での戦闘は苦手としており、また人の命が関わる場面においてはそのモットーゆえ本来の力を発揮できない。
とまぁ、つらつらと書き連ねてはみましたが、結局物語が千束の話なので、ここまではアニメ見たらわかるよねって事しか書いてません。
人生にリミットが設けられているという特殊な環境にいながら、常に日々を楽しもうと前向きに生きており、それ故の自由奔放さなので、ぶっちゃけ何をしても許させる感じがしてしまいます。
「まぁ、千束ならやりかねないよね」って。
ある意味真島に似たタイプの人間でもありますね。やってる事がポジティブなだけで。
その分、感情移入がしづらいキャラでもあります。
たきなと出会ってからはたきなの変化に目が行きがちですが、千束もまたこの数ヶ月間でいろいろ変わったのかなと思います。
千束は1話から明るくハイテンションの楽しい女の子ではありますが、今見直してみるとたきながリコリコに来た事をとても喜んでいるように見えます。これは以前記事にもしたのですが。
千束にとってたきなは10年ぶりに出来た同年代の友達です(少なくともアニメでは他に友達は出てきません)。しかも彼女が相棒になってくれるというのです。こんな嬉しい事はありません。
1話で沙保里さん(ストーカー事件の被害者)が「テンション高い子ね」と言っていますが、元々テンションが高いキャラに見えるのではなく、実際にテンションが高かったのでしょう。ここは是非とも見直してほしいところです。
その後もたきなに対して様々なやり取りをしていきます。3話などは特に象徴的だと思います。やたら達観している発言は自身の過去をなぞらえての事であり、たきなには同じ目にはあってほしくない、でも同じように生きてほしいところもある、そんなメッセージに聞こえます。
4話もそうです。デート回とも言われていますが、千束も女子と街に遊びに行くなんて経験なかったんじゃないかと。たきなは千束が連れ出してくれた外の世界に触れて心境に変化が生まれて行きますが、千束もまたデートを心底楽しんでいるように思えます。
そう考えたらもうキリがありません。詳細は別記事に譲るとして、とにかく千束もたきなに出会って得たものがとても大きいのです。最後は命を救われてますしね。
井ノ上たきなとは
さて、本題のたきなです。
先ほど、「たきなはダブル主人公ではなく、別の役割がある」という話をしました。ではその役割とは何なのか。
それは二つあると考えました。
井ノ上たきなとは、華である
まず一つ目の役割は皆さんお察しの通り、感情表現の変化にあります。華と言っても良いでしょう。
3話までは感情がぶれる事が少なく、表に出す事も少なかったたきなが千束に接する事で徐々に変わっていき、その魅力をどんどん増していったのは如実に現れていました。
それまでは千束推しだった人がたきな推しに推し変したなどという話もそこかしこで聞いたくらいです。たきなの人気が爆発したのはこの人間らしい変化にあると言っても過言ではないでしょう。
ただ決してポジティブな表情だけではありませんでした。後半、千束のリミットを聞かされてからは千束のために行動し、それを邪魔する相手には敵意を剥き出しにしています。
可愛くて魅力的なキャラが怖い表情をするのは一見嫌がられる描写にも思われますが、そういった声があまり聞かれなかったのはたきなの人間性にリアリティが増したのと同時に、視聴者と同じ感情をたきなが見せたからかもしれません。
その辺の表情変化については手前味噌な記事にてまとめています。最初は千束用にまとめたものでしたが、意図せずしてたきなの魅力をまとめる結果になったのは偶然か何か。
※9話以降がないって?そのうち書きます。多分。
井ノ上たきなとは、視聴者そのものである
もう一つについては、ちょうどアニメイトタイムズの安済さんと若山さんのインタビューにて、お二人が同じような発言をしていたのでリンクを貼っておきます。
https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1663806707
たきなの二つ目の役割は「視聴者そのもの」です。感情移入の対象と言った方がわかりやすいですかね。
視聴者はたきなの目線で千束を見ています。
記事でも感情移入という表現をしており、僕もちょうど上記の記事が上がる頃に同じような感想を抱いていました。
他の作品なら登場人物がこれだけいればある程度感情移入の対象はばらけると思いますが、本作においては10人いたら9人はたきなでしょう。
まず、視聴者が得る千束に関する情報は、基本的にたきなに与えられるものと同一です。
3話までは千束は何か不思議な存在だと感じ、4話で千束に興味を持ち出しだたきなは千束との距離を徐々につめていきます。
5話で人工心臓の話を聞いた時は視聴者と一緒に驚き、6話で千束が真島に襲われた時は心配し、7話で千束が会いたかったはずの吉松の態度を見て不信感を感じ、8話で電話に出ない千束に危機感を感じて駆け出し、9話で寿命の話を聞いた時はショックを覚え、12話では千束を人形扱いした吉松に対しては殺意すら剥き出しにします。
・5話
千束はそれでも心配をかけまいと明るく振る舞いますが、たきなは納得がいきません。
視聴者も同様でしょう。なぜ千束はそんな辛い目にあってなおそういられるのかと。
13話でも、延空木で千束を救ったのはたきなです。あの場面で千束に落ちてほしいと思う人はまずいないでしょう。視聴者がその場にいてその力があれば、同じ事をしたのではないでしょうか。
最終的にたきなが千束について行ってハワイに行くところも、結局ちさたき見たいよねっていう視聴者をたきなが代弁してくれたのかもしれません。
繰り返しになりますが、本作品は千束の物語です。千束とたきなは、主人公とそれを見ている視聴者なのではないでしょうか。
最後に
これらについては制作陣が意図していない可能性が多分に含まれており、あくまで僕の独自解釈です。
もちろん解釈は人それぞれですし、きっと答えなんてないでしょうから、個人の都合の良いように受け止めれば良いのかなと。
でも出来ればなるべくポジティブにね。