嘆きの歌丸。 -2ページ目

嘆きの歌丸。

憂いの日々を書き綴ります。

そんなわけで先日陸前高田市に伺ってまいりました。

被災地。

簡単に言えばこうだ。
だが、被災地というだけではない事実はたくさんあった。
自分が見たものを理解し、整理しようとしたが無理だ。
まとめてから書こうと思ったけど、まとまらなかった。だから現時点で書こうと思う。

震災から始まった連鎖が、まだまだ沢山の問題をまた連鎖させていっている。

僕が伺ったのは気仙沼、陸前高田、大船渡。各地で壮絶だった。
家の跡、瓦礫、そのままになった建物、花束、人々。

なんて書いていいか、なんて言葉にしていいかわからない。
人に会ってもどう話はじめていいかわからないと言った状況でした。

でもただ言えるのは僕が会った人達は前を向いていたって事。
爪痕は爪痕で、忘れなくも振り向かずに復興を願い、活動いている人達。
僕は言葉にならなかった。

現地にいない僕は勝手に悲壮感や、哀れみを持っていたと思う。
そんな風に思っていた自分が恥ずかしくなった。
くだらない。自分。

そんな風にしか思えなかった。

難しすぎる。

目の当たりにした様々な問題。
それらを考え活動する団体、地元の人達。

ただ事じゃない。

被災地(敢えてこう言うしかない)全土に対して想っている人、心を寄せている人も沢山いるけど現状問題視され、メディアなんかじゃ原発が中心だと感じるがそうじゃない。原発も、だよ。
確かに原発は大問題だ。

でも同じ様に、いやそれ以上か、各地のヒト、街、機能の復興が一番だよ。
僕が関連しそうなところであれば東北ライブハウス大作戦かな?
こういった活動、あらゆるジャンルで、得意分野でそこから支援をしている人たちがいる。

行動。

スゴいことなんだよ。

あーもうまとまらないよやっぱり。

少なからず僕は僕なりにできることしかできないながらもなにかできればと思っています。

今回伺ったのも実はその計画の一貫。
これに関しては、楽観視しすぎていた弱気な僕の心を打ち砕かれました。
完全になめてました。
完全にのまれてました。

はっきり腹割って意見し、討論し、詰めていけなければ組織での成功なんてあり得ない。
共倒れするだけのナカマとか言う馴れ合いなら捨ててしまえばいい。

キズナやナカマなんてのは安っぽく使っちゃいけないんだ。
ただ数を増やすだけのものならとにかく無駄だ。
一概には言い切らないが、ナカマと思っていたものに裏切られる。そんなところにキズナがあるはずがないってこと。

と、同時に僕自身が本当に周囲の人にどれだけお世話になって助けられているか、痛感しました。

この感謝を忘れちゃならない。
この感謝を伝え、返すどころか僕自身が繋げていかねばならないと思います。

まとまりませんでしたね。



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