父と暮らせば

父と暮らせば

母が亡くなり今度は父が直腸癌になりました。人工肛門。放射線治療。余命宣告を受け在宅で緩和ケア。このまま看取り予定。
お弁当、お庭、俳優、ドラマ、音楽、寺社仏閣、お絵描き、手芸等を適当にユルく綴ってます。
呑気ですがたまに愚痴ります。

ボ~ッと適当に生きるのが幸せの基本(*´∀`*)
毎日のんびりゆっくりね。

父が倒れてから1年がたちました。


 本心を書きます。


まさか1年も生きられるとは思ってませんでした。


だって去年、10年はかけたであろう、骨盤いっぱいに成長した癌はもう手術は出来ない、高齢という事もあり手術しても体が保たない、体中がボロボロでガダガタで今すぐ腸が破けても亡くなってもおかしくない。夏は絶対越せない!と言われていたのですから。


数値も酷いしほぼ食べられずほぼ寝たきりになり、下血はするし血圧も死亡レベルで輸血も何度もして大変で


入院している病院の主治医からはもう治療出来ないからと匙を投げられ、最期を迎える場所を決めろと言われ、


ホスピスのある病院だったのですが、母が亡くなってまだあまり経ってなかった事や母を介護出来ずに看取れずに逝かせてしまった後悔の気持ちが強く、父とは相性が合わず苦手でしたが可哀想で、最期を家で看取ろうと決心し、私は父を連れて帰りました。


家に帰ってきてからは、もう起き上がるのも大変で通院出来る状態ではなかったので、訪問看護師と輸血も出来て看取りもしてもらえる訪問医師に来て貰うことに。


ところがです。


帰宅して数週間、「少し食欲が出てきた」と父。


少し食べ、食べては少し力が出、力が出たら起きれるようになり、起きれたら一人でも歩けるようになり、ほぼ寝ていたのに目が覚めてる時間が増え、リハビリと称して私の運転でスーパーに買い物に行き、カートを押しながら食べたい物を自分で選ばせ、食べたい物なので食欲が進み、また力が湧き、いつの間にか自力では開けれなくなっていた蓋も開ける筋力がつき…


夏が過ぎ、それでも秋は無理!と言われていたのに秋が過ぎ、年を越すのが目標です!と私が言うと訪問医師は無理!と返事したのに新年を迎え、春までと言われたのにもうすぐ初夏を迎えようとしています。


とうとう最近では寿命の話はしなくなりました。


癌でなくて、老衰も有り得ると言われるようになってしまいました。


訪問医が仰るには、普通、父みたいな場合は治療したとしても下降していき亡くなってしまう人が殆どなのにごく稀に こんな人がいるそうです。


父は中身は悪くなっていってるハズなのに、何故か食べられるようになり、起きて歩けるようになってしまいました。


良くなってないハズなのに不思議。


「奇跡 の復活」と私が言うと訪問医師も訪問看護師さんも否定されませんでした。


これって私の献身的なお世話のお陰なのでは!?なんて自分で思ってみたり。


予定では去年の秋までだったのに嬉しい誤算です。


今まで送ってきた生活と同じに保てるように努めているのと、父は食事しか楽しみが無いそうなので、食べたい物を食べさせる、それが良いのかも。


実は色々不調は出てきてます。足の浮腫、腹水、頻脈、 右下腹部痛、下血。


今は治療も何もしてませんが、去年の 8月に受けた放射線治療が良かったのかも。


 亡き母も抗がん剤は辛かったけど、放射線治療は軽くて、治療後1年半は生きたので、父もそんな感じなのかな?(目指せ1年半!)


落ち着いてる間に今のうちにやり残した事をやりなさいと医者から言われましたが、


遠出は流石に父の体には無理だし、特にやることも無く、毎日のんびり暮らさせてあげることが良いのかなあ。


実は父の調子が落ち着いてくると、父との暮らしにストレスも出てくるようになりました。


寝たきりだとこちらも必死なのでそんな感情も湧かないのですが、 調子が落ち着いていると元々父とは馬が合わず煙たい存在で、父は私の人格否定までしてくる人なので一緒に生活するのが辛くなってくるのです。


体調も落ち着いているし大丈夫かと父を置いて自宅に帰ってみました。


すると数日後に実家に戻ってみたら、 私がいないと急に下降してしまい食欲も落ちて意識も弱って寝込んでしまっているのです。(やはり私のお陰かも)(ちなみに弟が離れに住んでますが何もしません。生前贈与して貰ったくせに全く無視。介護も家のことも何もしません。お金も出しません。赤の他人のようです。父よりも弟が一番大きなストレスです。)


私の留守中に父に何かあれば怖いので、自宅には週末だけ帰るようにしたり夫がたまに実家に泊まりに来てくれます。


母が生きていてくれたら…


そればかり考えてしまいます。💧


去年は本当に大変な年でした。


実家の母屋のリノベーションと父の入院&闘病が重なり、工事を中断するわけにもいかないし、工事の打ち合わせも私一人で、病院とのやり取りも私一人でやらねばならなくて、お金の事も銀行に行っても父本人でないと動かせないと言われるし、お金関係が滅茶苦茶大変でした。


父は人工肛門で余命宣告されて在宅介護になるし、で、どうすりゃあいいねんー!?半狂乱で大パニック状態の私でした。


ドタバタしましたがそれでも1年が経ちました。


めでたいです。


生きていると色んな事が起こりますね。


でも何とか乗り越えられる。


何とかなるものだな~と実感。


次は1年半を目指したいです。


それではまた👋