月1で、目覚め・悟りの学びに行っています
みんなで集まるまでは勉強📚🎞️
質問や答え合わせをして
次回まで、また勉強📚🎞️
知れば知るほど楽しいので
深掘りや探究好きじゃないと
行きつかないところまで来ちゃたかなと思ったりもします

今この時点で年の初めを振り返ると
なーんにも分かっていなかった、分かったつもりの私がいます
3月の宇宙元旦に私はこんな願いを宇宙へ投げました
『今年の私は大変化を遂げるから、全細胞よ、全力で着いて来て!』
現時点で変化してて、既に叶った感あります

せっかく学んだこと
私ひとりで抱えてるのもなんなので
私がやっている対処法的なこと話してみようかな

ただ、私が学んでいる段階は9次元です
9次元は、5次元のような夢や希望・ワクワク感はありません
【私はいない】の世界なので、虚しさが出る人もいるかも
この世界は解釈の世界🌎
私が話すことは、私の解釈です
違う、と思う方は、受け入れる必要はないですからね
あなたの直感を信じてください💕

ではまず
私たちひとり一人の『私』の今世の目的
結論から言うと、どの相手も私であり、すべてはひとつ
これを思い出すこと
その目的でいろんなことが起きています
逃げが難しい環境での嫌なことは、大概相手を受け入れることでしか解決しません
これは、心に大きな傷を持つ方には受け入れがたいことなのでお勧めしません
『私』を回復させることが先決です


まず、軽く仕組みを説明します
私たちは本来、根底で繋がっている、ひとつの存在です
例えることしかできませんが、
手のひらが、おおもとである本来のひとつの存在
神とか愛とかです
そして、そこから分かれている指が、個の『私』たちです
人差し指の『私』は、中指の『嫌いな相手(これも私)』を、分離している存在として見るので、決して同じひとつの存在とは思えません
けれど、下へと目を向ければ……繋がっているのです
受け入れがたいことですが、本当にそうなので、まずは知識として受け入れてみてください
ここからは、学んだことを生かして、私がやっていることを話します

この、指ひとつ一つの『私』は、筒です
筒の中は通常、空洞でからっぽです
般若心経では五蘊皆空と言っています
五蘊の働きで『私』がいるように思いますが、中に実体は無いということです
そして、そのからっぽの筒に、絶えず言動行動が現れているだけで、本人がやっていることではないのです
ですから、嫌いな相手・苦手な相手から発せられる言動や行動は、手のひらというアカシックレコードから何かしらを拾ってきて、筒である中指を通り抜けているだけなのです
自由意思はありませんから、本人の意思でやっているわけではないのです

中指から現れた言動・行動は、人差し指の『私』の内側を映しています
なので、同じ性質のものを自分も持っているのではないか?と内側に探します
これの具体例
友人に割と達観した人がいます
尊敬する部分は多く、明るく楽しい人ですが
たまに、達観していない人のことをディスるようなことを言うので不快に思っていました
ここでまず、この人は私、として見ます
誰かをディスるのは、相手を下げないと自分が認められないと思っている『私』がいるからです
このことを知ってからは、誰かをディスることはしないでおこうと意識していたので、自分に当てはまる箇所がないのでは?と思いました
しかし、自分の言動・行動を深く見て行くと…見つかりました

以前友達だった同僚へのわだかまりがいまだに残っていて
私が思うように動かなかった彼女に、所詮はお子さまだ、と下に見ている自分がいました
そのお子さまも私だし、友人も私
そして、みんな筒であって、中は空洞で
ただ、私を映す出す行為として、言動・行動が現れているだけ
誰かをまだ見下している『私』がいるから
友人がそれを現して見せてくれた

そのことがわかったからといっても
同僚への捉え方がすぐ変わるものでもないです
無理に変えようともしないです
ただ、気付いたことは覚えておく
それは、手放したいことだから

嫌な相手は写し鏡だからいろいろ見せられるけど
あくまでも本人がやっていることじゃないってこと
私も私以外も、みーんな筒
筒に怒っても意味ない
外側に答えは絶対ない

受け入れられない抵抗が出るのは、自我のなせる技
根底はみんな繋がってる ひとつと知っている
相手の中に愛を見る
この【愛】は、おおもとの愛

3次元を知るには、3次元にいるすべての人を受け入れないと理解できないと教わりました
ほんとのワンネスを求めるなら、人生で関わるすべての私を少しずつ少しずつ受け入れていく😊
何か起きたら常に内側✨
内側が整えば、外側が整います✨

あなたが、私だと知っているし
あなたも、それを知っています
そのことを知っている私からお伝えしておきます