これぞヴィクトル・ユゴーと想わされざるを得ない展開でした。アニメ版とはかなり異なったフロローのキャラクターが興味深く感じられ、四季のストレートプレイが得意とするフランス文学の雰囲気が強く醸し出されていて、フロローの居方は『ひばり』に登場する聖職者たちのそれでした。
そして演出。人を物に見立てたり舞台上で早替えをする等、歌舞伎テイスト満載の手法が逆輸入された感じで非常に楽しめました。
さて、観劇後、四季よりも東宝向きの作品では?という思いがよぎりましたが、その考えは数瞬後には改められました。作品の主役は人ではなく大聖堂であること。その荘厳さ、圧倒的な雰囲気を表す聖職者たち。その代表であるフロローの立ち居振る舞い、そして何よりセリフは四季のメソッドこそが相応しいと感じたからです。抽象的ですが『聖なる雰囲気』を表現するのに一音も落とさない喋り方が、この作品に最も適しているのです。この喋り方を必要とする役はフロロー大助祭、『ひばり』のコーション司教、大審問官、『ライオンキング』のラフィキ等、枚挙に暇がありません。大聖堂の石たちのアンサンブルも統一感が必要以上に必要となりますので、これもまた得意とするところ。結果として四季の新ディズニー・レパートリーとして申し分ないものに仕上がったというわけです。
その名はミュージカル『ノートルダムの鐘』。
映画『美女と野獣』を観た時の感動は計り知れないものでした。
舞台では特に気になりませんでしたが、ベルが最初に登場する村の人々とのシーン。本当に、当時のよくある村の普通の人々の営み、日常が描かれています。それをアラン・メンケンのメロディとミュージカルとしての演出、そしてベルというマイノリティな考えを持つ女性(当時としては)を軸に見ることによって、ただの日常があんなにも非日常な雰囲気で、活き活きと描くことができるのだなあと、改めてミュージカルの素晴らしさを認識させられました。そしてある想いに至りました。日常を、あるがままの日常として捉えるか、発見や感動が散りばめられた日々と捉えるかは、自分次第なのだと…。
そしてもう一つ、この映画で考えさせられずにはいられないのが『忘却』の恐ろしさと切なさだと思います。人は肉体的に死んだ時に一度目の死を、忘れられた時に本当の死を迎えると思っています。ですが、もし逆なら。肉体的には生きているにも関わらず、周囲からは忘れられていたとしたら…その人はあまりにも過酷な苦しみと悲しみを味わわなければいけません。なにせ、存在を忘れられたまま、肉体的な死を迎えるまで生き続けなければならないのですから…。
美女と野獣は美しい旋律と魅力的なキャラクターで彩られた名作中の名作であると同時に、とてつもない悲しみを内包した名作でもあるのではないかと、思うのです。
明日、難民数は何人になっているのでしょうか、明後日には?来年には...?
人間には、深い悲しみや大きな喪失に耐え抜けるだけの強さがあります。
ただ、それらを連続で、継続して受け続けたとしたら...どうなるのでしょうか。
故郷を追われ、ある日突然難民と呼ばれるようになった彼らに必要なもの。
それは水然り、食糧然り、 衣類然り、家族もそうでしょう。
サン・テグジュ=ペリは星の王子様にこう喋らせています。
「大切なものは、目には見えない」と。
彼らに最も必要なものは『尊厳』です。
人間としての尊厳を守るための水であり、食糧であり、衣服なのです。
私は、美味しい水が飲めるし好き嫌いをしながら食事に舌鼓を打つこともできます。
五体は満足で努力次第で、おそらく夢を叶えることもできます。
暑い時は涼むことができ、寒い時はあったまることができます。
好きな人が目の前で殺されることも多分なく、母を殺すか自らが殺されるかの選択を突然迫られることも多分ないでしょう。
仲の良かった友人と敵味方に分かれることも出身の村が焼き討ちに遭うこともないと思います。
しかし彼らにはそれがありました。
ストーリーでは、難民キャンプや、限られた私物を手に避難していく人たちの様子も描かれています。
そしてメインキャストたちのあまりにもありえない現実の数々にスポットが当てられています。
これらはフィクションです。
ただ、同じようなノンフィクションが、それも無数のノンフィクションがあの時期に産まれたことは確かなのです。
そしてその後も地球の至る所で『全く違うけれど似た様な悲劇』が、産まれ続けているのです。
勿論、今も。
『RENT』20周年記念来日公演を観劇。
凄まじかった。生きるということについて考えざるをえなかった。
そして「今日を生きる」ということ……。
20代前半までは「未来」に生きていた。
昨年までは「過去」に生きていた。
今年は「ただ」生きていた。
ただ生きることの異常なつまらなさ。とにかく楽しく感じられない。このままゆるやかに年老いていけたらいいなどと想うようになっていた。
それは違うのではないか、それは僕の生き方ではないのではないかと思っていた。ただ、時の流れに抗う事もできずに、なるに任せていた。
そこに今回のRENT。
生まれ変わりたい気分になった。
人生を変えるミュージカルは、何もレ・ミゼラブルだけではないという事がわかった。
様々な感想が渦巻く中、1つを挙げるとするならば、それは、
『今日を生きる』という事。
十数年ぶりにライオンキングを観た。前とは違い、台詞や演出からメッセージがビシビシと伝わって、いや突き刺さって来る感じ。
特にラフィキの台詞がこんなにも哲学性に富んでいたのかと再認識させられた。
以前はサークルオブライフ(リプリィズも)が何と言っても感動したけれど、今回はそこもさることながらシンバが水面に自らを映しながら、ラフィキが「お前こそ…」と歌うシーンが最も印象に残った。
自分が本来何をしたかったのか、何をすべきなのかをこれまた再認識させられた。
あと、やはり作品は台本と演出で9割り決まるなあと、これまた再認識。
命はめぐる。
でも人生はめぐらない。
だとするのなら、自分の内から湧き立つ何かを頼りにしていこうと思い直すのです。
ただ、そのための勇気が湧かないのです。
これ如何に。