子曰はく、「己の欲せざるところは、人に施すことなかれ」
『論語』、衛霊公篇の「恕」について孔子が説明する際の一説。
みなさんはどう思われますか?
とってもいいことばだと僕は思います。
自分が小学校の先生になったら子どもたちにはまずこんなルールをみんなで決めて守れるクラスにしたい。
ちなみに、この考え方を受動的だとすると、それを能動的に考え唱えたのがキリスト、つまり「自分のしてもらいたいことを人にしてあげよう」ということ。
ただ論語においても他の篇などと合わせて能動的な解釈がされる場合もあります。
で、能動的にしろ受動的にしろ、これを言われた弟子の顔回や子貢は当時もういい大人なので、少し教える内容が低レベルな気がしてしまう。
というのも、自分を尺度として他人に施したり施さなかったりでは「自分はされてもいいことだからしたのに、相手にとってはされたくないこと」という事態が起こってくる。
だから、もう少し思いを押し広げて「相手の気持ちになって考えなければいけないのではないか」と僕は思う。
と同時に「相手の気持ちになって」ということ事態が結局は自分本位な傲慢な思考なのかとも思う。
でも相手の気持ちになろうとする心、相手に寄り添おうとする心を持つことは大切だともやっぱり思う。
漢文の授業で考えたことでした![]()