Book tokをご存知ですか?

 

本好きのtik tokユーザーではやっている、おすすめの本や流行っている本を紹介するコンテンツ。

本って別に華やかなイメージない(と思うん)ですが、book tokに登場すると一変、知性とスタイリッシュさを持ち合わせたオシャレさが演出されるんです。

 

ということで、何が言いたいかっていうと最近の若者は本さえも視覚的な見せびらかし・他人との比較・自慢の対象にするんだなーということなんですけど、tik tokで今よく出てくる日本の本が川上未映子の「乳と卵」なんですね。英語だと'Breasts and Eggs'。今回日本語版を読んだので、感想をこちらに残します。

 

 

 

「乳と卵」感想

 

 

・全体の印象

まず全体的に、わかりやすい。

これは私の大学時代の教授が読んだら「ちょっと説明的で興醒めですよね」というだろうなというわかりやすいメタファー(ミルク風呂とかニワトリの卵とか)の連続でした。

キャラクターもここポイントやで、というところをセリフとして言語化してくれてます。

しかし自分が全てを汲み取れている自信はありませんが、、、

 

 

・どうやって英語にするんだろ?

海外で流行っているという理由で読み始めたので、まずはこれどうやって英語に直すんやろ?ていうのが一番はじめに引っかかりました。

早速、緑子が「初潮」について意味的に分解するんです。「潮」には文字通りの潮の満ち引きの意味と、あと「愛嬌」の意味がある。これは、日本人として知らなかったので「ほぉ〜なるほど、これはうまいのお」という感じだったんですが、英語にするとどうなんでしょう。初潮ってmenarcheて言うらしいですけど、これはラテン語のmonthとbeginningの意味の掛け合わせらしい。どうやって「愛嬌」をねじ込むのかしら、と思ったり。

あと日本語ではあんまり卵子のこと「タマゴ」て言わないですけど、英語だと「egg」て割とダイレクトに卵子のこともさしますもんね。そこらへんの露骨さとか、雰囲気とか全然違うんだろうなという。

本文にも登場したけれど、日本語だとなぜか「子」がつく。これは「精子」の子に合わせただけで、本当は卵細胞という。という、この日本のどうしようもない家父長制の概念の息苦しさ、、、それをただの「egg」でどう繋げていくのかしら?英語では。とか思いました。

 

 

・ミュージカルな言葉たち

あと川上未映子さんの作品て、初めて読んだんですけど、ミュージシャンなだけあって文体かなりリズミカルですね。

自分も大阪出身なので、あのコテコテの大阪弁は耳に心地がいいというか、すんなり入ってくるというか。

読んでいて楽しかったです。

一応文学的なことを言うと、あのだらだらした書き方は「意識の流れ」っていうんですかね。はい。

 

 

・深堀考察 --- 女の怒り

で、内容の考察。

私には、この物語は女性のどうしようもない叫び声だと思います。

苦しみと、絶望と、どうにかしてくれこの不条理な世界という叫び声。それでも女性はこの身体に閉じ込められて、この身体で生きていくしかない叫び声。

 

女性の身体について考えたことってありますか。女性の乳房について考えたこと。

多分、あまり考えたことなかった人にとっては、よくわかんない話をこれからすると思います。

女性の身体は、常に「性的なもの」として見られているんです。

例えばプールで半裸で泳ぐ男性。乳首丸出しです。でもそれが「普通」です。誰もいやらしいと思いません。

じゃあ女性が半裸で泳いでいたら?逮捕です。「猥褻物」です。女性の乳房は、それだけで性的なものなのです。

 

そりゃそうだよ、と思われるかもしれません。けどよくよく考えてみたら、変じゃないですか?女の乳だけ、見せたらダメなんて。女の乳だけ、それだけで性的なものになる理由って、よくよく考えたら、なくないですか?

だって持って生まれてきたものだもの。男の乳と一緒。

股は、男も女も同じように隠すのに、なんで乳は女だけ隠さないといけないの?そりゃ股は別だよ。なんで?

よく考えて見てください。股を隠すことと乳を隠すことは訳が違う理由、なくないですか。

 

毛も一緒だと思います。男は脇毛もすね毛も胸毛もボーボーでOK。女は脇毛生えてたら?日本だったら間違いなく「女捨ててる」ことになりますね。

これもよく考えて。生えるがな。人間だもの。息吸ってご飯食べて寝て生きてたら、そりゃ毛くらい生えるがな。なんでそれをそらなあかんねんいちいち。高い金払って脱毛せなあかんねん。なんででしょう。

女は化粧をしていないと。なんで?

女の乳は垂れてはいけない。なんで?

それは、女性の身体は「モノ」だからです。「性的なモノ」だからです。人間らしく、本来の姿でいては、「女」じゃないのです。

 

と、ちょっとフェミニストの血が騒ぎましたが、何が言いたいかっていうと、

私にとってこの本は、今まで述べた「性的なモノ」にされる女の身体と、その身体に宿って生きなければならない女の生きづらさの発散なんだろうな、と思うのです。

 

ラストシーンで緑子と巻子が卵を自分の頭に投げつけてます。ぐちょぐちょになる鶏の無精卵たち。

この作品の女たちは、卵=卵子=メスの身体を、割りたいんです。

自分に運命的に背負わされたこの女の体なんて、いらないんです。自分の体内にある卵子なんて、糞食らえなんです。

だって辛すぎるんですもん、女として生きるのは。

立場も弱いし、セクシーじゃないと、可愛くないと、美しくないと「女」として認められない。一人の人として丁重に扱われることなんてない。

シンママの巻子にとっても、その娘緑子にとっても、女の身体があるから、不幸なんです。

 

だから夏子が排水溝に流したドレッシング=精子みたいに、流せればよかった。どこか下水に、捨てられればよかった。

けどできないんです。自分に投げつけるしかない。この身体、ジェンダーロールから逃げられないんです。

孕んだら、産んだら、それは女の子供なんです。男は男のまま。女は母親になるんです。

 

ほらね。悲惨でしょ。

「ほんとうのこと言って」と言う緑子の涙のリクエストに、

「ほんとうのことなんて、ないこともある」と巻子は答える。

これが、女の気持ちなんです。答えがあるように思う。この男社会はどうしようもなく不平等、不条理。

じゃあこの歪みを、正せばいいと思うでしょ。そこを掘っていけば、「ほんとうのこと」にたどり着けると思うでしょ。

 

けど、そんな男社会に生まれてこの方生きてきた女たち。アイデンテティもこの歪んだ社会に根付いているんです。

体を傷つけてまで乳を大きくする。それは歪んだ社会の産物。

けど、本人がそうしたいのは事実です。本人がそれで幸せなのは事実です。

だって、そういう概念の中で生きてきたんだもの。

女の魅力は大きな乳だ、毛の無い体だ、女の幸せは母になることだ。それが当たり前な世界しか知らないんだもの。

そんな彼女に、それは間違いだよ、正しくないよ、て誰が言えますか?

 

と言うことなのです。要は。これくらい女性にとって、世界は、社会は、己の身体は、アンフェアで危険でカオスで絶望的だけどとにかく生きているんです。この世の中を。たくましく。

そう言う本なのかな、と思っています。男社会の皺寄せを一手に受け入れ苦しむ女たちの姿。

 

 

・花火

けど、苦しむだけじゃ無いかなって言うのも思う。

この作品から希望もあんまり見えはしないけど。

なんだろう。花火かな。

夏にはできなかったけど、冬でもいいからやろうねって言った花火。

花火は夏にやるものだって、誰が決めた?冬にやってもいいじゃない。

これは、女の乳首は性的だって誰が決めた?に近しいものがある。

そうやって男社会の固定概念をぶっ壊していきたいですよね。女性を解放していきたい。

 

 

 

私は本気で願っています。いつか女がブラをつけなくてもいやらしくない日が来ること。

頭おかしいと思われるでしょうが、私は本気です。