こんにちは。
訪れて下さってありがとうございます!



息子ご乱心(↓)のその後、

 

 

塾長先生と少し電話でお話しさせていただき、

算数の理解が追いついていないこと、
塾長先生に質問できる時間帯を教えていただき、

「わからない」を解決できるよう、
現実問題の解決にも一歩踏み出してみました。


いいねで応援して下さった方々、
温かいコメントやメッセージを下さった方々、
本当に本当に、どうもありがとうございました!




あれから、

息子が最近


「去年の今頃は、キャンプに行ってたよね」

「ハロウィンの準備してたなぁ」

「去年は子ども会の運動会で筋肉痛だったー」


と、ときどき去年のことを思い出しては
懐かしむようなことを言ったりします。



何も考えずに遊んでいられた頃への憧憬でしょうか、


「あーー4年のときは良かったなぁ。。」

「去年は楽しかったなぁーー。。」


とつぶやいたりします。。



聞きながら、
ちくっと痛む胸。



ちょっと逃げ出したいくらいの今年なんだよね。


息子のしんどい気持ちが見え隠れします。




少し前までは、
「本当に辞めたいと思ったら、辞めてもいいんだよー」
と言うこともありましたが、
今は軽々しくそんなことを言えなくなってしまいました。

これまでの息子の努力まで、
軽んじてしまうような気もしてしまって。




「そうだねぇ。

また行こうね。
受験が終わったらいっぱい行こう!」


そうつとめて明るく笑いかけると、



「・・・その時、楽しめる気分だったらね。。」


と息子。



おいおいちょっとネガティブモードが重症じゃないかい。


という言葉は飲み込んで、

「楽しめるって!」

と笑い飛ばしてみるものの、
 

息子、顔が笑わず。。




 

息子が、心の中に
明るい未来を描けなくなっている。。


頑張る先に、笑顔の自分が見えなかったら、
 

その努力を絞り出すのは
きっとほんとにしんどい。



その先に光があると信じるから
頑張れることも乗り越えられることもあるのに、


頑張った先に光を見出だせない心のままで
頑張る力を奮い立たせようとするのは、
きっと心がしんどい。。




もう一度、
未来に光を描けないかなぁ。

息子の心に、
志望校に合格している自分を描けないかなぁ。


楽しい未来を想像できないかなぁ。




自分の仕事柄、

未来のなりたい自分や目標がリアルに描けていることは
潜在意識の「叶える力」を発揮させる
大きな推進力になることはわかっています。


さらに、それを「自分もやればできる」と思えていると
その信じる力は夢実現へ進む起爆剤になるということも

痛いほどよくわかっています。
(認知心理やコーチング用語で言うエフィカシーですね。。)




そう考えてはみるものの、
今は、完全に自信を失っている様子。

成績と日々の教室での焦燥感に

現実を突きつけられている様子。



ご乱心のあと
落ち着いた時に話を聴いていたら、

算数がきっかけではありましたが、
上位クラスの中の他のお友達と
自分を比べてしまい、

自分への苛立ちと同時に落ち込んでいました。

理想の自分と現実のギャップに

自信喪失している模様。

 


わからなかったところをあとで一緒に復習したり

質問に行ったりして解決できても、

その時にはもう1歩も2歩も出遅れている。。

 

算数がやっと分かった頃には

他の教科に割ける時間が少なくなってきていて、

他の教科にも影響が出始めていることへの不安もある模様。。

 


算数がきっかけで、自分の時間の使い方や
要領の悪さに気付いてしまった息子は、

「なんでこうなんだろ。オレこんななんだろ。」

と、落ち込んでいました。
 

 

現実問題として可能な取り組みを一緒に考え

あれこれ提示しつつも、

精神面では



人はみんな違ってみんないい(by金子みすずさん)。


それぞれの個性があって、
一側面じゃ測れない。


自分で短所に見えてしまうことが
実はすごい長所であることもある。



その日もいろいろな言葉を掛けましたが、
たくさんのことが降り積もっていた息子の心には
いまひとつ響かなかったようで。


「ママはオレが自分の子供だからでしょ。
”あばたもえくぼ”なんでしょ。」


…なんでこんなときだけ
微妙にことわざの使い方合ってるんだ。。^^;



ちょっとネガティブモードが重症の息子です。


周期的にやってくる息子のネガティブモードですが、

今回はちょっと根本の深さが違います。



「算数がさ、もう、

大っっっっっきらい!!!になったんだ。

3年までは、一番大好きな教科だったのになーー。」




またも過去を懐かしむ息子でしたが、

そこでふと、思い出しました。


3年生が終わるまで、息子は
通信教育のZ会にお世話になっていました。

Z会のワークテキストを軸に、
わからなかった問題は私が教えながら、

間違えた所は似た問題をいくつか私が作って反復練習し、
Z会の算数を確実におさえることを考えながら進んでいました。



Z会の解き方解説冊子は、
問題集よりも分厚いことが多く

問題集の方にもきれいなイラスト付きで
ヒントや解き方の例題が書いてありました。



息子にとって、初めて見る解き方の問題も、
カラフルで図付きのとても丁寧でわかりやすい解説を読めば

自分で「なるほどねーー」と
理解しながら進めていて、


知らなかったことを知る喜び、
できなかったことができる喜び、
「勉強」の楽しい側面を息子に教えてくれたZ会でした。



息子にとってはピッタリ合っていたZ会の教材。

算数が大好き!と言っていたのもこの頃でした。



チラッとZ会が頭をよぎります。


…いやいや、今は塾の課題だけでいっぱいいっぱいだしな。
他のことをやっている場合じゃないもんな。。



そう思っていたのですが、

ご乱心の翌日、
息子を塾に送ってから
娘と一緒に実家へ用事があって行った時のこと。


母から息子の勉強どう?と聞かれ
算数がついていけない感じだよーとサラッと話したところ、


「Z会の中学受験コースの「塾併用」の
算数だけやってみたら?」

と。

シンクロニシティか!と思う問いかけが。


調べてみると、
「中学受験コース」で
「塾と併用」のための「算数」のみ専科で
受講ができるではありませんか。。。


教えてくれてありがとうー!!と母に感謝しつつ、

早速その日、
塾のお迎えに行った帰り道、

こんなのがあるらしいよー

と話してみると。



「・・・やる!!!!!

やりたい!やれるの???」



課題でめいっぱいだからやめとくー

と言うかとも思っていましたが、


急に目をキラキラさせて
びっくりの勢いで食いついてきました。



あぁ、
勉強が嫌になったわけじゃないんだよなぁ。

わからないこと、進みが遅れてしまうこと、
うまくいかないことに歯がゆく
自信を失ってしまっているだけなんだよなぁ。。



息子が、「わかりたい」という気持ちを
しっかり持ち続けていてくれたことに安堵しながら、


「よし、じゃあとりあえず試しにやってみよう!」

ということに。

”塾併用”コースだから物量も少なめのようですが、
塾の課題と両立が難しかったらいつでも停止しようということで、
試しにはじめてみることにしました。



それから毎日、

「Z会来た?」

「Z会来た??」


…まだ届いていないのですが。^^
学校から帰ってくると毎日聞いてきます。



昔、楽しかった算数の記憶。
息子の中にある、

強烈な算数の成功体験に結びついているZ会。


さて、吉と出るか。

 

 

読んで下さって、どうもありがとうございました!!

 

 

おはようございます。

訪れて下さってありがとうございます♪

 

 

公開テストで算数の成績がふるわず、

自分で焦りを感じていたようだった息子。

 

 

昨日の宿題タイムのことです。

 

 

 

塾の算数をやる、と言って机の前で

テキストとにらめっこしていた息子。

例のごとく膨大な宿題量で、時間との闘い。

 

 

ちょうど私のスマホに塾から着信があり、

塾長先生からの電話に、私は部屋から出ました。

 

塾長先生からの電話は、

 

「今回の公開テスト、頑張りましたね!

あと算数で3問取れれば一気にランクアップですよ!」

 

期待と激励・・ということでしょうか、

そんな電話を受けて、

リビングへ戻って息子に、何も考えずに伝えました。

 

 

「先生がね、

今回、本当によく頑張ったねって。

国・社・理の3科が素晴らしいってさ。

 

あと算数たった3問でランクアップだから、

もう次は上がれるねって。

よくやったねってさ。」

 

 

 

愚かな私は何も考えずに。

 

電話の通りに。

 

 

 

テキストから顔をあげた息子。

 

そこに笑顔はありませんでした。

 

 

 

 

「・・・・・ あと3問ってさ。。

 

そういうけどさ。。」

 

 

 

 

小さな声でポツリ。

 

 

 

「いや、まあ、あとちょっとだねって

そこまでよく上げてきたねっていってたよ~」

 

 

 

「・・・・あと、”ちょっと”・・・??」

 

 

 

なんとなく暗い表情のままの息子に

 

「ごめんごめん。邪魔して。

塾の電話それだけだったよ。

じゃ、宿題続きやっちゃいな。」

 

私はキッチンに行き、

おやつを物色している娘のところへ。

 

 

 

 

しばらくすると、

息子が。

 

 

 

だんだん悶々としてきました。

 

 

 

 

「わかんないーーー。。。」

 

「なんでこうなるんだよ?!」

 

 

 

解説冊子にキレはじめます。

 

 

 

「は?!

こんなこと教わってないし!」

 

 

 

様子が気になりつつもそっとしておくと。

 

 

だんだん、

机に突っ伏してスライム化したり、

背もたれにびよーんとエビ反りしたりして

 

 

「なんだよこの問題ーー!!」

 

 

と、問題にキレたり

 

 

 

「塾の算数の先生、前の先生か塾長がよかった!

 

今の変わった先生、子供だましの例えとか言い方して集中できないし

 

全然わかんないんだよ!

 

三角の図形を「ポリンキー」とか、計算式を「ここでドーンだからバーン」とか擬音で呼ぶし

「きはじくんの登場です」とかさ!普通に公式使いますって説明しろよ!」

 

(きはじ=距離・速さ・時間 の公式のことでしょうかね・・^^;)

 

 

「こっちはマジなんだからなんも面白くねんだよ!!

真面目に教えろよって感じ!!クソだよ!」

 

 

なにやら塾の算数の先生にご不満がある様子。

 

リビングとひと続きになっている部屋なので

一部始終が丸聞こえ。

 

そしてそのモヤモヤは

もちろん私にも飛び火します。

 

 

 

「ねえママ!

 

宿題、2問しか解けないんだけど!!」

 

 

「解説見てみたら?

解き方読んでごらん?」

 

 

「解説には省略した式しかかいてないんだよ!

このクソ解説じゃわかんないんだよ!」

 

 

「ノートは?

授業のときのノートを見て、例題や基本問題で

思い出せることはまずないか、まずは読み返してみるのは?」

 

 

「塾の算数の先生が、ノートは書くなっていうんだよ!

ノート書いてると『今は書くな、黒板を見て聞け』って怒られるんだ!

だからノートなんて書いてないよ!

 

聞いてたってわかんないし、ノートもメモ取るなっていうんだよ!

質問しても「もう説明した」とかさ!!

 

あんな先生、やめちまえ!マジで!!!」

 

 

 

キレるキレる。

 

 

息子がここまで苛立つのは

半年以上ぶりくらいでしょうか。

 

 

キレ具合に、

 

あぁ、心に鬱積しているものがけっこうあったんだな。。。

なら私はさっき、地雷を踏んだか。

 

と、ようやく気付きます。

 

いや、正確に言えば気付いてはいましたが

程度の差をもう少し軽く考えていました。

 

”もう黄色信号だったのか・・・”

 

予想以上に鬱積していた息子の心に改めて気付きます。

 

 

 

 

「・・・よし、どの問題?見せてごらん」

 

「ママにはわかんないよ!!

もーーー 

うるさいうるさい!!!

 

全部、うるさいうるさいうるさい!!!」

 

 

 

バン!!!

 

っとテキストをいきなり閉じて、

 

ガッと椅子を引いて

すくっと立ち上がると、

 

 

だだだだだだだだだだーーーーーーーー!!

 

 

っと走ってリビングを飛び出し

3階へ階段を駆け上がる息子!

 

 

 

 

 

あー。

 

なかなかの重症だったんだなぁ。。。

 

 

 

 

バタン!!!

 

すごい音を立てて3階の寝室のドアが締まります。

 

 

 

 

あー。

やっちゃったな。

 

ここまで気持ちを溜め込みすぎてるとは

気付かなかった。

 

算数に焦りを感じているのは分かっていたのに、

 

ガス抜きできるような声掛け、

そういやしてこなかったなぁ。。

 

(くわしくは過去記事のこちら↓)

 

 

息子の焦りは見えていた。

 

算数でまわりに置いていかれる不安があるのも見えていた。

 

時間の足りなさも自覚していた、

4年生の頃遊んでしまった自分への後悔と反省も見えていた。

 

取り戻せない時間への、どうしようもない憤りも見えていた。

 

 

 

SOSは、もう充分に、出ていたのに。

 

 

 

 

 

気付けず

無自覚の期待で

知らずのうちに息子を追い込んで

 

挙句の果てに地雷を踏む母。。

 

 

”塾長の励ましのひと言、トドメを刺したか。。”

私が伝えちゃダメだったよな。

 

 

 

今頃気付いて、苦笑しながら。

 

 

 

”あとたったの3問で”。

塾長先生も、私も、そう言った。

 

 

”あと、たったの3問。”

 

 

 

それがどれだけ

 

息子にとって”遠い”3問だったのかなんて

 

考えもせずに。

 

 

 

 

全力を出し切ったのに届かなかった息子にとって、

その3問は、遠くて高い壁だったでしょう。

 

現時点でできる精一杯をやった息子の心に

「それでも足りない」

と思い知らせる3問。

 

 

国・社・理の3教科も、

いま持てる自分の全力でこの点数だったのなら

次も3科がこの点数をキープできるかはわからないのに。

 

次も当たり前のようにその3科が取れていることを前提として

「算数あとたったの3問」と笑いかける私は

めちゃくちゃ酷に映ったのではないだろうか。

 

 

いまできる、全力で頑張ったのに。

 

それでも届かなかったのに。

 

あと

 

”たったの3問”。。。

 

 

焦りと不安と後悔と憤りと混乱と

色々なものをごちゃまぜにして抱えたまま

自分に鞭打っていた息子に

 

「期待」という名の。

「プレッシャー」という名の。

 

トドメを刺した。

 

 

 

 

 

 

ガタン、バタン。

 

3階から暴れる音。

 

 

「もうやだーーー!!」

 

枕に言っているような声が一度。

 

 

 

 

もう、やだよなぁ。

 

ほんとうにやめたいわけじゃなくても、
「もうやだ!」って言いたい時もあるよね。
 

(山あり谷ありあるたび、やめてもいいことを説明しても

「絶対やめないから!」と言い張る息子です)


どうにかしたいわけじゃないけど
ただ、弱音を吐きたいだけって時もあるよね。

なんにもしなくていいから、
ただ、聞いて欲しいだけって時もあるよね。

答えなんて要らない、

正論なんて聞きたくない。

めちゃくちゃな自分の心を
イライラモヤモヤその全てを
全部ぶちまけるのを


ただ、受け止めて欲しい・・・


それだけって時も、あるよね。


 

ママはついつい

すぐに解決しようとしてしまうけど、


 

何も言わず
どうにかしようとせず

そのままのこころを、
自分でもどうしたらいいのかわからない
どうにかしたいけど
どうしたらいいのかわからない、

そんな苛立ちとモヤモヤを



ただ、共感して欲しい。

ただ、受け止めて欲しい。


そんな時だってあったはずだよね。

 

 




そうなんだねって。

そうだったんだねって。
そんな中、自分を奮い立たせてやっていたんだよねって。




「わかって」ほしい。

それだけでいいから。

解決策なんて要らないから。
どうにかしてほしいわけじゃない。
何か変えてほしいわけじゃない。
励ましも今は要らない。
プラス思考もポジティブ転換も

今は、要らないから。



ただ、

わかってほしいんだよ!!!!


それだけ、


それだけなんだよ!!!!!






そんな、息子の心の声が聴こえるような気がしました。




3階の寝室から、ドスンドスンと暴れるような音。




布団やまくらにやつあたりしているあたりが、
可愛いなとどこかで笑ってしまう私は不謹慎なのですが、

ちゃんと、やっていいことと悪いことを分かった上で
やっていい範囲(投げても壊れない枕・体当りしても壊れない布団^^;)で
まわりに配慮しつつ暴れているあたりが、

もう心はめちゃめちゃなのに、真面目だなぁ。。^^

と地味にほっこり。(←ホント不謹慎)






さて。ほっこりしている場合ではありませんね。


今はとりあえず、気が済むまで布団と格闘してもらって、
少し落ち着いたら、折を見て、聴きにいかないと。


話すのではなく、聴きに。


「8聴いて2話す」というのを
私は信条にしていますが(父の受け売り)

こういうときは、9聴いて1話す
もしくは10聴く
そして全肯定・全承認


で良いのかなと思ったりします。



まあ、

全部、吐き出してごらんよ。


にんげんだもの。(by相田みつをさん)




プレッシャーや
理想と現実とのギャップ、

なりたい自分となれない自分の差に、
自分への失望を感じたり
自己肯定感を下げていたり…

思うように行かない現実への歯がゆさ
何かのせいにしたいくらい辛い気持ちを
かかえきれなくなってしまったのでしょう。

解説書のせいにしたり

先生のせいにしたり

そうでもしないと壊れてしまう自尊心があったのでしょう。



それを正論で押し込めてしまったら、
それこそ心の行き場がきっとなくなってしまうから。




暴れたらいいさ。



わーーーーーっ!!!

ていいたい時もあるさ。
(ご近所迷惑にはならないように、枕や布団にお願いします^^)


もう、心の膿は出し切っちゃいなよ。。






ドスン、ぼふっ、バタン。

物音にちょっとびっくりする娘を膝に乗せて、
娘の音読劇(小2教科書「おてがみ」かえるくん役)の相手をします。


この様子を息子が見たら、

オレがこんなに大変になってるのに!!!と
更に怒ったかもしれませんが、

今はそっとしておく時。
思う存分やっていてもらう時。

と、いうことで今はスルーです。



「おにいちゃんがキレてるぅ」

という娘には、

「そんな時もあるよ。
にんげんだもの。(再びの相田みつをさん)

いま、お兄ちゃんは
どうにもならない自分の気持ちのモヤモヤと闘っていて
きもちを出すだけ出したほうがいいから、
ちょっとそっとしておこうね。

ドスドスうるさいけど、だいじょうぶだから。」


「ふぅーん。じゃあパピコ食べるー」


平和な娘です。




しばらくして、音がやみました。

でも、降りてこない。。

時々小さな気配は感じるので、
静かに何やらもそもそやっているのでしょう。


そーっとチラッと様子を見に行ったら
布団をきれいに直していました…笑!








それでいい。

もう、ほんと、めっちゃくちゃ、めちゃくちゃ良くやってるよ。


そんなに苦しむくらい、
それでも逃げないからこんなに苦しいくらい、

もう、それだけで充分すごいって。

成績とか、結果とか、何がなくとも超立派。

点数じゃなくて、見える成果じゃなくて、

この先の見えない己との闘いを、

いままさに続けてもがいているだけで

最高に頑張っている証拠だ。

 

キミのそのキレ加減は頑張りにきっと比例している。

自分をほんと、ほめてあげて。

そんなに自分とたたかえるほど、
何かに一生懸命になれている自分に胸を張って!



そんなことを思いながら、
布団直しをしているところを見ちゃったことを知られないよう

 

抜き足差し足で階段をおりる私なのでした。。
 

 

今日も読んで下さって、どうもありがとうございました!!

 

 

突然ですが、

小2の娘は、お友達と一緒に宿題をするのが好きです。

 

家に帰ってくると、
ランドセルから宿題プリントと筆箱を取り出して、
お菓子と一緒にリュックに詰めて


「いってきま~す」


と、お友達の家に出かけていきます。
うちにお友達が来る時も同じです。


上の子(息子)が低学年の時は、
宿題をやってからじゃないと遊びに出かけちゃダメ
というルールだったために、

息子は帰宅するなり超特急で宿題と翌日の支度をやってから
公園へ遊びに出かけていたのですが、

娘は「宿題を持っていって一緒にやるから、すぐに出かけていい?」
と言います。


早く遊びに行きたいという理由で
”宿題を持っていって一緒にやる”

ということにしたのかな?と思っていたのですが、


そうじゃないんだなぁ、と最近気が付きました。


昨日、ダンスのレッスンがあったために
宿題をやるのが夜になってしまい、
リビングで娘が宿題をやっていたときのひと言。



「一緒にやらないと、つまんない。」



「ん?
つまんない?宿題が?」


「うん。ひとりじゃつまんない。」




まあ、宿題だもんねぇ。
おもしろくはないかもね。
筆算がプリントめいっぱいぎっしりの宿題だもんねぇ。


・・・と、思いつつ、
ふと気になって聞いてみました。




「お友達とやると、楽しいの?」




「そう!
一緒にやると楽しい!」




「算数のプリントも?筆算いっぱいで難しくても?
漢字の練習や作文でも?」



「そうだよ!そうでしょ??」




・・・。



なるほど。



娘は、「一緒に」やることが楽しいのです。
何をするかではなくて、誰とやるか。
1人ではなくて、誰かと一緒にやるから楽しい。


そう言えばと、考えてみました。

「これをやってごらん」

と渡すドリルも、
私が息子の机につきっきりになっていたり
私が仕事をしていたり別の階で家事をしていたりすると

ごろーん。

机につっぷして
ダラーッとスライム化しています。



でも、同じドリルを隣りに座って
一緒にやっていた時は、
ものすごい集中力でどんどんやってしまって、

「もっとない?!」

という感じでした。



同じことでも、たとえ好きじゃないことでも、
「誰か」がいると、楽しい。
「一緒」なら、楽しい。






・・・・・あれ?

これって、受験も一緒じゃないか・・?







ひとりで闘うのではなくて、
「ママ」と一緒に。


ママやパパ、兄弟や家族と一緒に。


同じ目標を目指す塾の友達とも切磋琢磨しながら。






難しくても、好きじゃないことでも、
「誰か」がいると、楽しい。
「一緒」なら、楽しい。



たとえつらいことや大変なことがあっても、

ひとりじゃないなら。





自分が受験生だった頃、
勉強が孤独な闘いになりがちで、
それが寂しかった記憶を思い出します。

 

独りの闘い。

 

精神的な意味では

お友達とはどこか張り合わなくてはならない

(塾もそう仕向けていました、そういう時代でした)

 

誰かに弱音は吐けない

自分はさらせない

頑張り続けなきゃいけない

歩みを止めればクラスが落ちる

手を抜けば席順が下がる

 

できないと言えば周りをがっかりさせるし

できなきゃいけない

 

緊張感やプレッシャーと

独りでギリギリの闘いをしていたような気がします。

 

それが苦しかった。

 

今思うと、「頑張る」ことがつらかったのではなく

「勉強すること」がいやだったのではなく

「忙しい」ことが大変だったのではなく

 

独りでギリギリの闘いをしていたことが、苦しかった。

 

 

誰かと共有したかったし

誰かにわかってもらいたかった。

 

ダメな時もあるよって

失敗しちゃった時、ダメな自分も受け入れて欲しかった。

 

そしたら落ち込みすぎずに、

前を向いて努力に変えられるから。

 

ダメな自分も受け入れてくれた人を、

喜ばせたいと前向きな頑張る力が純粋に湧いてくるから。

 

甘いかもしれないけれど

当時、受験生だった頃の私は

そんなふうに、思っていました。




そう考えてみると、

 

娘の「一緒にやると楽しい」は真理のような気がしてきます。

 

 

 

 


自分も去年、
子ども会の副会長を引き受けることになってしまい、

えぇーー!?できるかな?!
ちょっと大変すぎる気がする・・・

と思っていましたが、


やってみたら、すごくすごく楽しかった。



会長・会計のママのお人柄にも恵まれ、
町会の方々や役員のママたちにも恵まれ、
みんなで協力して、学園祭みたいなノリでやった夏祭り。

子ども会の運動会では悪ノリしてみんなでお揃いのタオルを作ったり、
最後のイベントでは色々な企画をしたりして
それはもう、楽しませてもらいました。


それは、ひとりじゃなかったから。


1人でやろうとしていたら、
(大変すぎてそもそもできませんが、)
ただ、辛いだけだったことでしょう。

もちろん大変なことも
作業に疲れることもあったから、
苦しい時だってあったはずです。

でも、
「最高に楽しかった!やってよかった!」

と、言えるのは、

ひとりじゃなかったから。


一緒に苦労をわかちあった3役のママがいて、
理解を示していろんな融通をきかせてくれた町会の方々がいて、
至らないところの多い私達3役をサポートしてくれる役員ママたちがいて。

いろんなこともあったけど、
力を合わせて乗り越えてくることができたから。


だから、
はじめは
”ちょっとイヤかも。。”
と思ったことも、

誰かと一緒に力を合わせることで、乗り切れたし、
ひとりでは実現できないようなことが沢山できた。



それは、きっと受験も同じ。



息子にとって、
私がそのチームになればいいんだ。


辛い時も、苦しい時も、
ただ一緒に「どうしようー」って言って、
嬉しい時は「やったー」って言って、
がっかりした時は「しょぼん」ってして、
じゃあこうしよう!と一緒に考える。

一緒に夢中になって、
一緒に挑戦して、
一緒に泣き笑いする。


ひとつのチームになる。



「なんでできないの」じゃなくて
「一緒にやろう!」
「じゃあこうしてみよっか!」と。



そんなふうに、思いました。




人は、
つらいことも、くるしいことも、

誰かの優しさや、

思いやりに触れた温かい記憶と紐付けると、



「良い記憶」
「良かったこと」

に変えることができます。


つらかったことなのに、
セットになる記憶の中に人の温かさや愛情を感じる記憶が含まれていると、

つらかったことも丸ごと含めて
「幸せの記憶」になってしまうのです。


詳しくは機能脳科学や認知心理学の話になってしまうので
ここでは省きますが、



要は、

ママや家族や関わる人々の、

愛情が感じられる記憶


これが受験と結びつけば、

どんな紆余曲折があろうと
どんな結果があろうと
なにがあろうと

すべてが「幸せの記憶」になるわけですね。




苦しい時も、
1人じゃなければ、乗り越えられる。

1人じゃできないようなことも、
一緒なら、きっとできる。


そしてその全てを、
きっと人生の財産にできる。




改めてそう思いながら、
良くも悪くも、わたし次第でもあるんだなぁ。。。

と、噛みしめる今日なのでした。


 

読んで下さって、どうもありがとうございました!

 

こんにちは。

訪れて下さってありがとうございます!

 

日曜の模試で、

算数の成績が著しく振るわなかった息子。

 

 

 

算数は、私自身、苦手教科でした。

 

・・・というか、苦手どころか、もう全然できませんでした。

 

 

高校の数学は特に壊滅的でした。

 

わからないところに、わからないことを教えられるから、

もうどこまで戻って何から理解したらいいのか、

わからないところがわからないという絶望的な状況に。

 

大学受験の時にものすごい苦労をする羽目になり、

数学の低迷を現国と英語で埋め合わせていた

典型的な超文系でした。

 

心理学科に入ってからも、心理学統計法など算数的分野は苦手意識があり、

 

小学生の頃に根付いた苦手意識はこんなにも人生全般に響いてくるのか。。

と、しみじみ思った記憶があります。

 

 

 

今、小学5年生の算数を見ていると、

 

ああ、全部、ここにあったんだな。

ここから始まっていたんだな。

 

そう、思います。

 

 

 

5年生の問題の基礎となる問題は、4年生で一巡していた。

 

4年生の問題の基礎は、3年生で。

 

3年生の内容がスムーズに理解できるためには、

2年生の算数をしっかり抑えておく必要がある。

 

 

そう遡ると、

当たり前のことではありますが、

 

本当に幼い頃から、

勉強は繋がって、始まっていたことを

改めて痛感します。

 

 

 

小学生の基礎の算数。

 

 

高校の数学で、

ついに本当に躓いてしまったと思った時、

私がきっと戻るべきはここだったのでしょう。

 

 

小学校の算数で

基本を叩き込んでおくことの大切さを、

今でこそ痛切に感じます。

 

 

 

 

 

息子よ、ごめん。

 

算数的センスを叩き込んで育ててあげられず、、、

 

 

 

妹よ、

君はまだ2年生だ。

今からなら間に合うかも。。。

 

 

 

 

そんな独り言を思いながら。

 

 

 

5年生前半までは、理科だけ飛び抜けてはいたものの、

なんとなく平均的で文系とも理系とも言えなかった中の中くらいの息子の成績でしたが

 

5年生後半に入ってから、

 

あれ?

あれあれあれ?

 

これまで平均点だった算数が、徐々に下がり始めています。。。

 

 

逆に国語が上がっています。

 

勉強のギアチェンジをする前、超絶低迷だった社会は

歴史が始まってからクラストップか

時間不足で書ききれなかったという感じに。。。

 

(👇ギアチェンジ前のひどい状況とギアチェンジについてはこちら)

 

 

(歴史は、多分私が歴史小説や大河ドラマも好きなために

旅行に行く先々でうんちくを語ってウザがられてきたときの

記憶や親しみがあるのでしょう。。)

 

 

算数のゆるやかな低下。

 

イヤな予感。。。

 

 

5年生の後半から、少しづつ難易度が上がってきたような気がしていますが

そこで少しづつ、これまでにしっかり積み上げてきた子との差が開いてきているのか・・・

 

平均点が取れなくなってきてしまいました。

 

 

ほんのわずかな、小さな幅の下降曲線なのですが

 

・・・平均より徐々に下がってきてる。。

 

 

 

 

昨晩、布団に入ってから息子がポツリ。

 

 

 

「オレ、算数さぁ・・・

間に合うかな・・・」

 

 

 

 

「ん?」

 

「勉強ギアチェンジする前の、サボってたときの算数。

やり直せるかなぁ。。。

時間がないの、どうしよう。」

 

 

 

 ・・・気付いたか。

 

 

 

 

よし、自覚があるなら覚悟を決めるしか無い。

 

今日から1日1問でもいいから、4年生の基礎テキストを解き直そう。

朝勉強は15分、算数のやり直しをひとつづつやろう。

 

 

 

「どうしよう。

オレ、4年生ずっとゲームやっちゃったから間に合わないかも。

 

なんか全然わかんなくなっていくんだ。

でも、みんなはわかってるんだ。

 

みんなは手をあげてるし、みんなわかってるって顔してるんだ。

オレだけ、オレだけなの。」

 

 

布団に入った暗闇の中では、

息子の表情はわかりませんでした。

 

 

 

 

少しづつ、塾の6年生の子たちの顔つきが変わり

6年生のお兄さんお姉さんが受験に向かって着実に進んでいる姿を見て

何かを思ったのでしょうか。

ようやく先を見据えて今を考えることができるようになったのでしょうか。

 

 

オレもあんなふうになれるのか。

あんなふうに頑張れるか。

 

息子には、リスペクトする6年生の男の子がいます。

その子はいつも算数で順位表に張り出されていて

きっと、自分も行きたい超難関校に合格するだろうと。

 

 

自習室は6年生専用となり、質問は6年生優先。

塾の先生が心なしか慌ただしくなり始め、

目に見えない緊張感のようなものが、少しづつ感じられるようになってきたのかもしれません。

その日を意識して。

 

 

そしてここにきて、

算数がだんだんわからなくなってきたという自覚。

 

まわりのみんながわかっているようなのに、

自分だけわからないという感覚。

 

 

 

ざわざわざわ。

 

息子の心の中のざわめきが、聴こえるような気がしました。

 

 

 

 

 

ああ。

 

”ごめんよママは算数わからなくて”なんて言っている場合じゃない。

 

息子の焦りと本気を、全力で応援しなくてどうするんだ。

 

 

 

 

 

・・・と、言うわけで。

 

算数の苦手な私ですが、

息子の居ない間に、今からテキストを借りて

Youtubeで授業動画を見ながら勉強します。。。

 

読んで下さって、どうもありがとうございました!

 

 

こんにちは。
訪れて下さってありがとうございます!



昨日は、月に一度の

塾の公開模試の日でした。


次月のクラス分けに影響するだけでなく、
受験者数が多く、自分の立ち位置がわかりやすい公開テスト。


前々回は社会でまさかの8点を持ち帰ってきた息子、
その次は社会が平均点になるも、
 

その他の3教科は現状維持ないし

若干下がるといったあまり振るわない成果に留まり、


今回こそは少しでも成績アップを狙いたい!!

 


と、親子ともども色々な試行錯誤をしてみて
直前の1週間はいつになく本気で臨んだテストでした。




先週の塾内でおこなう週テストでは、
息子史上過去1、2位を争う低得点を叩き出していたので、

そのままのセルフイメージを持ったまま望んでほしくなかった公開テスト。


あえていつもより発破をかけて、
直前まで『やるだけやった』と本人が思えるような方向に
なるべく向けてみました。


本人も「次は自己ベストをとる!」と燃えて
最終週は人が変わったかのように猛勉強していましたし、

私もテスト前の声掛けにもいつもより注意を払って、
なるべく万全の準備をして臨みました。





 それでも。




 現実は厳しい…






昨日、模試会場から出てきた息子の顔を見た瞬間、
何かわかってしまった気がしました。


疲れもあったでしょう。

緊張もあったでしょう。


でもそれ以上に、顔にハッキリと




 ”聞かないでくれ”





そう、書いてある気がしました。




 あーー。

 そうだったか。

 うんうん。

 よしわかった。




そんな無言の会話をして、
背中をぽんと叩きながら、駐車場へ向かいました。




車に乗り込むと、


 はぁーーーーーー。


大きくため息をつく息子。




もうわかった。
みなまで言うな。



無言の会話をして、
運転席の窓を開けて、少し苦笑。




 こんな時、掛ける言葉がない。



 一番悔しいのも、気落ちしているのも、がんばった本人だもんなぁ。






ため息しか出てこないほど、いろんな感情が渦巻いているのでしょう。

母が、手応えがどうだったか聞きたいであろうことも分かっているでしょう。

でも”聞かないでくれ”。。。




その奥にある感情は、なんでしょう。


短期間でも精一杯準備したつもりだけど、
思うような手応えは得られなかった。

頑張ったつもりだけど、でも、思ったほどにはできなかった。



後悔ともがっかり感とも疲弊ともとれるその顔から漏れるのは
もう何度目かというため息。



言葉にしろとは言いません。

どうだったかは聞きません。。




もしかしたらこういうシーンは、

・・考えたくはないけれど、
もっと大切な試験でも、起こりうることかもしれません。



入試本番でも、

思ったほどには本人が手応えを感じられずに(ちゃんとできていたとしても)
帰ってくることもあるかもしれない。。


それでも、翌日にも併願校の入試があるとか
気持ちとセルフイメージを建て直さなきゃいけない時もあるかもしれない。




できればそんな日は絶対に来ないでほしいのですが、

ほんのちょっとだけ、頭をよぎります。。





 そんな時、私は何を言えるんだろう。。。






テストの結果も大切だけど、
今は、このマインドを上げることが最重要。




下手な言葉で励ますことも

無理やりポジティブに誘導することも

自己肯定感が下がるような認識をさせてしまうことも


きっと全部、今はちがう。。






 じゃあ、何ができる??






そんな事を考えながら、家路につきました。




きっと、今は、

何を言われても共感することしかできないでしょう。


息子の感じた今のそのままの気持ちを、

形を変えたり誘導したりすることなく、

ただ、一緒に感じることだけ。




  
・・・そうだったんだねぇ。





そう言いながら、一緒にお昼ご飯を食べることだけ。



そして、
夕ごはんを食べたり、夜になってお風呂に入ったり、、、

少し時間をあけたあとで、

本人が向き合える心の余裕ができた時に、聞いてみよう。




今の気持ちを。

今、どう思っているのか。
そして、



”これからどうしたいのか。”




そんなふうに考えていました。 

 

 


あくまでも、本人の口から

「次はもっと頑張る!全力でやる!」

を引き出したいな、と願いながら。






そして今朝、公開テストの点数が出ました。

昨日の様子から、あえて自己採点には触れずにいたので
息子が学校に行ったあとネットで確認してみると、


 「あれ?」


五十歩百歩のわずかな違いではありますが、
いつかの言葉通り、恐らく4科自己ベストではないかと思われます。

前々回は8点だった社会も、
今回は5問間違いというところまで。


・・・?

昨日のがっかり感は何?


そしてすぐ気付きました。



算数だ。。。



200点満点中、80点。
半分も取れなかったのです。




そして今日の塾帰り、

自ら畳み掛けるように。


「組分けの結果さ…

あと、23点だったんだ。。

23点で、ランク上がれたんだ。。

算数が、せめて半分より少しいってれば。。。」




 あと、23点。





それが今は、ものすごく遠い。。

でも。



今日の悔しさを、
酷なようだけれど

ずっと忘れないでいてほしいとも願います。


この悔しさを、刻んでおいて欲しい。
本番の時には、絶対にこんな思いをしなくていいように。


だから今日のこのめいっぱいの悔しさを、
明日からの強い力に変えよう。

 

そう心の中で、めいっぱいのエールを送ります。



読んで下さって、
大切な時間をどうもありがとうございました♡