ここに一つの映像音源1がある。大戦中のベルリン市内の工場に建てられた特設ステージにて、巨匠フルトヴェングラーが指揮する「ニュルンベルクのマイスタージンガー序曲」である。
団員が全身全霊を込め、命を削るかのように弓を弾き切る。その重厚な響きに、当時の激しい銃撃戦や流れ飛んだ血しぶきを想像する。明日をも知れぬ命の危機の中、この会場を訪れた人々はどれほどの思いを募らせてこの曲を聴き入っているのだろう。その表情は、惨劇の苦難に満ちている。
フルトヴェングラーは会場全員の意思を引き受けるように指揮棒を振る、演奏家もそれに応える、このナチスドイツの国旗が掲げられたステージで。
「ニュルンベルクのマイスタージンガー」はワーグナーにとっての理想国家を唱える楽劇であった。輝かしいニュルンベルクの黄金時代を彩り、新たな芸術家が誕生するドラマが展開される。芸術と生、芸術と民衆、未来と現在と過去とが結ばれて一つとなる、ワーグナーの理想の芸術世界を叙情性深く描き出した傑作である。
しかし、一見ハッピーエンドであるこの未来の芸術家誕生劇はその反面、非常に冷酷な排斥劇を含有している。ユダヤ人を髣髴とさせる人物が現れ、金銭的欲求から結婚を申し出て、主人公から詩を奪い、歌合戦の時にはうろ覚えの詩を唱え民衆から嘲笑されて失脚する。その後主人公は歌合戦を勝ち取り、高らかに民衆にこう訴える。
気を付けてください
我々に災いが降りかかろうとしています
ドイツ国民と帝国が偽りの外国の威力に屈してしまうと
諸侯は皆、間もなく人民を理解しなくなり
異国のガラクタをもって異国の幻影をドイツ国内に植え付けるのです
ドイツ的で真正なものは誰からも知られず
ドイツのマイスターたちの名誉の中にも
もはや息づかなくなるのです
それだから皆様に申し上げます
ドイツのマイスターたちを敬いなさいと
そうすればよい精霊を呼び寄せるでありましょう
彼らの働きを好意をもって迎えれば
たとえ神聖ローマ帝国が滅びようとも
神聖なドイツ芸術は不変のままわれわれのもとに残るでしょう!
「偽りの外国の威力」「異国のガラクタ、異国の幻影」とされているのは他でもないユダヤ人のことである。ワーグナーは最後、英雄の台詞によって白人至上主義、反ユダヤ主義を掲げているのである。
白人至上主義と反ユダヤ主義
白人至上主義とは、アーリア人、ゲルマン民族こそが真に神に選ばれた神聖なる人種であるとし、その他の人種は総じてこの人種にひれ伏すべき劣性人種であるとする思想のことである。そして殊にユダヤ民族は神の冒涜を行った忌避すべき人種であるとする思想が反ユダヤ主義である。反ユダヤ主義の起源は、ヨハネ福音書のイエスの言葉から反映している。
どうしてあなたたちに私の言葉が理解できないのか。
それは私の言葉を聞かないからである。
あなたたちは、悪魔を父に持ち、その父の望みを叶えようとしている。
彼は、真理において固まっていなかった。
なぜなら彼には真理がないからである。(ヨハネ福音書八章四三―四四)
この言葉を引き合いに反ユダヤ主義者はユダヤ人を悪魔の子孫と捉え、キリスト殺しの下手人になった罪を背負い、神の怒りを買った呪われた民族であると忌避した。ユダヤ人は神聖なる白人種と混血することでその汚れた血統を広げ、世を支配しようと目論んでいるという思想のもとに、後にユダヤ人全滅を謀る「近代的反ユダヤ主義」の時代へと転換してゆく。ワーグナーの生きていた時代はちょうどその過度期であった。
輝かしい精神世界を備えた自由で芸術的な人間に人類を生まれ変わらせるためには、ユダヤ人を殲滅し血統を途絶えさせねばならないとワーグナーは謳い、若くから反ユダヤ主義を表明し、ユダヤ人を悪とする論理を唱える2数々の論文を世に発表した。それとともに、自身の作品にも色濃くその思想を取り入れていった。
その思想は後に人類歴史上もっとも残虐な殺戮へと繋がるのである。
ヒトラーのワーグナー崇拝
アードルフ・ヒトラーは少年時代、リンツの歌劇場でローエングリーンを観てすっかりワーグナーの虜となった。そのころからワーグナーの人生にのめり込み、ワーグナーの芸術を求め、ワーグナーに関して入手できるものなら何でもむさぼるように読み漁っていた。ヒトラーはワーグナーを手本や前例としてではなく、完全に自分の本質にしてしまおうとしていた。
そして、ヒトラーは後に「ナチスのバイブル」とも呼ばれる著書3「わが闘争」を書き上げた。著者の終始一貫した世界観・政治観を凝縮したナチズムの真髄が詰まった書である。そこにはワーグナーの論文から引用したであろう表現や思想が多用された。ヒトラーに反ユダヤ主義を教示し、独裁政権へと誘った親元は他でもないワーグナーであった。
ヒトラーは自身の政権の弁論をする党大会を毎年ニュルンベルクで行い、この地にゆかりのマイスタージンガーやその他のワーグナーの楽曲演奏を欠かすことがなかった。軍の指令号にワーグナーの劇中の格言を用いて、軍隊パレードでもワーグナーを好んで演奏させた。
そして、ワーグナーの理想とする芸術国家を創造する為に、遂にユダヤ人全滅計画を遂行した。
ユダヤ人迫害
一九三五年、ニュルンベルク法を制定しドイツ人の血統を汚染するユダヤ人との交遊を禁じ、街にはユダヤ人お断りと書かれた看板やポスターに溢れかえった。この法制定後、ユダヤ人迫害が強化され、一九四〇年代、最大級の惨劇を生んだアウシュビッツ収容所が建てられた。
ドイツ国内にいたユダヤ人や遊牧民、障害者等を遠くポーランドの郊外に家畜用列車で連行し、「労働者」「人体実験の検体」「無価値」などと選別。女性や子供や老人、七割以上の人が無価値と判断され、何の記録も残さずにガス室へと移動させられた。労働者と選別されたものは、マイナス三〇度にも及ぶ野外での強制労働、食事もままならぬ劣悪な環境での生活。人体実験では生きたまま解剖、病原菌や有害物質を注射、静脈を繋いで人工の4シャム双生児を作る等、囚人をモルモットと呼び、残虐で無意味な実験を繰り返したのちに死体を処分していった。
収容所の中には囚人オーケストラというものがあった。囚人の中で試験に受かれば楽器演奏家は強制労働を免除され、オーケストラに所属できた。仕事内容はカモフラージュのために明るい音楽を演奏し収容所に人々を出迎えること、強制労働の送迎のための音楽や、懲罰を受ける者が処刑されるまでの音楽を演奏すること。そしてガス室へ送るための音楽も演奏された。
この時には決まってあの曲が流れた。「ニュルンベルクのマイスタージンガー序曲」である。この曲は、ナチスの理想国家を掲げるプロパガンダの役目だけでなく、囚人を死へ誘う断末魔の曲としても演奏されていたのだった。
ナチスの過激な殺戮行為は戦後厳しく処罰が下り、二度とこのような過ちを犯さぬようにとアウシュビッツ強制収容所は世界遺産となった。しかし、生き残った人々は激しい後遺症に悩まされ社会的立場は失われたままだった。反ユダヤ思想が完全に消滅した訳でなく、戦禍の傷跡は残されていった。
フルトヴェングラーの最終弁論
前述した指揮者フルトヴェングラーは当時、反ナチズムの姿勢を取り、多くのユダヤ人音楽家をかくまった。しかしナチスの圧力により、国外追放か、政権の傘下にて演奏活動を続けるかを迫られた。その時、彼はドイツに残りオーケストラを振り続けることを決めた。戦後ナチスに加担した音楽家とされ、裁判が起こされた。その最後の弁論で彼はこう言った。
芸術とは、政治や戦争、あるいは民族の憎悪から生まれたもの、またこうした憎悪を生み出すものとは無縁であるというのが私の考えである。芸術は、こうした対立を超越しているのだ。人類全体が一つの共同体であることから生まれ、またこれを顕し、またこのことを立証する何かが存在せねばならない。こうした事物には、まず宗教、さらに学術、そして芸術がある。確かに芸術はそれを生んだ国民を現すものである。しかし、その国と政治とは無縁である。芸術は民族から生まれるが、それを超越する。我々のこの時代において政治に左右されないことこそが、芸術の政治的役割なのである。
私が非政治的、超政治的な芸術家としてドイツに残ったという、そのこと自体によって私はナチズムに対する積極的な反対運動を進めたことになるのだ。何故ならば、ナチズムは政治の役に立つ芸術しか認めなかったからだ。ドイツがおぞましい危機の中にあることを私は認識していた。私はドイツ音楽に対して責任を負っていると感じ、ドイツ音楽がこのような危機から脱出するよう、微力の及ぶ限り助けることを私の責務とした。音楽の本質とは、ヒトラーの考えはそうであったが、音楽で何かを示威することでは決してない。
音楽の本質とは、また音楽の正当性とは、音楽それ自体にある。ナチズムにプロパガンダにされる懸念はより大きな考えの前に払拭された。それは、可能な限りドイツ音楽を守り、ドイツのオーケストラと、そしてドイツ人とともに音楽を続けるということである。かつてバッハ、ベートーベン、モーツァルト、シューベルトを生んだ民族は、ナチスのドイツという外貌のもとでも、その営みを続けたのである。その時にドイツにいなかったものは、それがここでどうであったかわかるはずもない。ヒトラーのドイツではベートーベンを演奏してはならないなどと、5トーマス・マンは本気で言っただろうか。彼は考え付かなかったのだろうか。ヒトラーの恐怖政治下にあったドイツ人以上に、ベートーベンを、その自由と人類愛のメッセージを必要とし、心から聞きたいと願った人々は他にいなかった!
危急の淵にあったドイツを去ることなど私にはできなかった。あのときに国を出ることは私にとっては恥ずべき逃亡に他ならなかった。外からどう見られようが、私はとことんドイツ人であり、ドイツ国民のためにそうしたことを、私は悔いていない!
裁判所は鳴りやまぬ拍手に包まれた。フルトヴェングラーは無罪を勝ち取った。
おわりに
戦後七十年を迎えた年に遠いこの日本の地でも、マイスタージンガーは演奏され続けていた。除幕式のファンファーレとして、祭典の入退場の行進曲として、演奏会のプロローグとして。かつての惨劇の様子を知る者は少なく、ただその荘厳な響きに皆は魅了される。しかし、この曲の持つ精神思想が、残虐な政治を推し進め、当時を生きた音楽家たちに殺戮の道具として演奏を強いて、罪なき人々に非業の死を与えた、という史実を知るとき、我々は考えなくてはならない。いかに歴史と、世界と、芸術とに向き合い、生きていかなければならないのかを。
アウシュビッツ収容所は今もなお、人類に問いかけている。そして、フルトヴェングラーの遺した言葉と音楽は今もなお、人類を諭し続けている。
注釈
1 このフィルムはドイツ週刊ニュースの元フィルム。ベルリン市内のAEG工場の特設ステージでの演奏。
2 「音楽におけるユダヤ性」では、ユダヤ人に対しての嫌悪感を克明し、「再生論」では白人至上主義を表明し、過激な発言が繰り広げられた。
3 ユダヤ人を「死体にわく蛆虫」「寄生虫」などの表現を用いて過激な排斥論を訴えた。
4 身体が結合して出生した双生児のことである。
5 ナチスが政権を掌握後亡命し、国外からフルトヴェングラーのナチズムへの「悲劇的な無知」を苛烈に糾弾しつづけた文豪。